第10話『イレギュラー登場』


 初めての月経は私の予想していたものよりもずっと重いものだった。


 前世では出血はするものの、それに付随する各種症状はほぼなく、友人から恨めしそうな視線を受けるくらいに軽かったのだ。


「お腹が痛い……腰も頭も痛い……」


「月経ですから仕方がありませんわ、医師から購入した痛み止めのお薬を飲まれますか?」


「いや、飲まない!」


 この世界の薬は基本的に粉末状にした薬か煮出した汁物が出てくる……それも苦くて青臭いやつだ。


 汁物タイプは生の薬草を使っているようなので仕方がないとしても、乾燥させた粉末を練って丸めるとか出来ないものか……


 良薬口に苦しとはいうものの、タブレットタイプの錠剤やカプセルに入ったもの、または粉薬、顆粒剤であっても甘く加工された薬のイメージしかなかった。


 ……奴隷に薬なんて高価なもの与えられるはずもなく、この世界で産まれてはじめて口にした薬を父様に盛大に吹き出してしまうという黒歴史を作ったのは記憶に新しい。


「口直しに甘味をご用意しますからお飲みください」


 決意を新たに渡されたコップを力いっぱい握りしめ、緑色の色彩が毒々しい薬湯を口に入れて一気に飲み込んだ。


「うぇー、美味しくない……」


「頑張られましたね」


 ご褒美の甘味は蜂蜜味の飴玉だった。


「さぁさぁ温石を持ってまいりましたから早く休みましょう、王妃殿下のお茶会の日程と被らずに幸いでした」


 確かに……お茶会で月経が始まれば、私の社交界デビューは代々語り継がれることになったかもしれない……もちろん悪い意味で。    


 それからもマナーの勉強や王族に対しての礼儀作法、上級貴族として相応しい立ち居振る舞いなどの個別レッスンをこなしているうちに、気が付けば王妃殿下のお茶会の日になっていた。


 朝早い時間からパメラに掛ふとんを強奪され、湯に入れられる。


 全身洗い清められ、ムダ毛を処理され全身ツルツルピッカピカだ。


 髪を整え、化粧を施しその上でお母様のドレスのデザインに似せて手直しした水色のドレスを身に着ければ、見た目だけはどこからどう見ても生粋の可憐なご令嬢に見えるだろう。


 そう、優雅に伸ばした指先がぷるぷるいっていたり、唇の口角がヒクヒクいっていたりといった細かいところさえ気にしなければ大丈夫だろうか……


 奴隷から貴族の……それもご令嬢方のお手本になるべき高位貴族のご令嬢……私には荷が重いんだってばよ!


「まぁまぁグレタお嬢様、とてもお綺麗ですわ」


 パメラの言葉に侍女達がにこやかに頷いている。


「パメラ、みんなありがとう」


 全身を映し出す鏡の中には、ハーフアップに髪を結い上げた美少女が微笑んでいる。


 うん、誰だこれ!?


 水色から深い藍色に変化するアシンメトリーなデザインのドレスには、星に見立てているのか小さな宝石が散りばめられている。


 キラキラと輝く金髪には私の瞳に合わせた青い宝石の髪飾りが飾られており、光加減で赤にも見える気がするのだが、気のせいか?


「そろそろ用意は出来たか?」


 ガチャリと扉が開いて、出かける準備を整えたテオドール様が部屋へと入ってくる。


 濃紺に水色の刺繍が施されたベストを身に着けたテオドール様が大変凛々しくて目の保養です。


 胸元を飾るブローチは私の髪飾りと、同じ石なのか青く見えたり赤く見えたりする。


 せっかくマナーの講師に習ったので、これまでのおさらいと王妃殿下へ挨拶する時の練習を兼ねて、左手でドレスのスカートを摘み右手の指先を胸の前、心臓があるとされる場所へ当てる。


 これは自分よりも目上の者に対する礼なのだそうだ。


 自分よりも爵位が低い方から挨拶を受けるときにはドレスのスカートを両手で軽く摘む。


 ちなみに私は公爵令嬢なので王族と各貴族家の当主が目上の者に当たるのだそうだ。

 

