第21話 藤波要芽

お店を掃除していると、お客さんが一人入って来た。

30代くらいの着物の男性だ。

ゆるい癖毛で、ちょこんと髪を結んでいる。


「あ……すみません、まだ開店前でして……。」


「ああ、僕は構わないよ。」


彼は入り口近くのソファに座った。

意味が通じていない。




奥から坂上が出て来た。


「要芽、今日は早いね。どうしたの?」


坂上の知り合いらしい。


「どうもこうも。お気に入りの喫茶店が今やマダムの溜まり場でね。うるさくて出て来たよ。本当はもう少し遅くに来る予定だったんだけど。」




彼は着物用のコートを脱ぎ始めたので、橘は慌ててコートを脱ぐのを手伝った。


「温かいお茶でもいかがですか?」


「じゃあいただこうかな。」


開店には大分早いにも関わらず、坂上は藤波の相手をした。

藤波は特に橘に気を留める様子も無かったので、橘は軽く掃除をして、食べ物の下準備をした。


それが藤波との初めての出会いだった。


♢♢♢


それから数週間経ったが、たまたまなのか、橘が出勤のときは、藤波がいることが多かった。

カウンターの一番奥が定位置で、一人で本を読みながら飲むか、坂上をつかまえていた。

ただ、坂上は人気なので、開店前ちょっと早く来て話すのが二人のルーチンのようだった。


最近は、橘も声をかけられるようになった。

この店に来た理由や、将来のことなど。



「宇宙の仕事か……壮大だね。」


「はい、私も、そういう仕事がこれからどうなっていくのかはわからないんですが、挑戦したいなと思ってまして……。」


「人類が大地を捨てて幸せになるとは思えないが、君のことは応援するよ。」


藤波はブランデーを一口呑んで言った。

藤波さんはちょっと変わった人だなと思った。



「僕は、作家なんだ。」


急に合点がいった。


「僕がここに来ている理由は何だと思う?」


「落ち着いてアイデアを練るためですか?」


「それもあるんだが、こちらは男色が強い場だよね。男色がどのようなものか、見に来ているんだ。あとは、坂上君に取材だよ。」


「なるほど……。藤波先生なら、取材するまでもなく、すでに詳しそうに見えますが。」




藤波は細身で、切れ長の目に色白、鼻筋も通っていて妖艶だった。


「見た目も生活も浮世離れしてるからね、そう期待されやすいけど、ただ、ややこしい人間に好かれがちなんだ。」


それもそれで納得した。


「橘君もここにいるということは、男性も対象なのかい?」


「自分は…そこまで男性が好きというわけでは…。」


あくまで好きになった那央が男なだけで、男の中から恋人を選ぼうとは思わない。

那央が女でも好きになるだろう。




「へえ、意外だ。むしろ君が一番この場で色気を放っているけれど。」


「え、そうなんですか?自分では全くわからないですが……。」


「自覚がないなら気をつけないとね。夜とお酒は過ちを許してくれるから。」



お店で出会ってワンナイトをする……というのも、このお店の良さらしい。

その気がないなら、誘われないようにしろということだろうか。

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