ざまぁ寸前の悪役令嬢が助けてほしそうにこちらを見ている

亜逸

ざまぁ寸前の悪役令嬢が助けてほしそうにこちらを見ている

「デニール! 今この時をもって、あなたとの婚約を破棄させていただきますわ!」


 社交パーティの場で侯爵家令嬢カティナは、公爵家令息デニールに向かって高らかに宣言する。

 その様子を離れたところから眺めていた、カティアと幼馴染の伯爵家次男オルレンは、思わずといった風情で目を丸くした。


(おいおいマジか)


 オルレンは幼馴染であるがゆえに、カティナが男を取っ替え引っ替えして弄ぶ悪女であることを知っている。

 とはいえ、それはあくまでも水面下の話であって、彼女が公の場で堂々と婚約破棄を宣言するなんてことは今まで一度もなかった。


(いったいどういうことだ?)


 と疑問に思っていたら、カティナの傍にやってきた男を見て、オルレンは得心する。


(第四王子のハルム様……ということは、カティナはとうとう王子のハートを射止めたというわけか)


 親の影響もあるが、カティナは婚約を結ぶ相手は最低でも自分の家と同じ爵位――侯爵以上が絶対条件だと決めている。

 そんな思考だからこそ、最終目標として王子を狙うのは当然の帰結というもの。


 男を取っ替え引っ替えしていたのも、単純に男を弄びたいという悪癖に加えて、玉の輿のためにその時婚約していた男よりも爵位や資産が上の男と繋がりを持てたら、すぐさま鞍替えしていたという理由があってのことだった。


(まあ、いずれにしてもろくでもない話なわけだが)


 幼馴染だからそういう目で見ていないという理由もあるかもしれないが、侯爵よりも爵位が下であるがゆえにカティナの眼中に全く入っていないオルレンは、色々な意味で嘆息しながら事の成り行きを見守ることにする。


 第四王子ハルムの出現に、オルレンと同じように察してしまったデニールが、声を震えさせながら訊ねる。


「カ、カティナ……まさか、ハルム様と新たなに婚約を結ぶために、僕との婚約を破棄しようとしているのか?」

「そのとおりよ。あなたのそういう察しの良いところは嫌いじゃなかったけど、ハルム様と比べたら何もかもが天と地、雲と泥、公爵と男爵というもの」


 いや、さすがに最後のは、前二つほどの差はないんじゃね?――と、オルレンが思っている間に、ハルムは憐れむようにデニールに話しかける。


「すまない、デニール。他人の婚約者を奪うなど王子として如何なものかと思ったが、カティナの夜の手練手管があまりにも見事だったものでな」


 自分の知らないところで、婚約者が王子と一夜どころでは済まないほどに共にしている事実を知り、デニールは愕然とする。


 いくらこの国の気風が婚前交渉に寛大だとは言っても、カティナと婚約を結んだ理由が夜の手練手管それというのは、一国の王子として如何なものかと言わざるを得ない。

 カティナは言わずもがな、ハルムはハルムで大概に最低だった。

 もっとも、第四王子を相手に面と向かってそのことを口にできる者は、この場には一人もいないが。


「そういうわけだからデニール、あなたとの婚約を破棄させていただきますわ。まさか異論があったりはしませんよね? なにせ異論があることは、ハルム様に楯突くのと同じなのですから」


 言いながら、カティナはハルムに撓垂しなだれかかる。

 ハルムはハルムで下衆げすっぽい笑みを浮かべながら、項垂れているデニールを見下ろしていた。


(……ひっでぇな。色んな意味で)


 と、呆れていたオルレンだったが、デニールの様子がどこかおかしいことに気づき、眉をひそめる。


「……本当は僕の胸の内に閉まっておこうかと思ったけど、こうなってしまった以上はもう仕方ない……」


 ブツブツ呟きながら、デニールは顔を上げる。


「ハルム様……あなた様を魅了したカティナの夜の手練手管……彼女がいったいどうやって身につけたのか、ご存じですか?」

「勿論だとも。カティナは、婚約者であるお前を喜ばせるために、その手の書物を読み漁って必死に勉強したと言っていたからな」


「最初の内は」という部分だけが、いやに語気が強かったことはさておき。

 ハルムの返答に対し、デニールは不敬にも鼻で笑って返した。


「僕もカティナとは一夜どころではない済まないくらいに共にさせていただきましたが、確かに彼女の夜の手練手管は見事なものです。尋常ではないと言ってもいい。だからこそ断言させていただきますが、それほどの技術を〝実戦〟の経験もなしに身につけるのは、絶対に不可能です」

