花ノ魔王

プロローグ

　少年は、一輪の白い花を両手で握りしめ震えていた。

　「臭いで分かるぜ、お前は餌だ。赤子ですら魔法を使えるこの世界で魔力を持ちながら、魔法が使えないお前は、ただの肉塊。力ある者に食われる為だけの存在」

　黄褐色の瞳、尖った鼻筋、灰色の体毛に覆われ、鋭利な爪と牙。

　獣人と呼ばれる二足歩行の狼は震える少年にそう吠えると、零れ落ちる涎を拭おうともせず少年の頬に爪を立てた。

　獣人の言葉通り、この世界「アッダーガンデ」に生を受けた者は魔力を持っている。

　知性を持ち得る生物なら、その魔力を魔法へと転換し発動できる。

　小さな火を熾すものから、山脈の形を変えてしまうほどの威力をもつものまで数多くの魔法が存在し、天性の才を持って生まれた者ならば、幼い子供でも魔法の発動が可能だ。

　「嫌だっ、死にたくない、魔法なんて使えなくても頑張って生きてきたのに、いっぱい我慢したのに」

　少年は獣人の手を払いのけ叫ぶ。

　魔力に恵まれたエルフ族、その血を受け継ぐ11人兄妹の八男として生を受け

　「どんな魔法が使えるようになるのか楽しみだね」

　「大賢者の父さんの血を継いでいるんだもの、兄妹の様に立派な魔法が使えるわよ」

　と、家族からの寵愛を受け育てられてきた。

　しかし、魔力はあれど魔法の才能は一向に現れず、期待はやがて失望に変わった。

　母親を含め家族の中には反発する者も居たが、国の一端を担う大賢者であった父の発言は絶対だった。

　「面倒は見てやるが、家系図からは消せ」

　その父の一言で7歳の誕生日を迎えると同時に孤児院に入れられた。

　それからの5年間は少年にとって地獄だった。

　死の間際に発した言葉通り。

　「こいつ魔法使えないんだって、生きてる意味ないじゃん」

　「エルフの恥さらし」

　「魔法の的にしようぜ」

　「将来は奴隷か魔物の餌だな」

　そう虐げられ、蔑まれながらも、一つの思いを胸に秘め沈黙し我慢してきた。

　「魔法なんて使えなくても、こんなに綺麗に力強く咲く花々があるんだ」

　少年の唯一の心の安らぎは、花と戯れることだけ。

　「僕には花があればいい、名前も同じだしね。そうだお花屋さんになろう、そうすればずっと花々と一緒に生きていける……だから、もう、何も悲しくない」

　花々にもまた魔力はある、しかし、”知性が無い”から魔法が使えない。

　もの言わぬ花々に、少年は自分を重ねていたのだろう。

　その日も、自然の花々と戯れる目的で孤児院から隙を見て抜け出し、危険だから立ち入るなと諭されていた森に入ったのだ。

　「こんな所に魔法も使えぬガキが一人で入ってきて、どうせ捨てられたんだろう、美味しく頂いてやる。ありがたく思え」

　獣人は剥き出しの牙が並ぶ大きな口を最大まで開き、少年の頭に近づいた。

　「嫌だっ、誰か助けて、お願い、死にたくないっ」

　少年は必死で願った。握っていた花の棘で自身の指が切れ、血が滲んでいることすらも気に留めず、ただ強く願った。

　「ひゃはー、もう我慢できねー、いただきまーす」

　その血と命乞いに獣人の理性は吹き飛び、少年の腕をまるごと頬張った。

　ゴリッ、ブシャ。

　骨を砕く音と同時に血飛沫が飛び、持っていた白い花は少年の血で真っ赤に染まった。

　「お花……さん、助け……て」

　何故、その時、少年は花に助けを求めたのか？

　あるいは死の間際に気が付いたのかもしれない、自分に眠る魔法の力に。

　花は少年の願い、魔力に呼応し徐々にその姿を人の形に変えた。

　「うひょー、もう一匹旨そうなのが居やがったぜぇ」

　少年の血を啜る獣人は、突如現れた者に歓喜し、勢いよく飛び掛かった。

　「……」

　花から変化した者は獣人に冷ややかな目線を送ると、無言のまま右手の人差し指と親指を重ねて小さく揺らした。

　それはまるで花を摘むかのような優しい仕草だった。

　「ギャ……」

　次の瞬間、獣人は悲鳴を上げる間もなく全身を四散させ血と肉を撒き散らし息絶えた。

　意識が薄れる少年の目には、一糸纏わぬ美しい女性の姿が映る。

　「だ、誰……」

　息絶えそうな少年を女性はゆっくりと抱きかかえ

　「見つけ出してくれてありがとう。また会える日を楽しみに待っているわ」

　そう告げると、少年の頬にキスをした。

　死に至る傷を負っていた少年の体は、そのキスで瞬く間に完治する。

　そしてその女性の温もり、あるいは花の様な香りに包まれた少年は、その心地の良さに、そのまま眠りについた。

　数時間後……。

　少年は孤児院の門の前で目を覚ます。

　あの女性の姿は無い。

　「あれ？　夢……じゃないよね」

　服に付いた自分の血を確認した少年は、脇目も降らず孤児院の本棚に向かう。

　そして愛読書である花の図鑑を取り出しページを捲った。

　「あった、きっとこのお花だ……」

　少年が握っていた花。

　花の名は【サクロフラン】

　別名【女神の花】

　花言葉は【破壊】【再生】【創造】

　開花時期不明、生息地不明、希少種。

　「サクロフランか、また見つけられるかな……」

　少年の胸は躍り、言い知れぬ感情が沸き起こる。

　「珍しいお花、綺麗なお花、また見つけられたのなら、なんだか成れる気がする」

　その感情を言葉にすることで、少年は生きる意味を見出す。

　「その時は、きっと世界一のお花屋さんになれる気がする」

　少年の名は「ハナ」

　八男ゆえの「ハナ」

　花々を人の姿に変える魔法を使い

　やがて花の魔王と呼ばれる者。