#1 -3



 瞳が暗闇に包まれている中で、彼は過去の体験を思い返していた。


「爪痕を残せ」


 そう言い残してくれたのは、身元も分からない青年だった。しかし覚えている服装と装備から、保安官であることは分かっていた。

 彼のように誰かを導ける存在になりたいと願い、いつの間にか保安官への憧れが彼の中で燃え上がっていた。

 不慮の事故で両親が死んだことから、孤児院での生活を余儀なくされたニロだったが、そこで保安官になるための準備を始めた。

 しかし、彼には興味のない学問を身につける気力が生まれて来ず、孤児院の子ども達にはこう馬鹿にされることが多かった。


「やーい、能無しー!」


「おまえが保安官になれるかよー、ばーか!!」


 頭を叩かれたり石を投げられたり、そんな窮地に立っても尚、彼は進むことを諦めなかった。

 唯一面白いと思えた化学だけを重点的に進め、特定の分野に至っては大人である孤児院の職員達よりも優れた知恵を身につけることに成功した。また、他の子ども達と群れることは難しかったものの、体を動かして遊ぶことは彼にとっては楽しいことだったので、遊具を活用して只管に運動神経を鍛えた。

 13年の道程を経て、遂に保安官試験の資格年齢に達したニロは、得意としていた化学分野と運動能力だけで合格を手にした。

 しかし、反りが合わない保安局上層部との対立や、自分より能力の低い先輩保安官に向けられる民衆の拍手、そして努力の邪魔をしてしまった仲間達へのやるせなさ。

 保安局に属してからの全ての負の出来事が積み重なり、ニロの夢の中で歪んだ人相となって現れた。

 あの日の青年保安官の姿に、おどろおどろしく曲げられたトチの声、そして嫌味の権化とも言えるアドリアの顔。真っ暗闇でそのキメラが近付いて来る恐怖で、眠っているにも関わらずニロの拍動は段々と乱れて行った。






「っ!!」


 恐怖のままに飛び起きると、直後に低い天井に頭をぶつけた。痛みに悶えていると、腹の音がまた鳴り響く。

 時間を確認しようと、額に巻く帯のような通信機器・イーグルスアイの液晶画面に目を近付ける。時刻は5時14分。昨晩は変な時間に寝付いたので、体内時計の針は何かと狂ってしまったようだ。

 しかし、このような妙な時間帯に目を覚ましたのは、自分だけではなかったようだ。


「ニロ、起き・・・てたか」


 しっかり者のオリバーもまた、ニロと同じく5時の早朝に目覚めたようだ。寝起きの彼の特徴の一つのヘンテコに跳ねた黒髪を見て、思わず笑い声が漏れる。

 しかし部屋を見渡せば、自分達だけでなく他の2人も既に起床を迎えていたことが分かった。

 毎朝のルーティンなのかトチはチューインガムを膨らましており、大きな欠伸をしながらミナミは背中を伸ばしている。


「・・・なんかあったっけ?」


 イーグルスアイでカレンダーを開いてみるが、やはり特別なことは書かれていなかった。

 本来であれば6時30分起床が保安局のルールであるので、1時間以上の早起きを全員が強いられているということになる。

 何も思い出せないニロだったが、何故知らないのかと言いたげな表情のオリバー。


「こんなに早朝に起こされるんだぞ、アレ以外にないだろ」


 簡単に言って部屋の外に出るオリバー。トチとミナミもそれに続き、1人取り残される。頭の上からハテナが離れず、困惑が彷徨っている。

 しかし扉の向こうを見れば他の保安官達もぞろぞろと廊下を歩いて来ていたことから、自分達の班だけが呼び出されているわけではないことは確かだった。

 歯磨き用のうがい薬で簡単に口を洗い、ニロはオリバーの元へと走る。廊下に出てみたところ、殆ど全ての保安官が動員されているように感じた。

 行列は2階の生活階層から階段を降りた1階にまで続いており、その終着点は未だに見えそうにない。


「なあオリバー、アレってなんのことだよ。オレが忘れてるだけか?」


「俺より3倍の年月をここで過ごしてるお前が、この制度を知らない筈がないだろ・・・」


 またしても呆れられる。制度と呼べるのであれば、試験を合格し保安局入りした際に必ず伝えられている筈だ。

 ニロは必死に記憶を辿り、上層部から回ってきた書類を思い出す。

 偶に早朝に全員が起こされ、本部1階で行われる何かしらの制度・・・。条件を一つずつ当て嵌めて行く。

 すると、彼の中でピンと来る答えが見つかった。


「・・・あっ!食堂が儲かってるときに来る朝飯ちょっと増量キャンペーンか!!」


「それだったら起床時間もいつも通りだろ」


 オリバーの反応から察するに、それも違っていたようだ。

 食堂で配給される食事は昼と夜に関しては十分な量配分なのだが、朝の分だけはどうにも足りないと思っていたニロ。ごく稀に量が増えていることがあるので、てっきり皆そのことを楽しみに動いているのかと思ったが、確かに時刻が関係して来ない。

