第56話 船出

 夏の盛りを過ぎつつあるシュタイオンでは、冬小麦収穫後のソバの作付けも概ね済んでいるのだが、更なる食糧増産に向けて開墾とソバ、豆、芋の畑を積極的に拡大している。


 なにしろトビアスは俺との約束を果たして早速シュタイア人移民を送り込んできている。

 およそ100人ずつの集団で到来する移民団は、すでに3度で300人程を数え、そのほとんどはランダーバーグ王国北部域で農民だった者たちである。


 …まあ、要するに動乱で農地を失った難民をシュタイオンに押し付けている側面もあるわけだが、こちらの要望と合致しているので文句はない。


 中には北部の各領地で専業兵士だった者もわずかに含まれていて、そうした者から10名を近衛軍に加え、さらに国防軍の希望者からも10名、そして補助軍からも選抜して10名の計30名を近衛軍に加えている。


 これは前回のバリタ人襲来で痛感したことだが、既存の民と新たな民の早期の融和を目指すならば共に剣を執って戦うことに勝る近道はないのだ。

 なので、俺は今後も補助軍からの近衛軍への登用を進めていくつもりである。


 …流血を政治に利用する酷薄な為政者と思われるかも知れないが、流入し続けるフレムド人に対して過剰な警戒論が湧き起こらないようにするためなら、使える物ならば血でも汗でも何でも使っていくつもりだ…。


「ご主人様! パベルくんがもっと壺が欲しいって! だからね、だからね…」


「お妃さま、仲良し~」


「へーか、いいにおい!」


 俺のほんのちょっとの鬱思考をも決して見逃さないミンが抱きついて来て、それを真似するエルフ幼姫たちも飛び込んで来たので俺はあっという間に幼女まみれになってしまった。


「そうか、ミクリングの秘薬を納めるには素焼きという訳にはいかんからな…。もうちょっと待ってもらえるように言っておいてくれ」


 そう、今夏の来訪者の中にはあのミクリング族のパベルもいたのだ。

 東の森の洞窟でペニシリン原料のアオカビを大量に発見した俺は、王都のヨーナスを通じてミクリング族に移住を打診していたのである。


 俺はパベルと家族だけでも来てくれればと考えていたのだが、なんとパベルは自身の家族に加えて兄弟たちとその家族も合わせて30人程でシュタイオンにやって来てくれた。


 彼らは俺の客分なのでシュタイオン内に住居を与えているし、ミクリング族の秘薬を納入することと引き換えに生活のすべてと多額の報酬も保証している。


 ミクリング族の子供たちは館にもよく出入りしていて、すでにミンや幼姫たちともすっかり仲良くなっているところである。

 …どうもミンたちはミクリング族の大人と子供を区別していないフシがあるのだが、まあそれはいいだろう。


 俺が幼女まみれでワチャワチャしているところに、軍務大臣兼国防軍司令官のフリッツが入って来るのが見えた。


 フリッツは移民団の人別検めも担当しているので、このところは大忙しなんだが…何かあったかな?


「陛下、先の移民団に宮廷魔術師長の妻と称する者がおりまして…」


 アレクシスの妻だって?

 アイツ結婚してたのかよ。


 まあいいか、アレクシスの役宅も既にあることだし、夫婦で仲良く暮らしたらいいじゃないか。

 ともかく紹介くらいはしてもらおうかな?


 俺は両名を館に出頭させるように指示を出した。






「…いいえ、陛下。 この者は…」


「妻でございます」


 俺の眼前で何やら揉めている男女は、方やディアーダ王国宮廷魔術師長アレクシス、もう方やはヴェローニカと名乗った気の強そうな美人女性である。

 えーと、顔見知りなのは間違いなさそうだけど、面倒な話はやめてくれよ…?


「ディアーダ王! アレクシス様は私を伴侶とする誓いを立てられました! 私はそれに従ってこの地まで夫を追って来たのです!」


「そ、そのようなことは…!?」


 いやぁ、女の身一つでよく来たねえ…もう妻でいいんじゃないか?

 聞いてみると彼女は王都魔法一門の一員で、してみるとアレクシスとは同門だったわけだな。


 それならば女の一人旅も頷けるか。

 一見きれいな女性にしか見えないが、およそ常人では成しえない魔法の力を行使するんだろう。


「間違いありません! ここに私の父がアレクシス様と交わした証文がございます!」


「む、むぐ…!」


 えーと、なになに…?

 アレクシスの魔法研究のための費用を彼女の父親が貸し付けていて…、こりゃ結構な額だぞ。


「アレクシスよ、そなたはこの借銭をただちに返済しうるか?」


「…叶いませぬ」


 お前…。

 彼女と結婚することを匂わせて借金をして、それを踏み倒して逃げて来たんならこれもう結婚詐欺じゃねえか…。


「ヴェローニカよ、アレクシスの伴侶となるからには、家族の間に借銭などあるまいな?」


「もちろんでございます」


 この借金は無かったことにしてくれるわけだな。

 よし、じゃあ決まりだ。


「よかろう。ディアーダ王ソーマ・タイラーの名において、ヴェローニカを宮廷魔術師長アレクシスの妻と認める」


「陛下!?」


 満面の喜色を浮かべるヴェローニカとは対照的に、アレクシスは元から白い容貌をさらに青白くしている。

 …お前が蒔いた種なんだから諦めなさいよ。


 というか、こんな美人の嫁さんの何がそんなに不満なんだよ?

