第8話
「おめでとうカリン! でも知らなかったわ、あなたいつの間にクラウド殿下とお近づきになっていたの?」
今日は久々の家族団らんだ。エリアスも休みを取って一緒にカリンの婚約祝いの真っ最中。ヘルガの作ってくれた牛肉と野菜たっぷりのシチューは兄妹の大好物だ。色とりどりの野菜サラダに、これまたヘルガお手製のふわふわのパン。アネッテ夫人からはお祝いにと葡萄酒も届いている。アルコール成分も控え目なので、酒の初心者にも飲みやすい。レナは少し飲むだけでも顔が真っ赤になってふわふわとした気分になるが、エリアスとカリンはどうやら体質的に強いらしく、スルスルと飲んでいる。
「図書館で調べ物をしていた時に殿下に見つかって、それから……でもわたしも最初は殿下だなんて知らなかったの! てっきり物好きなどこかのご子息だとしか思ってなかったわ」
クラウド王太子は、柔らかな陽の光を集めた様な金色の髪に碧色の瞳をした、見た目はまさに絵に描いたかの様な王子である。年はカリンより三つ上で、エリアスとも年が近いとあって身分を越えた友情を結んでいる。あと数年エリアスが経験を積めば、王太子の護衛騎士として任命されるのは間違いないだろうともっぱらの噂だ。
「中身はかなりおもしろ……ゆか……個性的じゃないかしら」
食後のデザートである桃を味わいながらカリンはそう評する。見た目だけなら理想の王子様、しかし中身はかなり癖のある人物だ。レナは遠目にしかクラウドを見た事がないので、カリンの話を聞いて人は見た目によらないなとつくづく思う。
「そうだね、全部を知った上でカリンを婚約者にと選ばれたもんな」
「どういう意味かしらお兄様」
「その通りの意味だよカリン」
途端、カリンの頬が風船の様に膨れた。エリアスはその向かいの席で特に気にするでもなくティーカップに口を付けている。
「お姉様なんとか言って! お兄様ったらひどいの!」
美男美女、そして気高くも優しい理想の兄妹。それは間違いなく二人を正当に評価したものではあるが、今レナの目の前で繰り広げられている事もまた二人の本来の姿だ。
からかう兄と、それに反発する妹。エリアスはカリンとレナに対してだけは、時折こうやってからかってくる。カリンも普段であれば余程の非礼でない限りは優しくも冷静に対応するが、エリアスとレナに対してはコロコロと感情を変える。二人とも何とも子供っぽい事をするのだ。
「お兄様、せっかく騎士になったのに昔より性格が悪くなった気がするわ」
「俺も短いながらに世間の荒波に揉まれたからかな?」
「率先してその荒波に飛び込んで乗りこなしてるって殿下が言っていたけど」
「うん、身近にいいお手本がいたから参考になったよ。ありがとうカリン」
「お姉様! お姉様の夫の口が悪すぎなんですけど!!」
仲睦まじく、年相応にじゃれ合う兄妹のやり取り。レナは咽び泣きそうになる。一緒に住み始めた頃は、二人ともこんな気安い姿は中々見せてはくれなかった。けれど、今はもうこんなにも……尊い、と両手で顔を覆ってプルプルと震えてしまう。
王太子が見かけによらず、であるならばこの二人もそれと同じだ。そして、その見かけによらずの姿を見せているという事は、それだけ相手を信頼しているという事でもある。
カリンが王太子に信頼されている証も相まって、いつも以上にレナは身悶え続け、最終的にテーブルに突っ伏した。
基本的に兄妹がレナを見つめる時の視線は親愛の情に満ちているが、こんな反応をしている時だけは、少しだけ呆れを伴った視線をカリンは向ける。エリアスはただ笑うだけだ。
「お姉様ったら最近ずっとそんな反応だわ」
「カリンと殿下の婚礼衣装のデザインで張り切りすぎなんですよ」
その言葉にレナは勢いよく体を起こす。
「そりゃあ張り切りますよ!! だってカリンのドレスですよ! それも婚礼用の!! ここで張り切らずにいつ張り切れと!? ああああ日が……日が足りない!」
「結婚式はまだまだ先よお姉様。慌てる必要なんてないのに」
「カリンの婚礼用のドレスは昔から考えていたでしょう? それなのにまだ考えるんですか?」
