第20話『テオドール』フランシス視点。

国防を担う兵士達の練兵は、私が宣言した通り、苛烈を極めるものだった。


 もしこれが出兵に赴く前でなければ、貴族の子息達への接待として多少の配慮もあったかもしれない。


 けれど己の生死を分けるかもしれない練兵へ、浮足立った子供が面白半分で参加することを疎ましく感じる兵士も多かった。


「遅い! そんなことでは戦場では生き残ることなどできないぞ!」


 初めに執り行われた長時間休む事なく走り続ける訓練では、練兵への厳しい叱責とその迫力に泣き出して、練兵に参加した子供達は次々と脱落していった。 

 

 中には遅れながらも練兵に食らいついていくテオドールの姿に、触発され奮起した者もいた。 


 しかし元々貴族と言う身分もあり傅かれる生活が当たり前の子どもたちが大半。


 甘やかされ自尊心が高い子供達の中には、見下していたテオドールについていけない自分を認められず、妨害しようとして連兵への参加資格を剥奪された者も少なくなかった。


 練兵後も他の子供達が親に引き取られ、それぞれの屋敷へと帰っていく。


 しかしすでに正妻の実子である兄二人が脱落していたためか、いつまでも迎えが来ないテオドールは一人、黙々と刃引きした長剣を上から下へと振り下ろし続けていた。


「フランシス様、会議中失礼致します」


 敵軍の掃討作戦の会議中に遠慮がちに天幕へとやってきた隊長格の男に呼び出され、私は練兵場へとやってきた。


 既に修練を終えて休んでいるはずの多くの兵士が、暗くなった練兵場に残っている姿に目を疑った。


「既に練兵を終えているだろう、何があった?」


「それが、フランシス様がお預かりしてきた子供が一人残っておりまして、迎えが来るまでと子供好きな兵士が相手をしているうちにこのような状態になりました」


 一人で剣を振り回していたはずのテオドールを取り囲むように沢山の兵士が、一緒になって長剣を振り下ろしている。


 出兵前で殺気立ち、生きて家族には会えなくなるかもしれない不安に精神的に追い詰められていく兵士が多かった。


 だが目の前にいる疲れているはずの兵士達の表情は明るい。


 己の子供や兄弟に接しているように、その表情は楽しげだ。


 楽しげだが……休息が必要なのも事実だ。


「もう修練は終わりにしなさい」


 声を掛けたことでやっと私が来たことに気が付いたらしい兵たちの中でも、私の性格を熟知した隊長格の兵士達が不満そうに声を上げる。


「このままではその子供が倒れるがいいのか?」


 テオドールはギラギラとした目をして元気そうにしてはいるものの、気を付けてみれば僅かにふらついていることがわかる。


「わっ、解散だ解散!」


「坊主、また来いよ!」


「無事戻ってきたらまた稽古してやるからな」


 テオドールの頭をぐりぐりと撫でたり、肩や背中に手を置かれたりと、どうやら兵士達に認められたようだった。


「はい! ありがとうございます!」


 深々と下げられた頭の高さに眉をひそめる。


 貴族は基本的に女性ならドレスの生地を摘み上げてするカテーシーと呼ばれる礼をする。


 そしてテオドールを含む男性貴族はボウ・アンド・スクレープと呼ばれる礼をする。


 まず右足を軽く引き、交差させるように左足の後ろへと下げる。


 そして右腕は胸の前で左脇腹の前に手のひらを向けるように、そして左手は少し体の外側へ開くように伸ばすのだ。

 

 これは貴族社会における伝統的な男性のお辞儀で、貴族籍の子息ならば幼い頃から覚えさせられるのだ。

 

 本来ならばブリュッセル伯爵家の令息であるテオドールがするべき礼は、ボウ・アンド・スクレープだ。

 

 正式な場所ではないことも影響しているだろうが、貴族と平民、奴隷では礼の際に下げる頭の高さも違ってくる。


 貴族同士であればボウ・アンド・スクレープだし、平民同士なら会釈だけだ。


 奴隷は同じ身分の奴隷以外の地位のものへ挨拶するときは地面への平伏だ。


 そして兵士達へテオドールが自然になんのためらいもなく取った礼、相手に対して深々と頭を下げる所作は、使用人の作法だ。


 子供は基本的に躾けられた礼が出てくる。


 伯爵令息であるテオドールが、ここまで自然体でこの使用人達の礼が出てくるのは、おかしいのだ。


「さぁ、テオドールは私が彼の家まで送るから皆ももう休め」


 テオドールの隣に立ちながら、自分達の宿営場所へ散っていく兵士達を見送る。


「君も家へと送ろうか」


「……はい」  


 私がそう告げれば先程まで生気に溢れていた表情が、途端に人形のように曇ってしまう。


「その前に、その両手を治療しなければならないな」


 一心不乱に長剣を振り回し続けたことで潰れたであろう血豆から、まだ流血しており見るだけでズキズキと痛むだろうことが見て取れる。


「少し滲みるぞ」 

  

 応急処置の消耗品が入れられた木箱を取りに戻り、テオドールを連れて井戸に移動する。


 滑車を使って井戸から組み上げた水を、その手に掛ける。


 痛そうにギュッと顔をしかめたテオドールの手の平を確認して、私はポケットに入れたままだった傷薬の入った木彫りのケースを取り出す。


 傷付いた掌に優しく塗り込んで包帯を巻く。


「痛いだろう」


「いいえ、平気です」


 柔らかいはずの掌は剣だこで以外の場所も固くなり、普段から労働している物の手のひらのようだった。 

       

「随分と無茶をしたのだな」


「申し訳ございません……」

 

 疲労でふらつく身体も手のひらの痛みも気にならないほどに、テオドールは真剣に鍛錬へ参加し、夢中で剣を振り続けた証だった。


「私達は必ず生きて帰ってくる、そしたら今度こそ私が君の稽古をしよう」


「本当ですか!?」


 ションと項垂れていた姿が嘘だったように、その目に生気がもどっている。


「約束の証にこれをあげよう。 私達が帰って来るできちんとした薬を塗って治しておきなさい」


 テオドールの掌にキズ薬の入ったケースを渡すと、大事そうに両手で握りしめているテオドールをブリュッセル伯爵家へと送り届けた。


 その後戦地で勝利を収めた私が、テオドールの両手が治っているか確認するため、再び訪問したブリュッセル伯爵家で目にしたのは……


 

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