第11話
アネッテ伯爵夫人からの呼び出しは急な物だった。いつもは事前に連絡をくれるというのに、とにかく来てほしいと頼み込まれる。ちょうど抱えていた仕事の一つを終えたばかりで時間に余裕もあったので、レナは請われるままに応じた。
伯爵家の馬車に乗り込み、一路目指すは彼女の元へ――と、思いきや。
馬車から見える景色がいつもと違う。どうしたのだろうかと声を掛けようとすると、突然馬車が停まる。外では何やら複数の人間の声が聞こえ、これはいよいよおかしいとレナは外へ出た。
そこにいたのは不審者、ではない。黒を基調とした隊服は騎士隊のものだ。しかし何故彼らがこの場にいるのか分からない。戸惑うレナに、その内の一人が馬車を移る様に声をかけてきた。平民相手であっても紳士的だが、有無を言わせぬ圧がある。
「あの」
「大丈夫です。我々がお守りします」
守るって何から、だとか、そもそもどこへ連れて行かれるんですか、などといった疑問は浮かぶものの、レナはどうにか飲み込んだ。きっと今尋ねたところで曖昧に誤魔化されるのが関の山。ならば大人しく着いて行くのが正解だろう。
レナと一緒に女性の騎士が乗り込んでくる。周囲を三人が囲み、そうして馬車は走り始めた。
移動中も特に会話は無かった。ただ、これが王太子からの指示であるとだけは教えてもらう事ができ、それによりレナは一つ安心を得た。
カリンに何事が起きたのか、と思わなくもないが、それにしては騎士達が落ち着いている。ならば婚礼衣装について変更なりなんなりがあったのかもしれない。ただ、仮にそうだとしても随分と仰々しいのが謎である。
そんな疑問を抱えつつ馬車はほどなく王宮へと到着した。すぐさま侍女がクラウドの待つ部屋へと案内してくれる。
「急に呼び出してすまない」
「アネッテ伯爵夫人に呼ばれて向かう途中だったんですが、何事ですか?」
「夫人にはこちらから話は通してある」
通された部屋はいつもクラウドと衣装の打ち合わせをする部屋ではなかった。広さも調度品もさほど変わりはないが、何故かこの部屋にはベッドが置かれている。
「しばらく貴女にはこの部屋に住んでもらう。外出は一切禁止だ。必要な物は一応揃えたつもりだが、足りない物があったら遠慮なく言ってくれ」
あまりにもレナがベッドを気にしすぎていたためか、クラウドは早速説明をしてくれた。が、その中身があまりにも突っ込みどころしかない。
「あの、殿下」
「犯人が分かったんだ」
レナは思わず息を飲む。犯人とは、すなわちレナへ脅迫状を送り付けていた何者かの事だ。
「今は逮捕へ向けて動いている最中なんだが、念には念を入れてレナにはカタが付くまでここにいて欲しい」
「エリアス様とカリンは」
「二人とも大丈夫。安全も充分に配慮しているから、レナは自分の事だけを考えてくれ」
レナの肩から力が抜ける。二人の安全が何よりも心配だ。クラウドがそう言ってくれるのであれば、確かに二人は大丈夫なのだろう。
「しばらく不便をかけるが……すまない」
「いいえ、殿下のお気遣いになんと感謝したらよいか」
「遠慮するな、いずれ貴女は姉になる人だ」
「だからそれやめてくださいと何度も申し上げてますよね!?」
つい反射的に突っ込んでしまうと、張り詰めていた空気も若干緩む。ようやく笑う余裕を取り戻したレナは、改めてクラウドに礼を言う。
「本当にありがとうございます、殿下」
「こういう形しか取れない事を許してくれ」
「私が一番狙われ易い存在ですから、これが確実な方法だと思います」
外出禁止というのはどうしても窮屈さを感じてしまうが、軟禁される場所は王宮の一室だ。こんな豪華な部屋で数日寝泊まりできるのだから、これはこれとしてとても楽しいのではないだろうか。
「幸い、急ぎの仕事はありませんし。休暇と思って楽しませてもらいますね」
「ああ、先程も言ったが必要な物があったら遠慮なく言う様に。面会は無理だが、エリアスとカリンへ手紙を出すならそれも取り次ごう」
「そうですね、二人に無事殿下に保護された事を伝えなきゃ! 早速文机をお借りしても?」
「なら便箋と封筒も用意させよう。そこに入っているのは味気のない物だからな」
クラウドは随分と筆まめで、カリンへ何通もの手紙を送っていたという話を思い出す。季節に合わせて便箋と封筒も変えていたそうだ。
「やっぱり王族ともなるとそんな所にも気を遣わないといけないのねって驚いちゃったわ」
