第4話 熟した蕾の花嫁4
シュクラに手を引かれて向かったのは隣の部屋だった。手を繋いでいるのはさっきと同じだというのに、やけに鼓動がうるさくなる。
(こんなふうに強引にされたのは初めてだ)
ほかのΩより体が大きかったキーシュは、蕾宮では力仕事をすることが多かった。Ωたちからも頼られたため、祖国にいたときのように振る舞い続けてきた。華奢なΩたちの中でうっすらと筋肉を纏う自分には、それがふさわしい役目だと信じて疑わなかった。
ところがいま、自分はαの大きな手に掴まれ引っ張られている。「まるで本当にΩになったようだな」とおかしなことを思ってしまった。
部屋に入ると、中央に立派なベッドが置かれている。どうやらここは寝室らしい。下賜されるということはそういうこともするだろうと覚悟はしていたものの、まさか到着してすぐとは思わず、つい足を止めてしまった。
うろたえるキーシュにくるりと振り返ったシュクラが「すみません」と謝る。
「迎えてすぐにというのはがっつきすぎだとわかっています。ですが、四日も待ったんです。四日間もよく辛抱したと自画自賛したいくらいです」
「自画自賛って、」
「本当は初めての発情のときに初夜を、と考えていたんですよ。まぁ発情のときにするのは当然として、ようやくこうして迎えることができたんです。記念の初夜は今日やってしまいましょう。いますぐやりましょう」
「ちょ、ちょっと待て」
「待ちません。それに四日前に口づけてきたのはあなたのほうじゃないですか。あれだけ煽っておいて、いまさら嫌だなんて言わないでください。それとも、やっぱり俺に娶られるのは嫌ですか?」
「そ、そんなことはない! 僕だってずっときみのことが……っ」
途中まで言いかけたところでハッとした。すっと視線を逸らしながら目元を赤らめるキーシュに「大丈夫、わかってます」とシュクラが微笑む。
「あ、あのときは最後の思い出にと思っただけで、自分でもなんであんな大胆なことができたのか不思議なくらいなんだ。そうじゃなくて、その、初夜っていうのはつまり、」
「閨、夫婦和合、西ではたしか、せっくすと言うんでしたっけ」
シュクラの言葉にキーシュの顔がみるみる真っ赤になる。
「そんな言葉を昼間から言うものじゃない」
「言葉だけでそんなに真っ赤になるなんて、相変わらずキーシュさんは可愛いですね。知ってましたけど想像以上に初心だ。そういうところもたまりません。大丈夫、全部任せてください。俺がしっかり気持ちよくしてあげますから」
そう言いながらシュクラが一歩踏み出す。人ひとり分あった空間はあっという間になくなり、靴の先が触れ合う距離に詰められた。
あまりに近い距離にキーシュは戸惑っていた。体温を感じそうな至近距離に「初夜」という言葉のせいでシュクラの顔を見ることすらできない。見れば何か口走ってしまいそうで、わずかに視線を落とした。
(こういうことは想像したことがなかった)
たしかにシュクラに恋心を抱いていたが、キーシュは具体的にどうこうしたいと考えたことがなかった。満足に発情すらできないΩだったからか、αに娶られてベッドをともにする想像すらしたことがない。Ω宮に来た当初はあれこれ考えたものの、十年以上もお渡りがなければ夜のことを想像することもなくなっていた。そのせいか、いざこういう状況になると羞恥や戸惑いが先に出る。
「待ってくれ」と胸をそっと押し返すキーシュに、シュクラの黒目がわずかに細くなった。逃げるなんて許さないと言わんばかりにキーシュの二の腕を掴む。
「もしかして俺とはしたくないんですか? 四日前は自分から口づけたのに?」
わずかに低くなった声に慌てて「違うんだ」と首を横に振った。
「そうじゃなくて、僕はその……発情すら満足に来たことがないんだ。そのせいで陛下のお渡りがないのだとばかり思っていたくらいで……」
恥ずかしそうに俯いたまま告げるキーシュの耳が赤くなる。
「まさか、まだ発情したことがないんですか?」
「来るにはくるんだけど、Ωとしてはすごく軽いほうだと思う。その、ほかのΩの話を聞いてわかったことだけど」
話しながら段々情けなくなってきた。これでは自ら不出来なΩだと白状しているようなものだ。キーシュは情けない表情を見られたくなくて、ますます顔を伏せた。
「ということは、自分で慰めたこともない?」
「そこまでの発情は、したことがない」
あからさまな質問にカッとなりながら、それでもキーシュは真面目に答える。
「……本当に?」
「こんなことで嘘をついてもしょうがないだろうっ」
あまりの恥ずかしさに体ごとそっぽを向こうとした。それを遮るように腕を引き寄せたシュクラが、逃がさないとばかりにしっかりとキーシュを抱きしめる。突然のことに驚いていると「そうだったんだ」とため息のような声が聞こえてきた。
「まさか、何もかもが初めてだなんて思ってもみませんでした。道具に嫉妬していた十三年間が馬鹿みたいだ」
「嫉妬って、」
「そりゃあ嫉妬しますよ。あなたの全部は俺のものなのに、道具に先を越されるなんて許せるはずがありません。それでもΩ宮のΩが発情のときに道具を使わざるを得ないことは理解しています。だから堪え忍んできたんです。でも違った。あなたの体が一度も道具を許したことがないなんて、興奮のあまり血管が千切れそうです」
シュクラの言葉に血管が切れそうになったのはキーシュのほうだった。この歳でしっかり発情できないΩは欠陥品でしかない。Ω宮にいたキーシュはそれを痛いほど理解していた。
それなのに、シュクラはそんな自分でいいと言ってくれている。道具に嫉妬さえしていたと言ってくれた。これほどまでαに思われるΩはほかにいないのではないだろうか。
(これが運命の番というものなんだろうか)
運命の番がどういうものか、キーシュにはわからない。それでも自分を抱きしめる腕の強さに「僕にはシュクラしかいない」と感じていた。
Ωと判明するまでの十七年間、ただの男として生きていたキーシュだが初恋をしたことがなかった。「可愛いな」と思う女性はいたにはいたものの、淡い憧れのようなもので初恋と呼べるものではないだろう。そもそも家をどうにかするため必死だった。騎士見習いになってからの二年弱はとくにそうで、恋をしている余裕なんてなかった。
(ということは、これが僕の人生初の恋ということか)
まさかこの歳で初恋なんてと情けなくなりながらも、段々と胸の奥がくすぐったくなってくる。抱きしめられていることにドキドキし、体中をドキドキした気持ちが駆け巡るような気がした。ソワソワするような、走り出したくなるようなおかしな気持ちにもなる。
(僕はシュクラと結ばれたい)
いや、シュクラとしか結ばれたくない。Ωとしてというよりも、一人の人間としてシュクラを好きだとキーシュは改めて感じていた。
(こんな僕でもいいと言ってくれるシュクラになら、隠し事も無理をすることもない)
こんな情けない三十歳のΩなのに、シュクラは決して嘲ったり見下したりしない。シュクラならありのままの自分を受け止めてくれる。これまで自分の存在価値を見出そうと無理をしたりごまかしたりしてきたが、そういうことは必要ないということだ。
キーシュは体がフッと軽くなるような気がした。想う相手に受け入れられた喜びに体がジンと熱くなる。泣きたいような笑いたいような気持ちのまま、シュクラの背中にそっと手を回した。そのまま両手でギュッと抱きしめながら「全部話してしまおう」と口を開く。
「僕はΩとしてとても未熟だ。発情もそうだし、Ωとしてαにどう接すればいいのかもわからない。こんな僕じゃシュクラを幻滅させてしまうかもしれない」
「可愛いと思いこそすれ、幻滅なんてしませんよ」
「でも……その、僕の体は満足にきみを、その、受け入れられないかもしれないんだ。何というか……自分で触れたこともないから」
Ω宮にいるΩたちは自分で慰める方法をよく知っている。自分より年若いのにそういう話ができるのを、羞恥心を覚えながら少し羨ましく思っていた。
高貴なαにとって未熟すぎるΩは魅力的じゃないはずだ。それでもシュクラなら受け止めてくれるはずと勇気を振り絞って告白した。
背中に回したキーシュの指に少しだけ力が籠もる。次の瞬間、それをはるかに上回る力でシュクラに抱きしめられた。驚くキーシュの耳に唸るような声が聞こえてくる。
「シュクラ?」
「そういうのを煽ると言うんですよ」
「煽ってなんかない。ただ、きみには隠し事をしたくないんだ。僕のことを知っておいてほしいと思って、」
「わかってます。キーシュさんは計算してそういうことができる人じゃない。初心で真面目でちょっと頑固で、そういうキーシュさんの全部が俺は好きなんです」
「……僕も」
「好きだ」とまでは言えなかった。言おうとしたのに喉が詰まったような感じがしてうまく言葉が出てこない。これまでずっと蓋をしてきたからか、いざ想いを告げようとすると気恥ずかしくて仕方がなかった。
「僕も、なんですか?」
「言わなくてもわかってるんだろう?」
「わかりません。キーシュさん、ちゃんと教えてください」
キーシュの手にも力が入る。シュクラの肩に頬を載せたまま一度目を瞑り、小さく息を吸ってからゆっくりと目を開いた。
「優しくて穏やかで、こんな僕でもいいと言ってくれるシュクラが好きだ。どうか僕をシュクラのΩにしてほしい」
シュクラからの返事はない。「言わせておいて返事はないのか」と少し残念に思っていると、「はあぁぁぁ」と大きなため息をついたシュクラがキーシュの肩に頭を載せた。
「どうしたんだ?」
「天然だからこその破壊力ですよね。言わせたのは俺ですけど、落ち着かせるのにちょっと時間がかかりました」
「落ち着かせる……?」
首を傾げるキーシュの腰をグッと引き寄せたシュクラが「これですよ」と密着させてくる。あからさまな仕草にドキッとし、感じた熱に顔がカッと熱くなった。
「キーシュさん、発情が来たらここ、噛みますからね」
「ここ」と言いながらうなじを撫でられてゾクッとする。
「そ、それはいいけど、僕はちゃんと発情しないから、」
「それはこれまでのことでしょう? それにキーシュさんと俺は運命の番です。絶対に発情します。いや、発情させてみせる」
「だから思う存分噛ませてくださいね」と耳元で囁くシュクラの声に、キーシュは腰を抜かしてしまった。力が抜けたキーシュを軽々と横抱きにしたシュクラが「というわけで、まずは記念すべき初夜を迎えましょう」とベッドに運ぶ。
こうして蕾宮に長く住んでいた異国人のΩは、愛するαに娶られ熟した蕾を大きく花開かせることになった。
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