「流行は常に変わっているんですよエリアス。今だと古く感じてしまうものもあるから……カリンには最高のドレスを着せなければ……いけない……!」
クラウドのデザインもレナが引き受けてはいるが、熱の入れ方に差があるのは誰の目から見ても明らかだ。これに関しては、元よりそうなる自覚があったためにレナは正直に申告した。
「殿下の婚礼衣装のデザインをお任せいただけるなんて、これ以上の名誉はありません。ですが……その……絶対に、間違いなく、私はカリンのドレスを作る事に全力を注ぎきりますので! 殿下のデザインがおろそかになる未来しか見えません!! なのでどうか殿下のデザインは他の方へ!」
非礼にも程がある。なんならこれが原因でカリンのドレスすら作らせてもらえなくなる危険性もあった。しかしそれらは全て回避できた。偏にクラウドがカリンにベタ惚れなのと、そんなカリンの世界の中心がレナであったからだ。
「何をおいてもレナを一番に優先する、それでもいいかと言われたんだ。なので、それでいいから結婚してほしいと申し込んだ」
自国の王太子に何て事を、とレナの意識が半分飛んだのは言うまでもない。
「カリンとエリアスからも色々と話を聞いている。貴女の代わりになるなど、そんな無茶は言わない。だが、貴女と同じくらいカリンを守りたいと思っている。いや、守る。一緒に守らせてほしい」
色々、の部分がはたしてどこまで含まれているのかレナには分からない。しかし、王太子の真摯な眼差しを前にはそんなのは些細な事なのだろう。レナは大きく頷いた。むしろ、彼以上にカリンを安心して任せる事ができる相手は他にいない。
「――色々あって家族になりました。カリンは本当に大切な存在なんです。どうか……カリンを守って、幸せにしてあげてください」
レナの言葉にクラウドは力強く「まかせろ」と答えてくれた。レナは顔中を涙でびしゃびしゃに濡らす程に泣き、それは今も同じだ。思い出すだけで秒で涙が飛び出る。
「お姉様また殿下の言葉を反芻して泣いているの?」
「よかった……ほんとうによかったあああああああ」
残る気がかりはエリアスのみ。しかしエリアスならばすぐに素晴らしい伴侶が見つかるだろう。
「レナ? 何か変な事を考えていませんか?」
「そうよお姉様、最近特に様子がおかしいってヘルガも言っていたわ……なにか気になることでもあるの?」
「だからカリンのドレスのデザインがですね!!」
あっぶな、とレナは慌てて誤魔化す。エリアスもカリンも他人の表情を読むのが上手い。二人の幼い時の環境が原因であり、その事に関してはレナは今すぐ心の中で鉈を振り回してしまうが、こと、腹の探り合いの多い貴族社会では少なからず役に立っている様ではある。
だからと言って感謝する気持ちは欠片もないし、こうやってすぐにレナの僅かな表情の変化も見つけてくるので困りもする。
結婚した時に交わした契約書にも書いてある、これは期間限定の関係であると。いずれエリアスに心から愛する人が現れた時には、その人と幸せになるようにと。しかしエリアスはレナを妻として接し続ける。恩人だからと大切にしてくれてはいるのだろうが、これに関しては恩を感じないで欲しい。都度、その話はエリアスに言ってはいるが、エリアスは頷きはするもののそれで終わる。
まだ独り身でいたいのだろうかとも思うが、同じ騎士団の中で結婚している上司を見ては、羨ましいなあと零していたとも聞く。結婚に憧れはある様なので、早い所離婚をするべきなのかもしれない。
しかしそうなると、カリンの結婚式を近くで見る事はできなくなるだろう。そもそも参列さえさせてもらえなくなる。いくらドレスのデザインをしたとはいえ、平民が王族の結婚式に並ぶなど無理だ。
せめてカリンの花嫁姿は見たい。できるだけ近い場所で。二人と別れるのはその後でも遅くはない……はずだった。
今すぐ荷物を纏めてこの国から出て行け――さもなくば、お前の命は無い
カリンと王太子の婚約が正式に発表されたその日から、レナの元に脅迫状が届くようになった。
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