 ならば、他に何があると言うのか。・・・顎に右手を置いて暫く考えていたが、行列の流れが止まった。


「はーい、発射場を囲うように並んでねー」


 先頭の保安官が号令を出し、保安官達が一斉に2列の隊形を作った。

 とりあえず従っていたが、その場所にある窓の外を眺めてみると、そこには巨大な円筒形の物体が位置していた。


「あれ、って確か・・・」


 その物体は妙に見覚えがあった。保安官全員がわざわざ1時間早く起き、これを見に来たのであれば、必ずこの物体に大きな意味が備わっている。

 そして、先頭にいた保安官が言っていた『発射場』の存在。

 あちこちに散らばっていた記憶の欠片が一つにまとまり、ニロの中で明確な答えが生まれた。


「英雄の船だ・・・!!」


「な、初めて見るものじゃないだろ?」


 オリバーの言っていたことを漸く理解出来た。あの日の青年保安官に並ぶ、ニロが保安局の中で憧れを抱く存在は、この宇宙船でもあったのだ。

 正式名称などとうに忘れたが、この船によって上層部への不穏なイメージすら払拭してしまう程、ニロにとっては大きな存在だった。瞳を大きく輝かせ、窓にへばり着いて宇宙船のあちこちを眺める。


「そういやあんた、この船が大好きだったわね・・・」


 昨晩はあれ程ニロに冷酷な言葉を浴びせたトチだったが、あのニロがこんなに可愛げのある少年のような仕草を見せていたことに、少し微笑みが顕れた。


「先輩、この宇宙船は何をする為にあるんですか?」


「えっとね、これは・・・」


 近くから研修生と見られる保安官とその先輩の会話が聞こえた。

 ただでさえウズウズしていたニロは2人の間に割って入り、目をキラキラさせながら研修生に説明を始めた。


「坊主、オレが説明してあげよう!この英雄の船はまさしく英雄のような役割を背負ってて、物資を補給する為にここから辺境の星に飛んで行って、持って帰ってきた物資をそれぞれの惑星に配ってるんだぞ!!」


 ハキハキとした簡潔な彼の演説に、研修生にも少年心が伝染したようだ。話を聞いているうちに歓声が大きくなって行き、瞳の輝きが増して行った。彼の先輩保安官にオリバーが頭を下げに行く。


「すみません、うちの班長は出しゃばりなもので」


「いやいや大丈夫!おかげで彼も補給船に興味を持ってくれてるようだし、いつかはクルーを目指すようになるかもね」


 先輩保安官は明るい様子でニロの横暴な行いを見逃してくれた。


「それであのエンジンなんだけどな、実は少ないエネルギーで動けるように設計されてて・・・」


 熱弁を続けるニロは、物資補給船の設計の解説を始めた。窓の外の実物に指をさす。

 しかし、視力の良い彼の眼には、何やら違和感のある景色が写った。


「・・・なんだあれ?」


 窓に近付き、より慎重に発射場の様子を見渡す。確かに宇宙船の周辺に何かがあったような気がしたのだが、今見てみると何も見当たらない。

 気のせいかと後ろを振り向いた、その瞬間だった。たまたま視野を広げていたこともあってか、人間的な動きをすぐに感知出来た。やはり、居る。


「なっ・・・!どこに行くってんだ、ニロ!!」


 突如走り出したニロを不審に思ったオリバーは、すぐ様彼を引き止めようと手を伸ばすものの、彼の卓越した運動神経に適う筈もなかった。

 一瞬にして保安官の行列を抜け出したニロの姿は、見る見る小さくなって行く。


「侵入者だ!!!」


 大声での叫びによりその場の全員が動揺した。

 多くの保安官は彼の言葉に翻弄されて窓の外を眺め、その他は意味が分からず困惑する者、おちゃらけたニロのジョークと看做す者に別れた。

 しかし、保安局で随一の視力を誇るニロがやっとの思いで認識した小さな侵入者を、他の常人が目視出来る筈もなかった。


(昨日怒られたとこだけど、今回ばかりはマジで緊急事態だ・・・!口挟んで来んなよ、長官の爺さん!!)


 本部を駆け回る中で経由した訓練部屋で、訓練用のマンタジェットを手に取ったニロ。

 昨日の説教の数々が脳裏を過ぎり、多少の葛藤に苛まれたが、今動けるのは本当の意味で自分しかいない。

 邪念を振り払って背中にマンタジェットを取り付け、ジェットエンジンの速さを利用して門に辿り着く。




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