「見違えたな、そうしているとお淑やかなご令嬢に見える」


「テオドール様! 私いっぱい頑張ったんです!」


「口さえ開かなければな……ご令嬢言葉が抜け落ちたぞ?」


 テオドール様の指摘にうぐっと言葉に詰まる。


 だって、ご令嬢言葉が難解過ぎるのよ……何でもかんでも遠回しに回りくどく行ってくるのだ。


 なぜトイレに行く事をお花摘みに行くと言うのだろう。


「おほほっ、私をエスコートしてくださる騎士様はお冗談が上手ですこと」


 言質を取られたくない時はこれで話を流すように教わった。


「ぶっ! あははは……いや、なんでもかんでもそれで返すのは可笑しいからな?」


 私の返答がどうやらおかしかったらしい、まぁいっか。


「ほらいくぞ?」


 差し出されたテオドール様の右手に右手を乗せると、そのままテオドール様が手の甲へ口づけする振りをしてみせた。


 うぐっ、流石主人公……紳士として淑女に対する挨拶として間違ってはいないのだが、こういった扱いに慣れていない私の乙女メンタルへの破壊力が高すぎる。 


 イケメンに対する抵抗力も恋愛に対する耐性も皆無なのですよわたしは!


 あまりの衝撃に一瞬フリーズしていたらしい、気が付けばテオドール様の左腕へと掴まり階下で待つフランシス父様の元へと誘導されていた。


「グレタ、とっても綺麗だ、やはりうちの娘が世界で一番可愛いなぁ」


 階段を降りてきた私を見てそれまでキリリとした雰囲気で執事と話をしていたフランシス父様が、愛おしいと言わんばかりに目尻を下げてこちらへやってきた。


「フランシス父上、俺もいるのですが?」


「うむ、テオドールも凛々しくなったな、だがグレタはやらんぞ?」 


 真剣にそんなことを言い出すフランシス父様に、テオドール様がうんざりしたようにため息を吐いた。


「父上、そろそろ出発しないとまずいのではありませんか?」


「王家の連中など待たせておけばいい……」


 普段穏やかなフランシス父様の雰囲気が一気に冷える。


 フランシス父様は王家にあまり良い印象を持っていないのかな?

  

 そんな雰囲気も一瞬で霧散するとにっこりとフランシス父様が、テオドール様から私のエスコートをもぎ取った。


「はぁ……大人気ありませんよ父上」


 ごきげんなフランシス父様の姿に、諦めたようにテオドール様が先に馬車へと乗り込む。


「さぁ馬車に乗ろう」


「この手に掴まって」

 

 馬車の中から差し出されたテオドール様の大きな手のひらに、自らの手のひらを乗せるとぐいっと馬車の中へと引き入れられた。


 三人でいつものように談笑しながら王城へ向って出立した。


「わぁ!」


「こら、きちんと座席に座らなければ危ないぞ?」


 奴隷のときは奴隷商館と鉱山のある奴隷区内、公爵令嬢となってからはリンドブルク公爵邸から出たことが無かった私は、初めて目にする王都の姿に目を輝かせて馬車の窓へと貼り付いた。


「父様! あれはなんですか?」


「あぁ吟遊詩人だろう。 ああやって歌や踊り、異国の話をしながら生活しているのさ」


「あれはなんですか?」


「市場だよ、王都に店舗を持たない商人が国中外から集まり場所を借りて商売するんだ」


「楽しいのはわかったから少し落ち着かないと、茶会が始まる前に疲れ果ててしまうぞ?」

 

 あれはなに? これはなに? と質問ばかり繰り返す私の姿に父様が答えて、はしゃぐ私にテオドール様が心配してくれている? いや呆れていると言ったほうが正解かな。


 本当は市場や吟遊詩人が出入りする平民街に行く必要は無いのだが、私の反応に味をしめたフランシス父様が遠廻りを指示していたようだ。


 ようやく王城をぐるりと囲う高い壁が続くようになると、馬車が何台も壁に沿って整列している。


 しかしそんな馬車たちの横をすり抜けてリンドブルク公爵家の馬車は、そのまま王城へ続く正門を走り抜けていく。

 

「と、父様……順番待ちしている馬車を追い越してよろしいのですか?」 


 追い越しや割り込みに罪悪感を感じるのは私だけなのだろうか……

 

「あぁ問題ないよ……リンドブルクは公爵家だからね、王城へは優先的に通されるんだよ」


「毎回のことだが、社交の度に公爵家で良かったなぁと感じますね」


 確かにこの馬車の渋滞は辛いものがある。


「馬車を降りる場所も乗る場所も爵位によって分けられているからね、それほど問題にもならないんだよ」


 しばらく進むと広場のような場所に出る。


 広場の中央には三箇所の円形の花壇が並んでいるようだ。


 その花壇と花壇の間を抜けるように馬車が車体を回すと反対側の通路へと進み、そこで馬車の持ち主をおろしているようだった。


 テオドール様の話だと一番城のエントランスへ続く大扉に近しい場所から公爵家、辺境伯家、ニつ目の花壇に侯爵家と伯爵家、子爵家と三つ目以降の花壇は男爵家以下が降りることになるらしい。


