第10話




「――分かった、貴女の言う通りにしよう」


 悪戯の可能性だってありはするが、その相手が王太子の婚約者の家族、ともなれば放置などできない。巡り巡ってカリンに害が及びでもしたら。


「しかし、エリアスには一言伝えておいたほうがいいんじゃないのか?」

「それはもう少し詳しく分かってからで……」

「たしかにエリアスの強さなら、まあ自力でどうにでもできるだろうけど。アイツ、仮にも貴族で騎士の道に進んでいるくせに、やたらと路上の喧嘩も強いんだよな」


 路上の喧嘩――つまりは作法やら何やらのある騎士の戦いにあるまじき戦法も場合によっては取る事ができる、という事だ。


「どこで学んできたのかレナは知っているのか?」

「いいえ……少なくとも私が知る限りでは、エリアス様はろくに喧嘩もできない感じだったんですけど」


 騎士になりたいと言われた時は、正直こんな線の細い少年に務まるのだろうかと心配だった。けれど、ずっと自己主張などしてこなかったエリアスが初めてレナに自分の希望を口にしてくれたのが嬉しくて、彼が望む事ならば精一杯応援しようと思った。


「おっそろしい速度でその夢を自力で叶えられたわけですけど」


 そうやって自分で夢を叶えたエリアスは、今着実に己の人生を歩んでいる。これまではずっとあのろくでもない家族に苦しめられていたのだ、どうかこのまま明るく幸せな道を歩んで欲しい。


「だから、可能な限りエリアス様にも心配になる要素は」

「与えたくないわけか。気持ちは分からないでもないが……知るとエリアスは拗ねそうだな」


 怒るではなく、いまだに自分はレナにとって頼りになる存在にはなれない、無力な子供なのかと項垂れそうだ。その後にチラリと不機嫌そうな視線を向けてくるまでがいつもの流れで、そんなエリアスの子供っぽい反応がレナの胸をときめかせる。昔と違い大人になったエリアスは格好いいの一言に尽きるというのに、時折子供の頃の可愛らしさを見せるのだから卑怯だとレナは思う。心臓がいくつあっても足りやしない。

 ふと視線を感じて顔を上げれば、何やら神妙な面持ちでクラウドが見つめてくる。なんでしょう、と身構えてしまうのは庶民の性質だ。


「いや……レナも相当にエリアスの事が好きなんだなと」

「それはもちろん! 私の自慢の夫であり弟で息子ですからね!!」


 すると今度は残念な物でも見るような眼差しに変わる。あ、その顔最近のカリンとそっくりですねとレナは思ったが口にはしなかった。





 クラウドはレナの頼みを余すことなく聞き届けてくれた。カリンもエリアスも相変わらず心穏やかに日々を過ごしていると聞くし、それだけでもレナは一安心だ。

 不審な手紙は相変わらず届くものの、レナ自身にも密かに護衛が付いている。それもまたレナを落ち着かせる。とはいえ、すでに王家の方でも調べが入っているはずなのに、一向にレナへ脅迫状を送っている人物が誰なのかが分からない。護衛のおかげでレナやレナの周囲の人間へ危害が及ぶ様な事態は起きていないが、もしかするとそれが手がかりを減らしているのかも、などとじれったさから危険な考えまでが浮かんでしまう。


 しかしそれは愚計だとレナは頭の中からその考えを弾き出す。武術に心得のあるエリアスならまだしも、所詮田舎で口喧嘩くらいしかした事のないレナである。自ら囮になって犯人をおびき出すなど無事で済むわけがない。


 それよりもきちんと自分でできる事をやるべきだ。


 レナの手元には一通の手紙がある。差出人はここ数年で付き合いのできた隣国のドレス工房の社長、モニカ・フランシル。レナより十ほど年上の女性だが、店を構えたのはレナと同じ年だった。アネッテ伯爵夫人の茶会で初めて出会い、お互い似た環境という事ですぐに意気投合した。

