第3話

 あの日、部屋の壁ぎわに寄りかたまってふるえていたのは、娘たちばかりだった。


 王国レントリアの三人の姫──姉姫ふたりと妹姫のわたし、そして数人の侍女たち。

 南の塔の最上階に追いつめられ、皆、なす術もなく寄り添いながら、扉のほうをみつめていた。


 南の塔は星見の塔、その最上階に登った晩は、ときには燭台のあかりさえ消し、窓を開けて天の星々の美しさを満喫したものだった。

 はめこまれた星の意匠のステンドグラス、しつらえられた清楚な祭壇。

 城には礼拝堂ももちろんあるが、塔の部屋は厳格さとは無縁の空間で、ただ星に近づくための愛すべき場所であるはずだった。


 ステンドグラスからにじみ出した五色の光が、しだいに明るさをましてゆき、夜明けの訪れを知らせていた。

 扉脇の張り出し棚には、逃げ込んだ当初に侍女たちが必死でともしたろうそくが、いまだゆらゆらと細い光を投げかけている。


 閂をおろした分厚い一枚板の扉が、あかりの横に浮かびあがる。

 わたしたちと魔物を隔てる、唯一のもの。そしてもうすぐ、魔物の剛腕に打ち破られてしまうであろうもの。


 扉の向こうに魔物がいるのは明白だった。

 押したり寄りかかったりする不気味な気配がかなり前から続いていたが、それがついに叩く音、体当たりする音に変わり、徐々に激しさをましていた。


 何匹いるのかはわからない。案外一匹だけかもしれない。

 もっとも一匹だろうが十匹だろうが、どちらでも同じだ。たとえ十匹いたとしても、入ってきた最初の一匹が、わたしたち全員をいともたやすくしもべに変えることだろう。


 扉が軋むたびに、侍女たちの押し殺した悲鳴やすすり泣きが部屋を満たす。

 姫たちは泣かなかった──最後まで誇り高くあろうと決めていたから。

 見苦しく取り乱しながら、魔物の手に落ちるような真似はしない、けして。


 強く胸に誓いながら、けれど内心の恐怖の度合いは、侍女たちとたいして変わりなかったかもしれない。犠牲者たちがどんな変貌をとげるかを、目の前で見せつけられた以上、恐怖は身分の上下を問わないものだった。


 ひときわ大きな体当たりの音とともに、扉が大きく揺れ、燭台の炎も揺れた。

 一番上の姉姫が、覚悟した声でささやいた。


「……来るわ」


 声こそふるえを帯びていたものの、その顔はいつものように完璧なほど美しく、態度は落ち着いていた。

 両脇に寄り添っていたふたりの妹姫を、深いまなざしでのぞきこみ、微笑さえうかべて言葉をついだ。


「最後に見るものがあなたたちの愛しい顔で、本当によかった。そしてあなたたちが、レントリアの姫としてふさわしい立派な態度でみつめ返してくれることを、心から誇りに思うわ」


 侍女たちのすすり泣く声が、一瞬ではあるが扉の向こうの耐えがたい音をかき消した。

 ついと持ち上げた姉姫の白いこぶしには、護身用の懐剣が握られていた。

 もちろん、わたしと二番目の姉姫の手にも。無我夢中で寝室から逃げるときも、身につけることを忘れはしなかったのだ。


 侍女頭が涙を抑えながら言った。


「わたしたちもすぐに参ります。同じ懐剣をいただくことをお許しください」


 姉姫はうなずいた。


「守ってあげられないわたくしを、あなたたちこそ許してね。いままでよく仕えてくれました。本当にありがとう」


 懐剣を持ち出したのは姫たちだけであり、先にそれを使う人物も同じだった。

 磨かれた細いやいばが、姉姫の首すじに当てられる。

 その刃に迷いはなく、迷っている時間もすでになかった。

 扉が破られる前に実行しなければ、すべてが無駄になってしまう。

 いま、この瞬間にしなければ。いま──。


「エセル」


 二番目の姉姫が、刃を首に押し当てたまま、眉をひそめてわたしを見た。

 懐剣を膝におろした妹を、たしなめるようにみつめる。


「ためらうの? お姉さまにほめていただいたばかりなのに」

「ごめんなさい。でも……」

「誇り高いのは一番上の姫だけではないわ。末のあなたも紛れもなくレントリアの姫でしょう」

「それはもちろん。でもわたし、どうしても……何か別の方法が……」

「このまま生きてインキュバスのものになるつもり?」 

「いいえ」

「穢れた化け物に成り果ててもいいと?」


 わたしは必死で首を横に振る。そうなる前に死を選ぶという決意は、わたしだって同じだ。


 ただ、わたしはまだ闘っていない。敵の姿をきちんと見極めてもいない。

 もちろん見極めたところで、万に一つの勝ち目もないとわかってはいたのだが──。


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