 階級による縦社会の貴族は、爵位が下がると遠くから歩くことになるそうだ。


 リンドブルク公爵家の馬車はそのまま王城の正面、立派な装飾が施された大扉の前に横付けされる。


 先に降りたテオドール様のエスコートで馬車から降りる。


 その直後にフランシス父様が降り立ったことで他の貴族たちの視線が集まった。


 前から思っていたけれど、テオドール様もフランシス父様もタイプは違うがふたりとも美形に間違いないのよね。


 テオドール様はワイルド系イケメン、フランシス父様は優しそうな王子様系イケメン……そりゃぁ御婦人やお嬢様方の視線釘付けよね。


 うちのテオドール様とフランシス父様かっこいいでしょー!と自慢して歩きたいくらいなんだから!


「グレタ、ほら行くぞ?」


 テオドール様に促されて足を進める。


「残念だが私はここから別行動になる……テオドール、グレタを頼む」


「お任せ下さい父上」


 頭の上で話されるやり取りを聞きながら、フランシス父様とお別れしテオドール様のエスコートでどんどんと王城の奥へ奥へと進んでいく。


 今日のお茶会は王城の奥にある庭園で行われるらしい。


 すでに庭園の花々に負けないほど色とりどりのドレスを身に纏ったご令嬢達がこちらも招待客だろう令息達と歓談している。


「うわぁ、すごい」


「そうだな、流石王城の庭園だ」


 残念ながらテオドール様は美しく着飾ったご令嬢達ではなく美しく整えられた庭園に目を奪われているようだ。


 いつまでも入り口で立ち往生していては他の来客の邪魔になるため、テオドール様がゆっくりと優雅に見えるように庭園へと踏み出していく。


「グレタ、私達は公爵家なので自分たちから挨拶する必要があるのは王家と他の公爵家だけだ、後は席にいれば向こうからやってくるからな」


 そう話しながらゆっくりと王家の方々が座っている席へと進んでいく。


 ここでもすでに並んでいる方々がいたのだけれど、テオドール様を見知っているのか先へと回される。


「王妃殿下並びに王女殿下、王太子殿下にご挨拶いたします、リンドブルク公爵家よりテオドール、グレタが参りました、本日はお招きいただきありがとうございます」


 テオドール様の挨拶に合わせてドレスのスカートを左手で軽く摘むようにして持ち上げ、右手を胸元につける。


 ちゃんと礼儀作法の授業で習ったように出来たので大丈夫だろう。

   

「よく来てくれましたねテオドール・リンドブルク小公爵、こちらの愛らしいご令嬢がグレタ様かしら?」


「はい王妃殿下、グレタ・リンドブルクと申します、本日はお招きいただきありがとうございます」


 声をかけていただけたのでご挨拶する。


「グレタ様は初対面ですね、こちらは私の子で第一王女のエステル・グラシアル、そしてこの子が……」


「母上、自分でご挨拶させてください」


 そう言って隣りにいた少年が王妃殿下の言葉を遮った。


「あらあら、ではどうぞ?」


 にこやかに王妃殿下が許可を出すと、一段高いところにいた少年が私の前に降りてくる。


 こうして並ぶと私の身長よりも少しだけ少年のほうが身長が高い。


 少年がちらりと確認したのは私の身長だろうか?


「はじめまして、私はグラシアル王国王太子、アルノルフ・グラシアルだ」

  

「ふふふっ、アルノルフが自分から名を名乗るとは珍しいこともありますね」


 コロコロと愛らしく笑いながらエステル王女がアルノルフ王子殿下の頭を撫でる。


「姉上、やめてください! 私はこどもではないのです!」


 不機嫌そうにエステル王女の手を払い除ける。


「これふたりともそれくらいになさいませ」


「はい」


「申し訳ございません」


 王妃殿下に注意され素直に謝るお二人の様子が愛されて育って来られたのだと感じさせる。


 でも、一つ言っていいだろうか?


『グラシアル英雄伝』に王太子なんていなかったんですけど!?      

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る