「そ、それは……」


 デニールの指摘に一理あると思ったのか、ハルムは口ごもる。

 雲行きが怪しくなってきたことを察したカティナは、額に冷汗を滲ませながら口を挟む。


「ハルム様! デニールの戯言たわごとに耳を貸さないでくださいまし! わたくしが夜の手練手管に優れているのは、の才能があった――ただそれだけの話ですわ!」


(……ひっでぇな。色んな意味で)


 先程とは別の意味で呆れているオルレンを尻目に、喜劇じみてきた婚約破棄劇は続いていく。


「そ、そうだ……カティナの言うとおりだ」


 あっさりとカティナの言い分を信じたハルムは、叱責するような声音をデニールに向ける。


「デニール……私の婚約者に、あらぬ疑うをかけるのはやめてもらいたいものだな。それとも何か? お前は、カティナが夜の手練手管を身につけた〝実戦〟相手を知っているとでも――」

「知ってますよ」


 不敬を承知で、デニールはハルムの言葉を遮る。

 カティナはどうにかこうにか平静を保った表情で、デニールに言う。


「知っているですって? 出任せはよして――」

「クライン」


 今度はカティナの言葉を遮りながら、デニールはどこぞの侯爵家長男の名前を口にする。


「アルフォンス、ライラット、マシウス……」


 次々と、無感情に、名前を読み上げていく。

 読み上げていく度に、カティナの顔色が青くなっていく。


 今デニールの口の端に上った名前が、まさしくカティナが遊び捨てた令息ボンボンどもの名前であることを知っていたオルレンは、心の中で嘆息した。


(あ~あ、言わんこっちゃない)


 カティナの所業について知っていたオルレンは、いくらカティナが伝手つてを総動員して弄んだ令息ボンボンどもを無理矢理口止めさせたとはいっても、いつかは必ずバレてしまうから、玉の輿であろうともこれ以上男を弄ぶような真似はやめておけと、カティナに忠告していた。


 ちょっと本腰を入れて調べれば、弄んだ令息ボンボンとカティナが一緒にいるところを目撃した人間などすぐに見つけられるし、そもそもの話、弄ばれたがゆえにカティナに恨みを抱いている令息ボンボンが、口止めを強要されたからといっていつまでも黙ってはいられないことは、火を見るよりも明らかだったからだ。


「カ、カティナ……」


 王子ゆえに政治的嗅覚に優れているのか、旗色の悪さを嗅ぎ取ったハルムは、まるで裏切られたような顔をしながらカティナを見つめる。


「ま、待ってくださいまし! デニールはただ適当に名前を挙げただけで、わたくしがその者たちと夜を共にしたという証拠は――」

「証言なら、後日彼らを集めて聞かせてやることもできるが?」


 またしてもデニールはカティナの言葉を遮り、カティナを絶望させる言葉を吐く。


「し、信じられない! カティナ、君のことを信じていたのに!」


 流れるように被害者ヅラし始めたハルムが、撓垂しなだれかかっていたカティナを突き放す。

 カティナがデニールとの婚約を破棄してまで自分とくっつこうとしている時点で、カティナがであることはハルムも重々に承知していたはずなのに、この掌の返しっぷりである。


 デニールはデニールで、カティナが多くの令息ボンボンを遊び捨てたことを知った上で、何もかもをぶっちゃけて婚約破棄を阻止しようとしているものだから、


(当事者の中に、ろくな奴が一人もいないな)


 ハルムに対しては、最早不敬だとも思わないくらいに呆れていたオルレンだったが……顔を青くしたカティナが、こちらに向かって物言いたげな視線を向けていることに気づき、片眉を上げる。


(もしかしてカティナの奴……俺に助けを求めてるのか?)


