第3話 淡色の思い出

 それから、僕と彼女の距離は一気に縮まった。

 挨拶を交わすところから始まって、会話をする様になり、互いに好きなものを語る。話をすればする程に冷たい人と思っていた人物像は和らいでいき、僕が彼女へと好意を抱くのに時間はかからなかった。


 人を寄せ付けない眼差しは、不意にふわりと笑うと可愛くて。何より、僕にだけは優しく微笑んでくれるというのもあり優越感があった。

 最たるものは、彼女の秘密を知っているのが僕だけという事だ。彼女にとって僕は特別なんじゃないか……なんて。一人、悦に入っていたのもあった。

 けれども、僕は卒業するその日まで、を口にする事はなかった。

 彼女が口にするのを待っていたわけでもない。


 ただ、彼女の特別でいられる立場が心地良かった。


 そうやって高校生活を過ごす中、俺と彼女は平行線のままだった。

 卒業する、その日までは。


 


 ひらひらと舞う早咲きの桜を、僕は誰も居なくなった教室の窓から呆然と眺めていた。校舎の二階から見下ろす階下には、彼女と見知らぬ男の姿。

 他クラスか、他学年か。わざわざ彼女を呼び出すというベタなやり口に、見知らぬ野郎が言い出す言葉は目に見えていた。

 どうせ、「今まで好きでした」とか何とか言うに決まってる。僕は見飽きた光景を前に、こっぴどく振られろと念じていた。と、言うのも――卒業間近になってから彼女が告白された回数は、これで四回目だからだ。


 居合わせたのはこれで二回目だが大体言われるのが、可愛いから、だそうだ。


 間も無くして、男はトボトボと歩いて消えていった。鼻で笑って振られた姿を見送り、もう一度彼女へと目線を戻す。と、今の今。男を振った筈の瞳が僕を意味ありげに、見つめていた。




 彼女が僕がいる教室まで辿り着くのに、五分と時間は掛からなかった。

 窓際で頬杖突いたままの僕の前の席へと座る。見なくても判るぐらいの強い眼差しに、目が合わせられない。僕の目は変わらず外を見たままだった。


「……さっきのやつってさ、振られたの?」

「見てたでしょ?」

「見てた。なんなら呪い送ってた」


 冗談混じりの本音を語って、彼女が淡く微笑う。そのままの表情で、「どうして?」などと尋ねられたなら何でも答えてくれる男は多いのではないだろうか。

 僕もその一人だけれど。

 

「真壁さんが好きだから」


 僕の告白に、横目で見た彼女の反応は薄い。ただ、口元は変わらず微笑んでいて……いや、くすくすと笑って僕を揶揄っていた――様に見えなくもなかった。

 流石に冗談抜きで自分も振られる側に回った様な気になって、慌てて向き直り、彼女を真正面から見た。


「………………やっぱり、の男じゃダメ?」


 僕の言うが何かを察した彼女は、首を横に振った。


「土井君こそ、の女の子じゃなくて良いの?」


 良いよ、と。返す口調は軽いものだったと思う。でも本心から、僕は彼女がなのかを気にしてはいなかった。

 そんな軽い返事。けれども、彼女はその何気ない一言こそ望んでいた様に、柔らかく笑って――


「私も、土井君が好き」


 ――そう言った。彼女は少しばかり気恥ずかしく笑っていたが、その姿がまた一段と可愛い。


 僕の手は自然と彼女の顔へと伸びていった。



  ◆◇◆◇◆


 

 首筋から圧迫感が消えて、淡い想い出から目が覚める。

 

 が終わった彼女は、熱っぽく息を吐いて赤く滴る唇を僕に見せつけた。

 既に青色は失せて、元の色素の薄い鳶色に戻った瞳は熱を孕んだまま睫毛を伏せる。

 用意しておいた濡れタオルを渡して、彼女が口元を拭えばの女性――いつもの彼女がそこに居る。

 

 高校生の頃よりも、随分と大人びた姿。僕を捕食する事にもなれた彼女は僕の膝の上で、あの頃と同じように「痛かった?」と尋ねる。けれども、口調には磨きがかかり、艶っぽさを浮き立たせて、だ。

 熱を秘めたままの瞳。その行方は、血が止まり始めた傷口。細い指でなぞって、昂りが再起しそうなまでにうっとりと眺める眼差しは、僕を餌と思っているのか、恋人として見ているのか――どちらかとも知れない。


「……今日はもう無理だよ。明日、僕が居なくなっても構わないなら、好きなだけ飲めば良いんじゃないかな」


 ご馳走の味を覚えた脳髄――彼女の本能なのか、貪欲な姿が時に現れる。けれども、僕が真実という脅しを告げれば、彼女はそっと手を引いて、をした猫のようにフイっと顔を背けた。


「我慢くらいできる」と言っているのかもしれない。

 その姿を前にして、僕は背けた彼女の顔に手を添えた。ゆっくりとこちらへ向かせて、まだほんのりと赤色が残る唇にそっと口付ける。

 猫は気まぐれ。キスで機嫌が良くなった彼女は、当然の如く受け入れて――段々と口付けは深くなっていく。

 食事から時間が経っていないからだろう。鉄の味が、僕に口に中にも広がった。


 


 彼女にとって、僕は文字通り程のご馳走。


 彼女に利用されているだけ。他人が僕たちを見たらそう言うかもしれない。けれども、僕はそれでも良いと思っている。

 

 愛しい彼女の特別でありたい。

 僕の願いは、それだけだ。

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