世界樹ぶった斬る
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世界樹ぶった斬る・前
とある大陸の中心に、雲を突き抜ける程の巨大な樹が聳え立っていた──。
大陸に住む人々はその樹を世界樹と呼び、様々な恩恵を受けながら生活していた。
世界樹のその根は吸い上げた水を清め、幹から滴る樹液は口にした者に活力を与え、地に落ちた枝は最高級の木材となった。そして季節が巡る毎に大陸中に舞い散るその花粉は淡い光を放っており、浴びた者達に何とも言えぬ幸福感を与えた。
そんな世界樹へと向かって果てしなく伸びている街道で、ある日牛飼いの老人が道端でキセルを吹かしていた。
その日はとても良い陽気の日で、畦道に腰掛けた老人は青空を見上げながら紫煙を肺の奥深くまで吸い込み、ゆっくりと吐き出してぷかぷかと燻らせる。煙は宙を漂い、心地よい風と共に青空へと溶けてゆく。
すると、道の向こうから一人の男が歩いて来るのが見えた。それは、背は高いが肩幅が広く背の筋肉が盛り上がっているために、ずんぐりむっくりとした印象を与える男だ。
男はその肩に大きな斧を担ぎ、憤懣やる方ない様子でのっしのっしと歩いてくる。その目は真っ直ぐに世界樹を見据えており、眉間には渓谷のような深い皺が寄り、口は山脈のようにへの字を浮かべているではないか。
そんな男に老人は尋ねる。
「おいお前さん、こんな良い天気の日にそんなに怒ってどこに行くのかね? 悪い男に娘を泣かされでもしたのかい?」
男は立ち止まると、答えた。
「世界樹を切りに行くのだ」
その言葉に老人は驚き、目を丸くする。
なぜなら世界樹は皆に敬われ、大切に扱われている存在であったからだ。これまで世界樹に礼拝へと向かう者達には数多くすれ違ってきたが、切りに行くという者に出会ったのはこれが初めてであり、そんな者がいるとは想像もしていなかった老人は慌てて言った。
「そんな事はやめなさい。大体世界樹がそんな斧なんかで切れるものかね」
男の腕は丸太のように太く、持つ斧は立て看板のように大きかった。しかし天を突いて聳える世界樹からしてみれば、釣り針を持ったアリのようなものである。例え男が巨人であろうとも、せいぜいスプーンを持ったネズミであろう。
男はフンと鼻を鳴らすと、老人の忠告を無視してまたのっしのっしと歩き始める。大地を踏みつけるかのように歩いて行くその背を見送りながら、老人はポンポンとキセルの灰を落とすのであった。
☆☆☆
斧を担いだその男は、昼も夜もなく歩き続けた。
そして時に小川で喉を潤し、時に木の実を齧りながら、やがて世界樹の根元に栄える大きな町へと辿り着く。
しかし、男の脚は止まらない。
様々な珍しい品が並ぶ市場も、美味しそうな料理の香りを漂わせる食堂も、陽気な芸人達が出し物をしている広場も素通りし、ただひたすら真っ直ぐに世界樹を目指して歩き続ける。
土に汚れたボロボロの靴を履いて薄汚れた格好をしている男に対して気遣いの言葉を掛ける町人達もいたが、その声も男には届かない。
そしてただひたすらに、のしのし、のしのしと歩き続け、とうとう世界樹の根元へと辿り着いた。
男は根をよじ登り、更に幹まで歩くと、雲に隠れて見えない世界樹のてっぺんを見上げる。そして身を捩るように斧を大きく振りかぶると、遥か彼方まで曲線が続く壁のような幹へと向かって横薙ぎに振った。
カコーン──と、金槌で岩を打ったような音が辺りに響く。
男の手に伝わってきたのは斧が木に食い込む感覚ではなく、素手で鉄を殴ったかのような痺れであった。そして幹に付いた傷は妖精の爪先のように小さかった。
それでも男は構わずに、再び斧を振りかぶり、何度も何度も叩き付けた。
道ゆく人々は男を見て、「なんと罰当たりな」「やぁ、バカな事をしている奴がいるぞ」とヒソヒソと囁きながら通り過ぎてゆく。
それでも男は一心不乱に、日が暮れても夜が訪れても斧を振り続け、やがて空が白み始めた頃に苔を布団にして眠りについた。
☆☆☆
それからというもの、男は目を覚ましては斧を振り、僅かな木の実や野草を食べてはまた斧を振り、倒れるように眠るという生活を始めた。
世界樹の根元にはカコーン、カコーンという音が響き続け、近くを通る者達は皆、敬愛する世界樹を傷付けようとする男の姿に眉を顰めるのであった。
もちろん、男を止めようとする者もいた。
しかしその度に男が斧を振り回して脅すために、男はいつしか魔物のように扱われ、周りには誰も近付かなくなり、その代わりに、「どうせ切り倒せやしないよ」と笑ってバカにされたり、遠くから石を投げてからかわれるようになった。
そんなある日の事だ。
その日は酷く暑い日で、一人の行商人がいつものように町に野菜を売りに行こうとしていたところ、暑さにやられて世界樹の根元に座り込んだ。
「はぁ、喉が渇いた。誰か助けてはくれまいか……」
そう思ったが、辺りに道を行く人はおらず、ただ耳障りな音がカコーン、カコーンと聞こえてくるばかりである。行商人は溜め息を吐くと、手で顔を扇ぎながら世界樹の根に体を預けた。すると──。