 ヴェローニカに腕を取られたアレクシスは小鹿のようにプルプルと震えている。


「いずれ家族が増えるならば、宮廷魔術師長の役宅も建て増さねばなるまいな」


「へ、陛下! いまだ陛下と妃殿下のご成婚の儀も執り行われておらず…! 臣下の身である私が先に華燭の典を挙げるわけには…!」


 往生際の悪いアレクシスが何やら粘っているが…、お前そんなの待ってたら何年後になるんだよ?


「それは良いご提言でございます。陛下のご成婚の儀も、是非とも今年の内に執り行いましょう」


 急に割り込んで来たのは典礼大臣のエルネスタで…、今年中って言わなかったか、いま?

 概して気の早いのが多いシュタイオンだが、落ち着いた年齢のエルネスタまでそんなことを言うとは意外だな…。


 ふとミンの方を見ると、キラキラとした瞳で俺を見つめている。

 いやいや…。


「ご主人様、約束の通りだよ! ミンは春に大人になったから、お妃様!」


 …ん?

 いやいや…えっ?


 この世界の人々は冬が明けると一斉に年を取るから…ミンは15歳になったところだよな?

 俺も不本意ながら30歳になってしまったわけで…。


 …いやこれは、まさか。


「エルネスタよ…、ディアーダ王国では成年とはいくつのことを指す…?」


「はい、ディアーダ王国に限った話ではありませんが…。成年とはもちろん15歳のことでございます」


 Oh…。

 俺はてっきり数年後の話だと思っていたが、ミンは今年のつもりだったのか…。


 …いやいや、いくら何でも15歳の少女を、というか数え年の世界なんだから満年齢で言ったら14歳だよな!?


 詳しく聞いてみるとミンは夏の生まれらしいので、満年齢で言ってもなんとか15歳なのか…。

 でもダメです! アウトです! 二代続けてロリコン王朝になってしまいます!


「ご主人様…、約束…」


 うっ…、ミンがウルウルとした瞳で俺を見上げている。

 俺たちを取り囲む幼姫たちもハラハラとした面持ちで固唾を飲んでいる。


 …このとき俺の脳裏には、この世界にやって来たあの日からの、一年あまりをミンと一緒に過ごして来た思い出が駆け巡っていた。


 最初は真っ黒で女の子かどうかもよく分からなかったんだよな…。

 いきなり流血シーンの連続で怯んでる俺をグイグイ引っ張っていって…、その後はどこを旅するにもずっと一緒で…。


 …まあ、何年後かにはそうしようと思っていたことだしな。

 だいいち、ミンの他にいったい誰を妻にしようと言うのか。


「…分かった。成婚の儀は典礼大臣にすべて任せる」


 わあっ! と喜びが広がって、どこから持ち出したのか花びらを振りまく幼姫たちに囲まれて、ミンは過去最高出力のムフーで花びらを吹き荒らしている。


 そんな中で、アレクシスはヴェローニカに引きずられて退出していく姿が見えたが、まあお前らも仲良くやってくれよ。


 周囲の臣下たちも祝賀ムードであるが、中でも侍従長と侍女頭も兼任しているエルネスタはとんでもないことを言い出した。


「陛下、お世継ぎのことは成婚の儀をお待ちになられなくとも、秋ごろであればお腹も目立ちませんし…」


 それはダメだ!

 いくらなんでもそれは、先代王と何が違うのかという話になってしまう!


 俺は斎藤さんとは違うんだ…!






「ヴィーク人の船とは本当に堅牢であるな…」


「ははっ! 我ら一同、陛下の御座船に相応しい操船をおこなって見せます!」


 そばに控えたイェルドと亡命ヴィーク人船員たちが誇らしそうに胸を反らしている。

 乗り込むのは近衛軍と補助軍60名ずつ、計120人の軍勢と船員を合わせてもヴィーク船はまだ積載に余裕がありそうである。


 まあ、荷物は全部俺の『収納』に収まってるからね。

 なおさら人間を多く詰め込めるというわけだ。


 …それで何をしているのかというと、これからバリタニエン島に遠征に向かうのである。


 だってあいつら、ついこの間シュタイオンに攻めてきてウチの民を殺したからね。

 遺棄された旗印やら、残された死体が身に着けていた武具の紋章やら、下手人を割り出す材料は十分にあるからね。


 ディアーダ王国の民を殺めたからには、その罪過を命で贖ってもらうぞ。

 何者であれ許すことは無いのだ。


 俺たちを乗せたヴィーク船がシュタイオンの桟橋を離れ、多くの見送りが手を振る中で、バリタニエン島に向けて出航した。


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