被害者
「殺人事件……?
あたしには、単なる滑落事故に思えますけど?
そう……こういう、あまり整備されてない山では起こりがちな」
動揺を押し隠しながら……。
洋子は冷静に、おかしな探偵へそう告げた。
死体の状態は見ていない。
だが、滑落していったその状況は、この目に焼き付いている。
それが可能なら忘れてしまいたいが、おそらく、洋子は生涯、これを忘れることができないだろう。
ともかく、あの状況に照らし合わせるならば……。
死体は、各所に岩や石とぶつかった損傷があるだけであり、人為的な傷は見当たらないはずだ。
そして、自分は完璧な登山装備に身を固めており、指紋なども一切附着していないはずであった。
証拠となるのは、そう……ポケットに仕舞い込んだままになっている、スマートフォンのみ。
犯人を捜し出すといきまいているが、まず、あれが事故ではなく事件であると立証するのが、不可能なはずである。
「重ねて言いますが、間違いありません」
勇者にして探偵を名乗る青年が、落ち着いた声音で告げた。
「何故なら、事故なら確実に存在するはずのあるものが、現場のどこにも……というより、この山のどこにも見当たらなかったからです」
そこで、田中勇の目が、すっと細められる。
その瞳が射抜いているのは、洋子が着ている上着のポケット……。
男のスマートフォンが入っている場所だ。
「……スマートフォン」
告げられたその言葉に、体がびくりと反応しそうになるのを、必死に抑えた。
そんな洋子の心中を察してか、際していないのか……。
田中が、自らのスマートフォンを取り出しつつ続ける。
「いや、大変に便利な板切れです。
私が向こう側に召喚される前からありましたが、今の機種は本当に性能が上がっている。
もはや、生活必需品。財布と並んで持ち歩く品になっていると言って、過言ではないでしょう」
一体、何を見ているのだろうか……。
画面を見ていた田中が、顔を上げた。
「あちらの仏さん……ちなみに、山本さんという名前です。名前に違わぬ場所で死なれましたね。
その、山本さんですが、財布などは見つかりました。おかげで、きちんと名前で呼んであげられます。
ですが、スマートフォンが見つからないんですよ」
「見つからなかったとしても、不思議ではないのでは?
あたしも、上には登ってきましたが、急な斜面でしたし。
あんなところを転がり落ちたのなら、どんな風に持ち物が飛んでいったとしても、おかしくはないかと」
自分でも、驚くほどに……すらすらと、田中の言葉を否定していく。
薄っすらと感じている。
この男は、どういうわけだか、事故ではなく事件であると確信し……。
その上で、自分を疑っているのだ。
お前が、山本という男のスマートフォンを持っているのだろうと、暗に問いかけているのであった。
冗談ではない。
それは、間違いなく事実であるし、何ならば、真実であるといってもよかったが……。
洋子にとっては、絶対に否定しなければいけない現実なのである。
「いいえ、どこかに転がっていったのなら、私は必ず見つけ出しています」
しかし、田中の言葉は、きっぱりとしたものであった。
「……随分と、自信がおありなのですね?」
一体、何を根拠としているのか。
田中が見せる正体不明の自信に顔を引きつらせながら、そう尋ねる。
田中の答えは、単純明快だ。
「何しろ私、勇者ですから。
その上、探偵でもあります。
勇者探偵がその気になって探して、見つからないものなどこの世に存在しません」
だったら、徳川の埋蔵金か、ナチスの隠し財産でも探せばいいのだ。
何が悲しくて、こんな無名の山で死体のスマートフォンを探しているのかという話なのであった。
「失礼ながら、探したというのは、どのくらいのお時間で?」
「そうですね……三十分はかけていないと思います」
この言葉には、失笑を漏らすしかない。
「素人が、たった三十分探しただけなんですよね?
見つかるわけないじゃないですか?」
「素人ではなく、この私……勇者探偵が三十分もかけたのです。
ですが、まあ、いいでしょう。
見つからなかったものは仕方ありません」
さっきまでの強弁な物言いは、どこにいったのか……。
田中が、軽く肩をすくめる。
その上で、先程から手にしているスマートフォンの画面をこちらに向けてきた。
「では、次の疑問へ移りましょう。
彼……山本氏は、どうして死ななければならなかったのか」
「あたし、あなたの推理ショーに付き合い続けなければいけないんですか?
お腹が空いたので、食事を取りたいのですが?」
ちらりと、手元においたアウトドアバーナーやケトルを見やる。
空腹なのも本当だが、話を終わらせたいという思いも強かった。
こんな山の中で、わざわざ死体のスマートフォンを探して三十分も歩き回ったという狂人……。
死体をそのままにしない正義感と、ここまで運んできた体力には感心するが、もうこれ以上、話を聞く価値が感じられない。
大体、どうしても何もないのだ。
あえて、あの男……山本が死んだ理由を語るのならば、それは欲情が原因であると断言できる。
だから、カップ麺のフィルムを剥ぎ始めたのだが……。
田中は喋るのを止める気がないらしく、次々と言葉を吐き出す。
「カップ麺……! 大変素晴らしい食べ物です。
あちら側で、石のように硬いビスケットや干し肉で空腹を満たす度、カップ麺が食べたいと乞い願ったものでした。
ちなみに、私はペヤングの焼きそばが好きです」
「はあ……そうですか。
えっと……ペヤングはないですけど、日清のカップヌードルでよかったら、あなたも食べますか?」
そう言いつつ、バックパックから別のカップヌードルを取り出す。
洋子は他にも、羊羹やカロリーメイトを持参している。これらはいざという時、命を繋いでくれる行動食であった。
「カップヌードルしょうゆ味……!
素晴らしい!
ですが、結構。
私、その気になれば、一週間は飲まず食わずでも支障なく行動できます」
「しっかり食べた方がよいと思いますよ?」
登山者としての常識から、ついつい、ずれた言葉にずれた反応を返してしまう。
田中はそれに対し、ただにこやかな笑みを浮かべるだけである。
「さて、そのカップ麺ですが……。
あちらの被害者――山本さんも、よくお食べになっていたようですね。
こちら、ここへ来る前によって来た彼のご自宅ですが、この写真に写っている通り、流しへカップ麺のゴミが積まれてました」
「……は?」
――ここへ来る前によって来た。
言葉の意味が分からず、動きを止めてしまう。
そんな自分に、田中が差し出してきたスマートフォン……。
そこに映し出されていたのは、どこぞの流し台であった。
おそらく、単身用のアパートか何かなのだろう。
安っぽい造りのそれは、ろくに掃除がされておらず、カップ麺の空き容器を無造作に積み上げられている。
田中の言葉が本当なら、これが、山本の部屋で撮影した写真ということになるが……。
そんなことが、あり得るはずもない。
となると、ネットで適当な画像でも検索して見せてきているわけで、ますます、関わり合いになってはいけない類の人間であると思えた。
「まあ、こんな流しの写真はどうでもいいのです。
見ていると、そう……つい掃除をしたくなってしまいます。
私、暇な時は水回りの掃除に逃げがちでして」
言いながら、田中が再びスマートフォンを操作する。
「はあ……」
何をどう反応したらいいか分からず、洋子は曖昧な相槌をしたが……。
次に見せられた写真には、息を呑まざるを得なかった。
「本命はこちら。
被害者……山本さんの室内ですね。
斉藤さんとおっしゃいましたね?
あなた、彼にストーキングされていたようですよ?」
田中が見せてきた写真……。
それは、洋子の様々な写真――明らかに盗撮されたものだ――が、びしりと壁一面に貼られたどこぞの安アパート内だったのである。
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