 そんな心中が顔に出たのか、それとも幼馴染ゆえの以心伝心か、カティナはコクコクと首を縦に振る。


 委細承知したオルレンは、カティナに向かって爽やかな笑顔を返す。

 それだけで察したカティナが、救われたような笑みを浮かべる。




 そして、オルレンは――




「ババババカヤロウ! 俺を巻き込むんじゃねえよ!」




 脱兎さながらに、パーティ会場の入口目指して逃げ出した。


 ハルムとデニール、その場に居合わせた紳士淑女たちと一緒に、しばし呆けていたカティナだったが、


「ま、待ちなさいよオルレンっ!!」


 幼馴染ゆえの以心伝心なんてなかったことをようやく理解し、怒り心頭になりながらも逃げていくオルレンを追いかけ始める。


「誰が待つかよ! 悔しかったら追いついてみやがれクソビッチ!」


 振り返ってベロベロバ~っと挑発してから、オルレンはパーティ会場から逃げ去っていく。


「だぁぁあぁれがクソビッチじゃぁあぁあぁぁぁぁぁあぁっ!!」


 ハルムとデニールのみならず、この場に居合わせた紳士淑女たち全員が呆気にとられて見送ってしまうほどの剣幕で、カティナはオルレンの後を追ってパーティ会場を飛び出していく。


 オルレンは今一度振り返り、憤怒の形相で追いかけてくるカティナに「こっわ」と、さらなる挑発を浴びせてから、館の外へと逃げていく。

 自分が乗ってきた箱馬車を見つけ、御者台にしっかりと待機していた老執事に向かってオルレンは叫ぶ。


「爺! 俺が乗ったらすぐに馬車を出してくれ!」

「かしこまりました!」


 というやり取りをしっかり聞いていたカティナが、バーティ会場にまで届くであろう怒号を迸らせる。


「だぁぁああぁれが逃がすかぁあぁああぁぁぁあああぁっ!!」


 だが、その時にはもう箱馬車に辿り着いていたオルレンは、余裕綽々と扉を開けると、


「待ぁあぁあちやがぁぁああぁ――……え?」


 突っ込んできたカティナを華麗にかわして箱馬車の中に放り込むと、すぐさま自身も馬車に乗り込み、扉を閉めた。

 老執事はオルレンが乗り込んだことを見届けると、馬に鞭を打って命令どおりに馬車を走らせる。


「爺。悪いが先に、こいつの館に寄ってくれ」


 突っ込んだ勢いをそのままに乗車したせいか、少々はしたない体勢で座席についているカティナを顎で示しながら、オルレンは命じる。

 御者台に座る老執事にはその様子は見えていないものの、委細承知とばかりに「かしこまりました」と返してきた。


「え……え? ちょっとオルレン、これはどういうことよ!?」

「どういうもの何も、助けてほしいってお前が目で訴えてきたから、助けてやったんだろうが」

「え? あ? えぇっ!?」


 いまだに上手く状況が飲み込めていないカティナに、オルレンは苦笑しながら種明かしをする。


「あの状況じゃ俺が口を挟んだところで、お前を吊し上げる流れを止めることなんてできるわけがないからな。だから、あの場からお前を逃がしてやることにしたんだよ」

「そのための方法がですの?」


 拗ねたように訊ねるカティナに、オルレンは苦笑を深めながら首肯を返す。


「さすがにブチギレてる奴の後を追いかけてまで吊し上げようなんて人間は、そうそういないからな。そのためとはいえお前に悪口を言ったことは、本当にすまないと思っている」


 そう言って、オルレンは頭を提げる。

 カティナは文句の一つでも言い返そうと口元をモニョモニョさせるも結局出てこず、ため息をつく。


「さすがにわたくしも、助けてもらっておきながら文句を言うなんて恥知らずな真似はしないわよ」

「ついでに、今しばらくは社交界に顔を出すような真似もしないことをオススメする。お前ほどではないにしてもハルム様も大概にやらかしてるから、お前が大人しくさえしていれば、パーティに出席した連中も今日のことを言いふらすような真似はしないだろうからな」