カリンはそう口にした後、「でも殿下がそうするから、わたしまで種類を変えなくちゃいけないから大変なの」とも零していた。まあこれはただの照れ隠しに他ならないが。
若い二人のなんとも微笑ましく、そしてちょっとばかりむず痒くなるやり取りは何度思い出しても顔がにやけてしまう。そうやってにやにやとしていたのが不味かったのか、クラウドがわざとらしく咳払いをする。
「……新しい物でなくとも、殿下の使いかけの物で大丈夫ですよ?」
「新しい物を用意させる」
「え、もしかしてカリンを口説き落とすのに全部使ってしまっていたり?」
軽い冗談のつもりが、どうやら正解だったらしくクラウドの眉間に殊更皺が寄った。ひゃー! とレナは心の中で叫ぶに止める。
「とにかく、まあそんなわけだレナ! 数日我慢してくれ、いいな!」
「はい、仰せのままに」
クラウドは無理矢理会話を終わらせた。そもそも忙しい身の上だ、こうやってレナとくだらない会話をしている暇はない。
「レナ」
「なんでしょう?」
「本当に……すまない」
「殿下?」
やたらと意味深な謝罪を残しクラウドは部屋から出て行く。
この時のクラウドの表情がレナはどうしても気になってしまう。しかし、これ以降レナの軟禁生活が開始され、それどころではなくなった。基本的にレナは一歩も外へ出る事ができず、相対するのも世話係の侍女とメイドだけだ。
これはしばらく大変そうだ、と初日こそ不安を覚えたが、なにしろここは王宮の一室。ベッドの寝心地は最高で、レナはぐっすりと眠りに落ちる。部屋の隣にはなんと専用の浴室が付いており、これまたレナを喜ばせた。朝昼晩と部屋へ運ばれる食事はどれも美味であるし、普段は持ち出す事などできない王家所有の本の閲覧もできる。なかでもレナを惹き付けたのは、歴代の王族の服飾をまとめた一冊だ。他家へ嫁いだ王女達の婚礼衣装や夜会のドレスなどまで載っている。レナは夢中になって読みあさった。
そんな、夢の様な日々を過ごしていたおかげでレナの軟禁生活は大変楽しく有意義なものとなる。終わりを告げにクラウドが姿を見せた時は、思わず「残念です」と愚痴を言うところであった。
「殿下がお出でになったという事は、無事に終わったと思っても?」
「ああ……そうだ、うん、終わったと言えば終わった」
これ程までに含みのある言い方があっただろうか。えええ、とレナは身構える。
クラウドの雰囲気からして、エリアスとカリンに何かあったとか、そういった中身ではないのは分かる。犯人を取り逃がしただとか、そんな理由でもなさそうだ。
なんというか、クラウドの表情が、まるで隠し事をしているのに耐えきれない子供にしか見えず、それが微笑ましくも感じるがそれ以上にレナの心をざわつかせる。
こちらにまで飛び火しそうな面倒事の気配を感じる。いや、むしろこれは飛び火ではなく、レナが面倒事の中心ではないのか。
「え……え、ちょっと殿下!?」
「明日だ! 明日改めて話にくる。今後を決めるのはそれからにしよう」
「今後って!? 今後ってなんですかクラウド様!!」
レナの叫びも虚しく、クラウドの背は扉の外へと消える。嘘、待って、まさかバレた? とレナの脳内を一つの可能性が駆け巡る。
いやでもあの話は私と殿下しか知らないし……まさか殿下が喋った……? でも今回の件であの話が出る様な事ってあるの……?
レナがモニカの元へ行く話は脅迫事件とは別物だ。会話の流れで喋ってしまう様なクラウドではないだろうし、しかしそうなるとレナにはクラウドが狼狽えていた理由が他に思いつかない。
結局この日は何も手に付かず、安眠を保証してくれるベッドに横になってもなかなか寝付く事ができなかった。
そうして迎えた翌日。レナは事の真相を知る。
まるで自分が尋問を受けているかの様な圧迫感。座っているのはふかふかのソファであるというのに、固い床に直座りさせられている気分になる。
レナの目の前に座る相手はカリンだ。その背後にエリアスが立っている。カリンは目に見えて怒りを露わにしているのに対し、エリアスは一切感情の読めない顔でレナを見つめている。
圧迫感はこの二人から発せられているもので、レナはガチガチに凍り付く。
「すまない、レナ」
カリンの隣に座るクラウドがそう口を開いた。
「俺が裏切った」
とんだ暴言。まさかの自白。それによりレナは理解する――自分の計画が、全て二人にバレてしまったのだと。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます