カフェ・アンプデモア

千織@山羊座文学

第1話 アンプデモア

- 第一章 橋本那央の片想い -


 カフェレストラン『アンプデモア』。フランス語で「小さな恋」という意味だ。


 昼は限定ランチとスイーツ、夜はカジュアルディナーと気軽にお酒も飲めるオシャレなお店。お客さんはほぼカップルと女性で、いつも賑わっている。美味しい食事と雰囲気もさることながら、ウエイターの橘莉音たちばなりおんが女性客の心を掴み、お店のファンを増やしていた。


 整った顔立ちに優しいオーラ。なじみのお客さんの好みをよく覚えていてメニューをおすすめするというデキる男でもあった。


♢♢♢


 橋本那央はしもとなおが初めてこのお店に来たのは、高3の3月。大学入学が決まり、アパートを契約しに来た時だった。契約が終わって、大学近くのお店を見てみようと歩いていたときに偶然見つけた。ブラックボードに書かれたランチカレーに惹かれて那央は店に入った。


 店内には、花や植物の装飾、ファンシーな置物があってとても可愛らしいお店だった。お店の雰囲気は好きだったが、店内を見回すと女性客ばかりで、男の那央は戸惑った。


 入ってしまったからにはただ帰るわけにはいかず、とはいえ店には居づらかったのでスイーツを買って持ち帰ることにした。


「いらっしゃいませ」


 橘が他のお客さんの注文をとり終えて、レジに来た。那央は橘に笑顔を向けられ、思わず見とれた。田舎の高校出身の那央からすれば、橘はモデルか芸能人かと思うほどだった。


「あ、あの、このガトーショコラと、タルトを一つずつ……」


 今はお菓子を食べたい気分ではなかったので、親への手土産にと思って選んだ。食べたいカレーは頼まず、食べたくないスイーツを買う。那央はそういう気の小さいタイプだった。


 せっかくいいお店を見つけたのにそんな自分の性格のせいで勝手に残念な思い出にしてしまった……もう来ないだろうな……と、思っていた時だった。


「もしかして、そこの大学の新入生ですか?」


「え、はい。そうです」


「不動産会社の袋持ってたんで、もしかしてアパート探ししてるのかと思って」


「あ、はい。今、契約してきたとこなんです」


「そうなんですね! いいところが見つかって良かったですね。入学、おめでとうございます」


 橘が再び優しくほほえんだ。思いがけない場所での「おめでとう」に那央はドキリとした。


 那央にとってこの大学は猛勉強が必要なレベルで、親からは何度も進路を変えるように言われてよくケンカもしたし、先生たちも最後まで心配していた。もう、勉強は意地でやったようなものだ。だから、合格したときは大げさではなく、飛び上がるほど嬉しかった。


 橘は挨拶程度に言ったのだろう。でも、自分にとっては大切な合格を祝ってもらえて嬉しかったし、本当にここの大学生になるんだと実感が湧いてきた。那央も自然と笑みがこぼれて、ありがとうございますと返した。


「すみません、急に立ち入ったことを聞いてしまって。私もそこの大学生で、今2年生なんです。だから、同じ大学だったら嬉しいなと思って、声かけちゃいました」


 これは……新しい形のナンパなんだろうか。自分みたいな冴えない奴に、イケメンが優しく話しかけてくれる。なんだかこそばゆい。


 スイーツは丁寧に袋に包まれた。


「お会計は」


「あ! あの……!」


 那央は橘の会計を遮った。


「ランチカレーも食べていきます……」


 ついイケメンに課金を決めてしまった。カレーの注文が入ると、橘の顔がパッと明るくなった。


 営業上手だ。自分の接客でお客さんが注文してくれるなら、さぞ嬉しいだろう。


「それは良かった! もしかしたら、女性ばかりなので、入りづらいのかなと思って……」


 橘が売上でなく、こちらの気持ちを気にかけていたことに驚いた。


「今日のカレー、新メニューなんですけど、本当に美味しいんです。せっかくだから一度は食べてほしくて」


 俺がカレーを食べることを喜んでくれていたのだ。那央は自分の発想の卑しさが恥ずかしくなった。


 橘に案内され、店の奥へ入る。彼の白いシャツに黒いベストとパンツ姿は、貴族に仕える有能な執事を思わせた。


 橘は那央の注文を受けた後、満席になったお店を手際よく回していた。料理を運び、軽く談笑し、気をよくしたお客さんからの新たな注文をとる。みんな、ついカレー課金をした自分と同じ気持ちなのかな、と那央は思った。


 まもなく、橘がカレーを持ってきた。ゆっくりしていってくださいね、と声をかけられる。


 カレーは、話通り美味しかった。ただ、カレーの美味しさよりも、橘とのちょっとした会話の温かさの方が印象深かった。


 橘はお客さんから話かけられ、愛想よく応じている。那央はその姿をぼうっと見つめていた。

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