第19話 ノイエンドルフの娘は妖精王・ディータとして覚醒ました。

 薄紅色の花の香りと血の臭いが混ざり合う。

 薄紅色の花絨毯に血飛沫が飛び散る。

「何が妖精王だ。妖精王はこんな子供じゃないーっ」

「馬鹿野郎、アレクシア様は生まれながらの妖精王だーっ」

 ノイエンドルフ派と宰相派の戦闘中、私は妖精王として覚醒した。

 夢で見た未来より早い。

 けど、今、妖精王の力は必要。

 皇太子殿下、私の命にかえても逝かせない。

 夢の中で見た文言が無意識のうちに口から飛びだした。

「虹の橋、虹の階段、聖なる天と地において、妖精王として命じる。妖精王の庭を守りし者の気を受け継ぐ子、ジークヴァルトなる男子の身体を蝕む魔獣の毒よ、闇の泉に流れるがよい」

 私が高らかに唱えた途端、ぶわわわわわ~っ、と虹色のオーラが出現した。

 皇太子殿下と侍従長が虹色に包まれ、妖精たちが歓声を上げる。

「妖精王、これで魔獣の毒を抜けます」

「リアーネの子供、助けられます」

「魔獣の毒を完全に抜きました。浄化します」

「花のエネルギーを注入します」

「水のエネルギーを注入します」

 妖精たちの働きによって、皇太子殿下と侍従長に生気が漲る。どちらも、夢でも見ているような顔で上体を起こした。

「……アレクシア嬢? ……妖精王?」

「殿下、じっとして」

 私は気を抜かず、虹色のオーラを出し続ける。これ、妖精王の結界だ。たぶん、私はそろそろエネルギー切れ。その前になんとかすべて処理したい。

「……な、治った?」

 ローゼンベルガー宰相が呆然とした面持ちで零すと、ギーゼラ元皇后は悔しそうに隠し持っていた鞭をしならせた。

「皇太子も侍従長も致命傷を負ったはずなのに」

「……よ、妖精王だ」

「妖精王の覚醒」

「あんな幼いのに妖精王? どうなっているんだ?」

 宰相派とは裏腹にノイエンドルフの関係者から歓声が上がった。

「我らが妖精王、万歳」

「我らが妖精王に栄光あれ」

「我らの姫、我らの妖精王、唯一無二の女神、頭が高い。ひれ伏せーっ」

 騒然とする中、宰相と元皇后に恐ろしい目で睨まれ、私は仁王立ちで宣言した。

「私、アレクシア・ディータは妖精王でちゅーっ」

 どうして、ここで噛む?

 ヒクッ、と私の頰が引き攣った。

「ノイエンドルフの妖精王は真っ赤な偽物。ノイエンドルフの謀反、ノイエンドルフを成敗せよーっ」

 宰相はとうとう全面戦争に踏み切った。……そういう感じ? まだやるの?

「ノイエンドルフの反乱、鎮めなさいーっ」

 元皇后は鞭を手に取り、私に向かってしならせる。

 ピシッ。

 淑やかな仮面を外した素顔がすごい。妖精たちも恐怖で震える。何しろ、基本、妖精は争いが苦手。

「……おい、よく言えるな」

 お兄様が私や皇太子殿下の盾になるように立つ。エグモンドも凄まじい闘志を漲らせて剣を構えた。

「お兄様、私と妖精は戦えない」

 妖精王の力は絶大だ。今の私はなんでもできるような気がする。けれど、人は攻撃できない。 傷ついた人を治療したり、癒したり、汚染された土地を浄化したり、妖精王にできることはそういったことだけ。

 妖精たちも怖がって震えている。

「知っている。お前には掠り傷ひとつ負わせないから安心しろ」

「ノイエンドルフの力、見せておやり」

 宰相と元皇后の罪は明白なり、成敗して、って私は言うつもりだったのに。例の如く、口が勝手に動いた。

 けど、お兄様はとっても嬉しそうに口元を緩めた。

「姫、かしこまりました」

「ノイエンドルフの謀反、ノイエンドルフの謀反なりーっ」

「ノイエンドルフの力、味わえーっ」

 お兄様を先頭にノイエンドルフの騎士たちが気炎を吐く。宰相派の騎士たちは次から次へと増え続ける。私と皇太子殿下はノイエンドルフの騎士たちに守られ、じっとしているだけ。