「……それくらい、わかっていますわよ」


 そう言って、カティナは乱れていたドレスを正すと、隣に座っていたオルレンの肩に、こてんと体を預ける。


「今日はもう疲れましたわ。わたくしの館に着いたら起こしてくださいまし」


 そう言って目を瞑ると、三〇秒とかからずにカティナは寝息を立て始めた。

 どこまでも勝手な幼馴染に、オルレンは――




 ――今、めっちゃくちゃドキドキしていた。




 はっきり言って自業自得としか言いようがないカティナを助けた理由は、幼馴染だからというだけではなかった。


 オルレンは子供の頃から、このどうしようもないほどにろくでもない女のことが、好きで好きでたまらないのだ。


 だから、カティナに助けてほしそうな目で見つめられたら、助ける以外の選択をとることなんてオルレンからしたら天地がひっくり返ってもあり得ないことだった。


 そして今、惚れた女が自分に体を預け、無防備にも寝顔を晒している。

 そりゃもうドキドキするに決まってるだろと、オルレンはヤケクソ気味に思う。


 正直な話、自分でも、いったいこの女のどこに惚れてしまったのか皆目見当がつかない。理解不能と言ってもいいくらいだ。

 それこそ、カティナに惚れ薬を盛られたと言われたら信じてしまう自信があるくらいだが……残念ながら、そんなことはそれこそ天地がひっくり返ってもあり得ないことを、誰よりもオルレン自身がよくわかっていた。


 何度も言うが、カティナが婚約を結ぶ相手は、自分の家の爵位――侯爵以上が絶対条件。

 伯爵家の跡取りですらオルレンなど、カティナの眼中には入っていない。


 だから、カティナに惚れ薬なんて盛られるなんてことはあり得ないし、そんなものなんて必要ないくらいに自分がカティナに惚れてしまっていることは、どうしようもないくらいに事実だった。


 事実だったから、カティナが他の男と夜を共にしたという話を初めて聞いた時は、立ち直るのに一ヶ月はかかったし、その間にまた別の男と夜を共にしたという話を聞き、カティナがそういう女だと受け入れるのに、またさらに一ヶ月かかった。

 さらに付け加えるなら、仮に第四王子との婚約が上手くいっていた場合、立ち直るのにまた一ヶ月くらいかかる自信が、オルレンにはあった。


(ほんとマジで俺、こいつのどこに惚れたんだか……)


 そんなことを思いながら、寝息を立てているカティナを見つめる。


 カティナは、惚れた身から見ても疑いようがないほどの悪女だ。

 玉の輿という大義名分を加味しても、男を弄んで捨てる悪癖は人として最低としか言いようがないし、ワガママだし、自分勝手だし……。


 ……だけど、悪いところばかりではないことも、オルレンは知っている。

 カティナは基本的に身内には優しいし、何気なにげに気配りもできる。

 多くの男を弄んだということは、多くの男に惚れられたことと同義であり、その男たちを惹きつけたのは、なにも夜の手練手管に限った話ではない。

 そもそもカティナ自身に魅力がなければ、その夜が訪れることもない。


 そんなことを考えていると、車輪が路傍の石に乗り上げたのか、馬車が跳ねるようにして大きく揺れる。

 その震動で目を覚ましたカティナが、コシコシと目元を擦ってから、こちらを見上げてくる。


 その仕草がたまらないくらいに可愛いと、表情一つ変えることなくオルレンは思う。


 さらに思う。


 もし、このタイミングで、「俺と婚約を結ばないか?」と訊ねたら、カティナはいったいどう答えるだろうか?


 やはり、伯爵以下は眼中にないから、あっさりと断られるのだろうか?


 それとも、第四王子との婚約がご破算になった傷心を埋めるために、受け入れてくれるだろうか?


 どちらにしても、今の関係が崩れるのは避けられず。

 関係それに心地良さを覚えていたオルレンに、「俺と婚約を結ばないか?」などとカティナに問えるわけもなく。

 そんな臆病者だから、男を取っ替え引っ替えしているカティナに、忠告という迂遠なやり方でしかやめてほしいとは言えず。

 つい、自嘲めいた笑みを浮かべてしまう。


 そんなオルレンを不思議そうに眺めていたカティナが、不意に口を開く。

 意味もなくドキリとしているオルレンに、カティナは、


「何を笑ってますの。さっさと馬車遣いのヘタクソ爺やに、もう少し気をつけて走りなさいと注意してくださいまし」


 オルレンは仕方ないなと嘆息してから、言われたとおりに御者台の老執事にもう少し丁寧に馬車を走らせるよう命じる。


 その時にはもう再び寝息を立てていたカティナを見て、ほんとマジでこいつのどこに惚れてしまったのかと自分で自分に呆れながら、箱馬車という密室に限れば惚れた女と二人きりでいられる心地良い時間に身を委ねる。


 それが精一杯であることを自覚しているせいか。


 オルレンの頬にはやはり、自嘲めいた笑みが浮かんでいた。

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