閑話:リリアーナの場合

 

 

 第一王子殿下の婚約者候補の打診が来た時、お父様は上機嫌に快諾してしまった。


「我が家門から王妃を輩出できる!」


 お父様、気が早すぎるわ。

 まだ王太子が定められていないというのに。


 第一王子殿下が最も有力と言われてはいるけれど、とても傲慢で冷たい人柄だという噂もあるわ。


「コルドウェル領を田舎だと馬鹿にする中央貴族どもの鼻を明かせるぞ!」


 ああ、本音はそこね。


 お祖父様が手腕を買われて、陞爵と共に、このコルドウェル領の領主となったのはもう三十年近く前。

 荒れ果てた穀倉地帯を蘇らせるという、大事業を成し遂げた偉大なお祖父様とは違って、お父様はこの領地を嫌っている。


 国の西側の大領地。とはいえ、ほとんどが小麦畑。

 初夏の青々とした海原。

 収穫期の黄金の海原。

 お祖父様に連れられて眺めた壮大な景色が脳裏に甦る。


 でも、お父様はそんな景色を見ようともしない。

 気になるのは収穫量、つまりはお金という数字。

 そして、お祖父様を讃える人々が、出来の悪い息子という目で見るのを嫌い、彼らの鼻を明かす事に情熱を注いでいる。


 だからか、継嗣である私に皆が期待を寄せていた。

 この土地の事、農作物の事、領地運営の勉強もしている。

 それに――


「お父様、私は次期領主となるべく励んでまいりました。それに結婚を約束した方もいるのです。どうかお断りしてくださいませ」


 病床にいるお祖父様が目を掛けている方と、私は内々に婚約をしている。

 とても穏やかな方で、一緒に麦畑の視察に向かったり、これからのコルドウェル領の事を話し合ったり、静かに絆を深めているわ。


 パンッ――


 打たれた!

 衝撃を受けた左頬が熱くなっていく。


「そんなものは反故だ! おまえはユーリウス殿下の妃になり、王妃となるのだ!!」


「では誰が跡を継ぐのですか!? 妹のルシアナは、領地の勉強を何一つしていませんわ!」


 ベネシアン家の嫡子は二人。私と一つ年下の妹の姉妹だけ。


 最初は妹も一緒に勉強していたけれど、じっとしている事が苦手で、人から強制される勉強も嫌い、一般教養ですら満足に修めていない現状。

 今から教える事は出来ても、覚えてくれるか甚だ怪しいわ。

 それなのに……


「口答えするな!! ルシアナの出来が悪いなら、出来る奴を婿にすれば良い!」


 激高するお父様が、ニヤリと口元を歪めた。


「そうだ、父上推薦の、おまえと婚約の口約束をしたコクランを、ルシアナの婚約者に据えよう。それで問題ないな」


「お父様!!」


 お父様から私は疎んじられている。

 私がお祖父様に可愛がられているから。

 他にも理由があるのかもしれないけれど、一番の理由はそれ。


 ヒドイ! ヒドイ!! ヒドイ!!!




「泣かないで、マリー」


 コクラン様の低く落ち着いた声に顔を上げる。

 すぐにハンカチで目元を覆い隠したけれど、みっともない顔を見られてしまったわ。


 麦の穂の色の髪に茶色い瞳の彼。

 とても落ち着く色合い。私の好きな色。

 彼の側は落ち着くの。きっと魔力の相性が良いからだわ。


 六歳も年が離れているけれど、私を子供扱いせず向き合ってくれる人。

 既にミドルネームを呼んでもらっているの。


「わ、私……」


 ――あなたと結婚出来ない。


 そんな事、言いたくないわ!


「第一王子殿下の婚約者候補に指名されたんだってね。おめでとう、とは言わないよ」


「……コクラン、様」


「先代様に望まれた縁組だったけれど、王家に歯向かう事は出来ない。それは分かるだろう?」


 宥めるように頭を撫でてくれるけれど、その目は諦観の色が強く、伏し目がちに目を逸らされた。


「もう『マリー』とは呼ばない」




 将来を誓い合った人を失った。

 次期領主という地位も失った。

 残されたのは、望んでいなかった“第一王子の婚約者候補”という立場。


 それならば――


 戦い、勝ち取るしかない。

 望みもしない“王子妃”という立場を。

 あるかもしれない、“王妃”という地位を。


 同じステージに上がったのは四人。

 そして追加された五人目。

 同じ家格の侯爵家令嬢。御年十歳。

 しかも、国王陛下のご指名だと聞きつけたわ。

 一番のライバルはアリーチェ様かと思っていたけれど、もしかしたらその子かもしれないわね。


 第一王子殿下主催のお茶会。

 候補者たちの初顔合わせ。

 令嬢たちの言葉の応酬に揚げ足取り。

 そんなもの、微笑んで乗り切って見せる。


 なのに――


「何という無様を晒しているのだ!? さっさと治せ!」


 第一王子殿下の魔力に当てられ、なんとか意識を保っていようとしたけれど、その後の記憶がない。

 今目覚めて、お父様の罵声に晒されている。


「魔力器官というのは大変繊細な臓器です。一気に治してしまうと、弊害が大きいのです。ゆっくり時間をかけて、徐々に回復させませんと二度と魔法が使えなくなりますよ」


 お医者様らしき方がお父様を諫め、部屋から追い出してくれたわ。

 その方は王宮から派遣された医務官で、現状の説明と、これからの治療方針を話してくれた。


 どうやら軽く済んだのはアリーチェ様、レイチェル様、カタリーナ様。

 あの時、すぐに気を失ったお三方。魔力耐性が弱いせいらしいわ。


 その後、治療の傍ら話を聞くと、一番重傷だったのはあの子、ベアトリス様。

 私よりも目覚めが遅く、もうじき今年も終わるというのに、まだろくに歩けない様子。

 ヴァルモア侯爵が婚約者候補辞退を申し出るほど。

 だけど、何故か王家はそれを承諾しないのだと、お父様がキリキリしていたわ。


 私の治療は順調ではあるけれど、まだ完治には至らず、手足が冷えて体の動きが悪いの。

 とてもダンスを踊れる状態ではないのに、お父様に無理やり年始の大舞踏会に連れて行かれてしまったわ。

 お医者様にも、まだ無理をしてはいけないと言われているのに。


 淑女の微笑みアルカイックスマイルを張り付けているのがやっと。

 ステージに上がり紹介されているのに、その声も、会場にいる人々の声も遠いわ。


 誰かに大広間から連れ出され、控えていたお医者様が私に駆け寄る。

 そして――記憶が途切れた。


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