第4話


       *


 入学から一ヶ月が経過した。その日の昼の休み時間は、アグドラが側に居なかった。

 たまに姿を消す謎の時間である。何をしているのかは知らないが、ユリシアは彼の仕事の都合だろうと思っているから深追いをしたことはない。

 しかし昼休みという長い休み時間にアグドラが消えたのは初めてのことだ。これ幸いと、ユリシアは初めて教室から外に出た。

 入学から一ヶ月も経つと、オリエンテーションも全て終わり、生徒が学園にも慣れてきたということで、もうすぐ専攻科目が実施される。

 ユリシアは宣言通り騎士学を選択した。アグドラは薬草学で、最後まで「薬草学にしておけ」とユリシアに突っかかっていたが、もちろんユリシアが聞くわけもなく、アグドラは終始不機嫌そうにしていた。

 さて、この時間は裏庭に彼女が居るはずなのだが。

 お弁当を持ったユリシアはさりげなく辺りを見渡す。

「あなた、どういうおつもりかしら。シオン様が誰の婚約者かご存知?」

 怯えるように立ちすくむ女子生徒を相手に威圧的な物言いで仁王立ちをしているのは、王太子の麗しの婚約者である。

 女子生徒は校舎の壁に追い詰められている。顔色も悪く、困ったように俯いていた。

 リナリア・アックスフォードが悪女であることは、学園中で噂になっていた。

 そもそも貴族界隈でリナリアの悪女っぷりは話題となっており、学園に入学した貴族たちがこぞってその話をするものだから、たったのひと月ですっかり悪者となっている。

 彼女自身、高飛車で不遜な上にハッキリと物を言う性質なため、そのような態度も悪く受け取られるのだろう。愛する婚約者に近づく女を蹴散らすことに必死なところは、さすがに弁明のしようもない。

 リナリアは今日も、シオンに話しかけた女子生徒を捕まえてどういうつもりかと詰め寄っている。

「その耳は飾りなのかしら? それとも、わたくしのことを無視なさっているの? 早く答えなさい。あなたはどういうつもりでシオン様の肘に触れたのかしら」

「……それは……」

「まさか、あなた如きがシオン様に相手にされるとでも? とんだ勘違いですわ。おかしな期待を抱く前に、ご自身のお手入れでもされたらいかが?」

 女子生徒の顔が一気に赤く染まる。リナリアの美しさを前に何も言えないのだろう。女子生徒は震えながら、その場から逃げるように駆け去った。

 リナリアはただの言葉を選べないリアリストだ。間違ったことは言っていないし、理不尽なこともない。しかし女子生徒は平民だったから、貴族であるリナリアの価値観やそれによる沸点も分からないのだろう。

 不機嫌なリナリアは、逃げて行く女子生徒の背中を睨みつける。その姿が見えなくなるまでそれを続け、振り返ったとき、ようやくユリシアの存在に気付いた。

「……ごきげんよう」

「はい、ごきげんよう。……アックスフォードさんですよね。はじめまして、ユリシア・ユーフェミリアといいます」

 リナリアは、先ほどの場面を見ても動じないユリシアの態度に微かに眉を揺らす。リナリアは侯爵家のご令嬢だ。媚を売るような態度には慣れているから、見極めてでもいるのだろう。

「ユーフェミリアは聞いたことのない家名ですわね。ユリシアとお呼びしても?」

「はい、もちろん」

「そう。ユリシアは覗き見が趣味なのかしら? 空気を読むということをご存知ない? 先ほどの小娘といい、平民は随分と自己中心的に生きていらっしゃるのね。楽しそうで何よりですわ」

 その言葉に感情はない。彼女はやはり嫌味を言いたいのではなく、ただ事実を述べている感覚なのだろう。

「今日は天気が良かったので、外でご飯を食べたいと思ったんです。そうしたらアックスフォードさんがいて……聞いてしまったことはすみません。確かに無遠慮でしたね」

 あまりにさらりと返したからか、リナリアのほうが面食らったようだった。

 こんなにもあっさりと非を認められたことがなかったのだろう。これまでにない反応に戸惑っている。リナリアはおかしな生き物を見る目で、やや睨むようにユリシアを観察していた。

「そういえばアックスフォードさんはご飯食べました?」

「……まだですわ。本日は天気が良いので、わたくしも外で食べたくて」

「それなら一緒に食べません? 誰かと一緒のほうが美味しいと思うんです」

「……一緒に?」

「はい」

「わたくしが、あなたと?」

「? はい」

 リナリアはますます渋顔だ。

「わたくしのことをご存じかしら? それとも馬鹿にしていらっしゃる?」

「知っていますよ。アックスフォード侯爵令嬢で、王太子殿下の婚約者ですよね。でもここは学園内で、この学園では実力が全てです。アックスフォードさんには劣りますが、私も入学できたので一緒にご飯くらいは食べても良いのかなと思います」