「皇太子殿下、私に罪を償わせてください」

 侍従長は皇太子殿下に跪き、泣きながら謝罪している。

「そなたの苦しい心の内はわかっている」

 皇太子殿下は優しく微笑み、侍従長の手を取った。

「殿下、私に生きる資格はありません」

「そなたがギーゼラ元皇后の送りこんだ間諜だと知っていた。なのに、誠心誠意、僕に仕えてくれた。そなたがいたから、僕は今まで生きてこられた」

 皇太子殿下の言葉に私は驚いた。間諜があんなに皇太子殿下に尽くしていたのか、って。

「……わ、私は……」

 見張りとして潜りこんだものの、皇太子殿下の聡明さに心を奪われました、と侍従長は苦しそうに続けた。

 間諜がターゲットに心酔することは珍しくない。ノイエンドルフにも元間諜の臣下はいる。今ではお父様の右腕だ。

「母御を人質に取られているのだろう」

 皇太子殿下に言い当てられて、侍従長は息を呑んだ。

「……うっ」

「僕は妖精王に助けられた。そなたの母御を思えば辛い」

 皇太子殿下の言葉を聞き、私の背筋が凍りつく。侍従長が皇太子殿下を殺さないと、人質になった母親が殺されるんだ。

「助ける。侍従長のお母様はどこにいるの?」

 宰相や元皇后のそばにノイエンドルフの間諜は潜りこんでいるはず。

 助けだせばいい。

「……アレクシア様……妖精王……申し訳ございません」

 侍従長に謝罪されるの、何度目か忘れてしまった。

「いいから、どこにいるの?」

「私の母はギーゼラ元皇后の母君の侍女でした。つまり、ローゼンベルガー宰相の居城にいます」

「宰相のお城?」

「地下牢に投獄されたと聞きました」

「許せない」

 私がいきりたった時、周囲の妖精たちが悲鳴を上げて消えた。

「妖精王、ごめんなさい」

 いつも私を加護していた妖精四人も詫びながら逃げていく。

 瞬く間に妖精たちが消えた。

「……え?」

 一瞬、見間違いかと思って目を擦った。

 ばあやたちは悲鳴も上げずに失神する。

「……ま、まさか……」

 皇太子殿下や侍従長はこの世の終わりに遭遇したような顔で固まる。

 宰相の背後、異様な目つきをした魔術師とともに禍々しい魔獣が現われた。無数の毒虫も飛んでくる。

「ノイエンドルフの叛逆、畏れ多くも天に仇なす不届き者、成敗する」

 宰相派の魔術師が杖を振ると、魔獣がエグモンドに襲いかかった。

「……うっ」

 エグモンドが血を吐き、宰相の前で膝をつく。

 お兄様が魔剣を手に魔獣に近寄った。

「ローデリヒ様、単なる魔獣ではありません。魔術師に操られている魔獣です」

 エグモンドが血を流しながら言うと、お兄様は好敵手に会ったような顔で笑った。

「宰相、ノイエンドルフとやり合うため、魔獣改造に乗りだしていた噂は本当だったのか」

「これもそれも正義を守るため」

 宰相が合図のように手を挙げると、七つの首を持つ魔獣が三匹、現われた。無差別ではなく、ちゃんとノイエンドルフの騎士に向かって火を噴く。

 ガタガタガタガタッ、ガシャーン、というけたたましい音が響き渡った。

 荘厳な円柱が倒れ、神話を描いた絵画がはめこまれた壁が崩れ落ちる。

「魔獣の飼育も魔獣改造も罪」

 お兄様が灼熱の火柱を立てると、本宮に激震が走る。折り上げ天井が崩れ落ち、白い雲が浮かぶ青い空が見えた。

「……ひっ……魔獣?」

「……宰相が魔獣を飼育していたとは……それで魔獣が増えたのか……」

「……ローデリヒの魔力……魔獣……どちらもきつすぎる……」

 宰相派の宮廷貴族も騎士たちも凄まじい魔力の影響を受け、競うように倒れていった。宰相傘下の貴族でも魔獣飼育は知らなかったみたい。

「国のため、陛下も理解してくださる」

 ローゼンベルガー宰相が禁じ手を使えるのは、皇帝陛下との密約があるから?

 そういうこと?