「なんだこれは……?」
行商人の肌に触れたのは、根を伝う液体の感覚であった。そしてそれは甘く爽やかな香りがする世界樹の樹液であった。
「こいつはありがたい!」
行商人は喜んで世界樹の根に口を付け、夢中になって樹液を口に含んだ。するとそれは全身に染み渡るように広がり、乾いた喉を潤して、暑さにやられた体に活力を取り戻す。
「しかしながら、なぜこんなところに樹液が……」
不思議に思った行商人は樹液がどこから伝ってくるのかを追いかける。するとその先にあったのは──。
カコーン、カコーン──。
相も変わらず世界樹の幹に斧を振り続ける男の姿だった。そして男が斧を打ち付ける世界樹の幹には子犬の尻尾程の傷が付いており、樹液はそこから染み出してきていたのだ。
「なんだあんたか」
世界樹を傷付ける男の悪評を知っていた行商人はフンと鼻を鳴らす。
「しかし、なんだって世界樹を切り倒そうなんてバカな事をするのかね? 世界樹を切ろうとする事自体がバカバカしいが、そもそもこんなデカい木を切り倒せるわけがないじゃないか。スプーンで山を食べようとするようなもんだ。違うかい?」
行商人の軽口に男は何も返さず、一心不乱に斧を振り続ける。その横顔には固い決意が浮かんでいるように見えた。
行商人は呆れたようにため息を吐き、その場を去ってゆく。そして日が傾き始めた頃に、水と食べ物を持って男の元へと戻ってきた。
「あんた、どうせ碌なもん食ってないんだろ? これはお礼さ」
その言葉を聞いて、男はその日初めて斧を振る手を止める。
「お礼?」
「そうさ、身に覚えはないだろうけどね。じゃあ、達者でな」
そう言って行商人は再びその場を去ろうとしたが──。
幹を伝って男の足元から流れて行く樹液を見て、ふと何かを思い付いたように立ち止まると、ニヤリと笑みを浮かべる。そして──。
☆☆☆
「さぁ、いらっしゃいいらっしゃい! 世界樹の樹液が入った冷たい飲み物だよ!」
行商人が声を張り上げると、市場を歩いていた多くの町人達がぞろぞろと集まってきて、露店へと群がる。
「世界樹の樹液だって? 本物だろうね?」
「正真正銘の本物さ、試しにちょっと飲んでみるかい?」
行商人が差し出したコップをどれどれと受け取った町人はそれを恐る恐る口に運び、コクリと喉へと流し込む。そしてその顔を驚きと感動に歪めながらコップの中の液体を飲み干した。
「こいつぁ美味い! それに力が湧いてくる! これは間違いなく本物だ!」
「そうだろうそうだろう? さぁ、もっと欲しけりゃお代はここに! 寄ってらっしゃい寄ってらっしゃい! 世界樹の樹液が入った冷たい飲み物だよ!」
あれから行商人は、男が作った世界樹の傷から滴る樹液を桶に溜め、新しい商売を始めた。そしてそれは瞬く間に町中に広まり、大繁盛となっていた。
「しかし、世界樹の樹液なんてどこから仕入れてきたんだい? 新しい採取場が見つかったという話は聞かないが」
そう尋ねる町人に、行商人は「そいつぁ教えられねぇなぁ」と意地悪く笑うのであった。
その日の商売が終わると、行商人は樹液の回収も兼ねて男の元へと食料や水を持って行く事が日課となっていた。
「いやはや、旦那のおかげであたしは大儲けでさぁ。ほら、今日の分のメシだ」
商売を始める時、行商人はその売り上げを男と折半しようと持ちかけたのだが、男は頑なにそれを拒んだ。その代わりに行商人が毎日差し入れをするのを黙って受け取るようになった。
「うひひ、今日もたっぷり溜まってる。世界樹様々、旦那様々だねぇ」
行商人は桶に溜まった樹液を回収しながら、相も変わらず斧を振り続ける男へと話しかける。
「旦那、どうして世界樹を切り倒そうとしているのか、そろそろ教えてくれてもいいんじゃないですかね? いやね、別に言いたくないならいいんですが、こう毎日カコンカコンしてるのを聞いてると益々気になってしまいましてね」
男からの返事はなく、辺りにはカコーンカコーンという乾いた音だけが響き続ける。行商人は桶の中身を回収すると、ため息をついて家へと帰る事にした。すると──。
「頼みがある」
男が口を開いた。
「え……?」
初めて男の方から話しかけられ、行商人は思わず聞き返す。すると男は斧を振る手を止め、行商人へと向き直ってこう言った。
「もし明日も来るのであれば、新しい斧を頼めないだろうか」
男の手に握られている斧は、刃こぼれがひどく今にも折れそうなほどにボロボロになっている。
唖然としていた行商人は、ハッとして言った。
「あ、あぁ! 斧ね、斧! はいはい、お安い御用ですよ。儲けさせていただいてるのでね、斧の一本や二本、えぇ、いいですとも」
翌日、行商人は鍛冶屋で一番大きな斧を買ってきて、男に手渡した。それを受け取った男は握り心地を確かめて、また、斧を振り始める。
男が置いた古い斧の柄には血が滲み、指の形がくっきりと浮き出ており、男の並々ならぬ執念が感じられた──。
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