 契約結婚やそのほかの事情は流石に誤魔化してはいるが、いずれエリアスとは離婚をするつもりでいる話を酒の席でポツリと零してしまった。その時に彼女に誘われたのだ「もし離婚した時は、一緒に仕事をしましょうよ」と。

 婚約破棄の次は離婚である。年齢だって適齢期と言われる年は過ぎてしまった。エリアスと別れた後、今度こそちゃんとした結婚を、と望むのは不可能だろう。


「まあそもそも私が望んでもいないしね」


 エリアスと結婚したのだってあの状況だったからだ。エリアスとカリンが普通に幸せな生活をしていれば、今もレナは独身のままだったろう。


「私が近くにいたら、エリアス様もエリアス様の奥さんになる人も気まずいだろうしなあ」


 王太子の婚約者、の元・義理の姉。なんとも扱いづらい物件ではなかろうか。


「不良債権っていうか、完全なる事故物件」


 腫れ物扱いされるのはごめんだ。なので、レナはモニカの提案に乗らせてもらう事にした。エリアスと離婚した後は、隣国に移ってモニカと共に新しいブランドを立ち上げる予定になっている。今日届いた手紙は、モニカに頼んでいたあちらでの新居の目星が付いたとの連絡だった。






「レナはモニカ・フランシルと懇意なのか?」


 すっかり王宮でのレナをもてなす係となったクラウドから、そんな問いが出たのは何度目かの打ち合わせの時だ。レナへ届く郵便物は不審な物が紛れ込んでいないか調べが入る様になっている。勿論レナも了承済みであるので、差出人を把握されている事に不満などない。クラウドの問いも、隣国で一番人気とされる職人の名前であるので、きっとレナがカリンの婚礼用のドレスのために力を借りようとしているのだろうと、そう思っただけの世間話だ。


「えー、はい。そうです」


 ただの世間話。それに、モニカの力を借りてカリンのドレスを作ろうとしているのは間違いではない。モニカの工房が取り扱う生地の中には、遠い異国から取り寄せている物もある。その繊細な美しさにレナは一目惚れをして、どうにかしてカリンのドレスに使えないかと毎日デザイン画が増えていく。

 だから、そのまま受け流せばそれで終わるだけの話だった。が、レナは隠し事が壊滅的に下手であった。良く言えばまあ、素直であるのだが。

 エリアスとカリンがレナの表情の変化に敏感なのは、二人の生い立ちによるものだとずっと思っていたけれども、クラウドにも筒抜けであるのでこれはどうやら単に自分が下手なのだなと、ようやくレナは自覚した。

 そんなわけで、レナの返事のわりには気まずそうな顔の変化でクラウドに突っ込まれる事になる。


「事態が事態だ。正直に話してもらおうか」

「いえ……とくにお話するような中身でもありませんので」

「水くさいな、姉上」

「ちょっと! やめてくださいよ!」

「カリンが俺の妃となった時には、レナは姉になるだろう?」

「そうですけど……けど、そうはなりませんので!!」

「ほう」


 王太子に姉と呼ばれるなど、ただの血の気が多くてキレた時に口が悪くなるだけの庶民には荷が重すぎる。その重圧に余計な事まで口にしてしまい、さらにクラウドに追い込まれてしまう。

 ついにはエリアスと離婚するつもりでいる事、その後はモニカの元へ行き共同で仕事を始める予定である事、手紙はその打ち合わせのためである事まで喋らされてしまった。


「お願いですクラウド殿下――私はカリンの幸せと同じくらい、エリアス様の幸せも願っているんです。このまま私と偽りの生活をしていいわけがない。だから、この事はどうか、絶対に、二人には言わないでください」


 クラウドにとってもエリアスは大切な友人である。険しい顔をしてレナを見つめてくるのは、頭では理解していても感情が納得できないのだろう。それでも彼は聡明な人物であるので、レナの気持ちも分かってくれるはずだ。



 そうして王宮を後にしたとある晴天の日。まさかの事態が起きてしまう。

 アネッテ伯爵夫人からの呼び出しに応じ、彼女の邸宅へ向かう途中にレナは何者かによって誘拐されてしまった。



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