 これ、皇太子殿下を捨て駒にしようとしたのも実父の陛下だ。

 陛下、アウト。

 私は心の中で大帝国の君主にジャッジを下した。

「そんなにノイエンドルフが目障りならもっと上手くやれよ」

「ギーゼラ皇后がアレクシア嬢に一杯食わされた日に手を打つべきでした。痛恨の極み」

 宰相は私を横目で眺めながら憎々しげに言った。元皇后の恨みがこめられた鞭の音も一際大きくなる。

「アレクシアを人質に父上と俺の命を要求すればよかったのに」

「それは今からノイエンドルフ公爵と交渉する。なんの心配もなく、あの世で先代・妖精王に挨拶されよ」

 宰相が手で合図を送ると、七つの首を持つ魔獣がお兄様に襲いかかった。

 シャーッ。

 大きな口から垂れている唾液が毒だとわかる。これは妖精王としての力だ。いくら凄絶な魔力を持っていても、魔獣の毒には負ける。

 逃げて、と私が叫ぼうとした瞬間、お兄様は楽しそうにニヤリと笑った。

「甘いな」

 お兄様が魔剣を構えると同時に、いきなりお父様が倒壊した天井から現われた。

「甘いのはお前だ、ローデリヒ」

 お父様に渋面で注意され、お兄様は怪訝な顔で聞き返した。

「父上、魔獣討伐は?」

 お父様は凶悪な魔獣討伐に苦戦していたと聞いたけど、本当は違ったみたい。

「ローゼンベルガーがボロを出したから終わらせた」

 お父様がニヤリと笑うと、お兄様は納得したように頷いた。

「なるほど」

「俺の姫が怖がっている。さっさとカタをつけるぞ」

「はい」

「俺の姫、目を閉じておけーっ」

 お父様の大声に応じるように、皇太子殿下は私を優しく抱きこみ、視界を塞いだ。

「アレクシア嬢、避難するよりノイエンドルフ公爵のそばにいたほうが安全です。少しの間、我慢してください」

 どんな時でも、皇太子殿下はちゃんと説明してくれる。

「お父様の近く、一番安全」

 夢の中、お父様と離れたから裏切りで破滅した。皇太子殿下はちゃんとわかっている。

「少し寒くなります」

 皇太子殿下の目が光ると、薄紫色のドームに包まれた。所謂、結界だ。

 皇太子殿下、この中で結界を張るなんて魔力が強い。失神したばあやや侍女たちもちゃんと守っている。

「ローゼンベルガー、身の程知らずの野望、地獄で始祖に詫びろ」

 どんな凶悪な魔獣もお父様の敵じゃない。

 ノイエンドルフの圧勝だった。

 ローゼンベルガー宰相は自分が飼育していた魔獣の毒で絶命した。

 そうなるようにお父様が追いこんだ。

 自業自得の幕引き。

「下賎の分際で」

 ギーゼラ元皇后は皇太子殿下に悪態をつくと、護衛騎士に守られて逃げようとした。

「ギーゼラ、逃げる」

「ギーゼラ元皇后らしい」

「捕まえてっ」

 千載一遇のチャンスを逃したくない。

「逃しません」

 皇太子は首を軽く振った後、侍従長は呪詛がこもったような声で続けた。

「ギーゼラ元皇后には生き地獄を味わってもらわなければなりません」

 ギーゼラ元皇后は犯した罪の分だけ、苦しまなければならない。ここで捕縛されても重い罪にはならない。処刑以上の屈辱を与えなければならない。……そんな声も聞こえたような気がした。

 これ、まさか、皇太子殿下の魂の叫び? 侍従長の魂の声?

 どちらにせよ、ギーゼラ元皇后はお兄様に捕縛された。

「下郎、私を誰だと心得る? 離しなさいーっ」

 ギーゼラ元皇后は地下牢に投獄された。

 第四皇子が忽然と行方をくらましたけれど、ローゼンベルガーの後ろ盾がなければ取るに足らない皇子。

 これで運命は変わったはず。

 ノイエンドルフの破滅は免れたよね?

 安心したらしく、私はここまで。

 妖精王として覚醒して、パワーを発揮する器が八歳児の身体では小さすぎる。

 後から聞いたけど、皇太子殿下の膝枕で私は涎を垂らした。……らしい。

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