「それをあなたが決めますの? なんて厚かましい方かしら。平民の感覚は肌に合いませんわ」

「私も貴族の感覚って分からないので、おあいこですね。ご飯を食べながら教えてもらっても?」

 ユリシアの態度に、リナリアはますます訝しげに目を瞬いた。

 生粋の貴族であるリナリアにとって、身分の違う者と食事をするなど理解が出来ないようだ。いくら校則であっても「平等」という意味がまず分からない。どうして自分が平民の、それも初対面の女に馴れ馴れしくされているのか。リナリアはまずそこから理解にも及ばないのだろう。

 なるほど、正面からぶつかっても意味がない。察したユリシアは、アプローチの方向性を変えるべく思案する。

「残念ながら、あなたと過ごす時間はございませんの。ごめんあそばせ」

「さっきの女の子、殿下に近づきすぎでしたよね。私からも注意はしたんですが、全然聞いてくれなくて」

 立ち去ろうと踵を返したリナリアが、数歩先で足を止めた。

「当たり前のことですけど、殿下はアックスフォードさんと並んでいるのが一番お似合いだと思うんです。それなのに横恋慕なんて……殿下にもアックスフォードさんにも失礼だなって」

「あら、あなたもそう思いますの?」

「もちろんです。あんな平民の平凡な女の子じゃなくて、教養もあって綺麗なアックスフォードさんじゃないと、殿下のお相手はつとまりません」

 ゆるりと振り向いたリナリアは、まんざらでもなさそうに頬を染めていた。

「そう。そうですわね。あなた、平民のくせによく分かっているじゃない。……気が変わったわ。テーブルの用意をさせているの。こちらにいらっしゃい」

「わーい。さすがアックスフォードさん。外見だけじゃなくって、心もお綺麗なんですね。殿下も幸せ者ですね」

 おだてたらおだてただけ、リナリアは口角を上げていく。

 まったくチョロくて困ったものだ。けれどもユリシアにはそれがありがたかったから、ここぞとばかりに褒めておいた。

 リナリア・アックスフォードには親しい友人がいない。意地悪な友人でもいそうなものだが、なまじ彼女の身分が高いことと、彼女の高圧的な性格が周囲から人を遠ざけていた。

 だからこそ、ユリシアいわくのチョロさが生まれてしまったのだろう。

 リナリアは終始ご満悦な様子で食事を進めていた。ユリシアにとっては情報を抜き出すための下ごしらえである。とにかく褒めそやし、懐に入ろうと話を合わせる。これではまるで取り巻きのようだが、任務遂行のためだから仕方がない。ユリシアにプライドなどありはしない。そんなもので腹は膨れないのだから。

「こんなところにいたのか」

 食事の後のデザートを楽しんでいると、ユリシアの背後から呆れたような声が聞こえた。ユリシアが振り返るより早く、正面に座っていたリナリアが立ち上がる。所作に気をつけている彼女らしからぬ焦ったような仕草だった。

「あれ、シウォンくん。どうしたの?」

「おまえが教室にいないから探していたんだろうが」

「? そっか。ありがとう。何か用事があったとか?」

「いや?」

 アグドラと視線がぶつかると、リナリアはふたたび椅子に腰掛ける。

「アックスフォードさん、シウォンくんと知り合いなんですか?」

「……そうね、顔見知り程度かしら」

「そうだな。顔見知り程度だ」

「ふぅん……?」

 それにしては、なんだか気まずいような。

(……もしかして、シウォンくんの雇い主がアックスフォードさんとか……?)

 ありえない話ではない。アグドラはリナリアと同じ薬草学を選択しているから、連絡を密に取りあっているのかもしれない。

 リナリアのことだ。王太子に近づく気に入らない女を消すためか、あるいは王太子の監視でもするために密偵を雇っているのだろう。それならば慣れていないアグドラを使うのも納得である。そんな簡単な任務、失敗のしようがない。

「シウォンくんも一緒にデザート食べる? アックスフォードさんの家のシェフさん、すごく料理が上手でね。美味しいよ」

「当然ですわ。アックスフォードにふさわしい腕前でなければ恥ですもの」

「おまえなあ……そんなものばかり食べていたら太るぞ」

「食べられないよりいいじゃない。太れるなんて幸せだよ」

「……いいから行くぞ」

 軽く息を吐くと、アグドラはユリシアの腕を掴んで強引に引き連れた。リナリアは驚いたように二人を見送る。ユリシアは少々早足なアグドラについて行くことに必死だった。

「ちょっとシウォンくん、アックスフォードさんに失礼だよ」

「授業が始まりそうなことのほうが大事だろ」

 チャイムが鳴ったのは、二人が教室に入った直後だった。

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