よもつへぐい

真夜中 緒

第1話

 甘い香りがする。

 甘やかに、芳しく、もはや幾分慕わしくすら思えるその香り。

 常世の御饌みけの香り。

 抗い難いその魅惑の香りを、私はあえて意識から締め出そうと試みる。

 甘い

 甘い

 甘い

 気が遠くなりそうだ。

 腹が、キュウと鳴く。

 もはやいかなる食も必要とせぬ、食によってつなぐべき命を失った身が、それでも甘い御饌みけを渇望する。

 いけない

 いけない

 いけない

 あの香りを嗅いではならない。

 あの香りに心惹かれてはならない。

 あの香りに惑ってはならない。

 息をつめ、目を閉ざす。

 甘い、甘い、甘い。

 とろりと甘いその香り。

 花の甘さではない。

 蜜の甘さでもない。

 果物の甘さでもあるまい。

 何とも知れぬ、けれどかすかにおぼえのある甘い香り。

 とろとろと

 重く、ゆるく、香りは揺蕩う

 とろとろ

 とろとろ

 とろり

 どろり



 どろりと重たげに揺れる水面に、汝兄なせ瓊矛ぬぼこを差し入れる。

とは玉。

玉を磨き、研ぎ出した艷やかな穂先は水面にするりと滑り込む。

 瓊矛の穂先を水面に差し入れて、汝兄と息を合わせてごおろと回す。

 重い。

 どろりと重たげに見えた水面はやはり重かった。

 瓊矛の長柄を汝兄と共に支え持ち、ひたすらにごおろごおろとかきまわす。

 ごおろ、ごおろ

 ごおろ、ごおろ

 ごおろ、ごおろ

 瓊矛に絡む水面は重く、白い澱が渦を巻く。

 ある時ふと、軽くなった。

 見れば水面は青く澄み、瓊矛ばかりに白々とした澱がまとわりついている。

 ふうと息をつくと、全く同じに汝兄が息をついた。

 私達は目を見合わせて、少し笑った。

 それから揃って長柄を握る手に力を入れ引き上げる。

 ぼたり。

 驚くほどに重たい音をたてて雫が落ちた。

 ぼたり

 ぼたり

 ぼたり

 瓊矛の長柄を支える手に響くほどに、重たい雫が落ちて積もる。

 雫が瓊矛から落ちきるのを待った。

 長い時間をかけて、全ての雫が落ち、瓊矛の穂先が玉の艷やかさを取り戻す。

 滴り積み重なった雫は、広い青海原の上に、白く小さな島となった。

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