第30話 「すみません! 勇者の父です! エリリカちゃんの忘れてる剣を返してもらいに来ました!!」 ~「治療に3日かかる」は実質半日なのが乳搾ラー~

 チャー城の闘技場の扉が押し開けられた。

 そのまま扉はドゴッと音を立てて倒れる。


 ここの扉は押戸なので正しい開け方をしたのに。


「今度はおっさんが来やがった!! ……結構タイプ!! あんた、今晩の予定は?」

「ごめんなさいね! ゴリラの乳は搾れない!!」


 完全無欠の乳搾ラー。

 益荒男。マスラオ・バロス。

 今回も呼ばれていないがしっかりと見参。


 彼が呼ばれてやって来たことはこれまで一度としてなかったが、これからも一度としてないだろう。



◆◇◆◇◆◇◆◇



 少し時間は遡って、半日前のレーゲラ城。


「……匂わないね」

「本日の朝食はムンスピのソテーですから。あ! お嫌いでしたか!?」


 ムンスピはレーゲラ・ハァァンに広く生息している川魚。

 癖のない風味と硬い鱗、鱗を落として出て来る白身もやっぱり硬く癖とか以前に味がしない。

 よって人間は見向きもしない。

 魔族はもっと見向きもしない。


 しかし川にはムンスピが溢れかえっている。

 ムンスピは別のハァァンから持ち込まれた外来種なので、定期的に捕獲しておかないとレーゲラ・ハァァンの生態系が乱れる。


 そのため、ザッコルの指示で城の職員が2ヶ月に1度領土内の川に出向き一斉に漁を行い、水揚げされたムンスピは城の食堂で処理される。

 命ある物は喩え外来種でも無為には殺さず喰らう事で己が血肉に変えてしまうという、ガイコツの恐ろしい政治である。


 職員はムンスピを食べることで『ムンスピポイント』が付与され、2ポイントからレーゲラ城の奴隷たちが作った石鹸と交換できる。

 奴隷には望んでもいない高カロリーの食事が与えられ、次の食事を欲するあまり労働意欲を無理やり湧き起こさせるという尊厳無視の残虐行為も日常的に繰り返されていた。


 なお、レーゲラ・ハァァンで奴隷は裁判を受けて服役中の者をさす。


「美味いですよ。ムンスピ。ポン酢かけたらポン酢の味がしますもん」

「ヤッコルぅ!! マスラオ様がお気に召さないと言っておられるぅ!!」


「いや。違うよ、ガイコツくん」

「は? ははっ」



「エリリカちゃんの匂いがしないなって思って。変だよね? 今って朝の9時でしょ? エリリカちゃんパジャマから着替えてる頃だから! 絶対にいい匂いするんだよ!! それがしない!!」

「モッコル! 気持ち悪い!! お父さんが娘に嫌われるヤツ!! モッコルは絶対に嫌だな!!」


 ガイコツが藻をバラバラにした。



 それからすぐに「ああ。エリリカ様たちなら昨日からチャー・ハァァンに行ってますよ? ザッコル様、ポン酢取ってください。あとドレッシングも」とヤッコルが情報漏洩をしたのでマスラオが竜車に飛び乗るまでの時間はわずか数分だったという。


「ヤッコル」

「だって言わないと我々死んでましたよ?」


「いや。それは良い。塩分を取り過ぎるな。貴様が病気になったら我も病気になる。ムンスピは明日から少量の塩でイクぞ」

「美味しくないのに……」


 こうして、まだちょっとベタベタしているお父さんが「娘の匂いがしない! いつも嗅いでるから分かる!!」という、割と気持ちの悪い理由でエリリカの不在を看破。

 すぐに向かったのであった。



◆◇◆◇◆◇◆◇



 時計の針が現時刻と重なる。


「お父さん! 今回はまだピンチじゃないんだけど!!」

「何言ってるの、エリリカちゃん!! 武器取り上げられて大ピンチじゃないの!! どうするの! こんなゴリラ相手に!! エリリカちゃんパンチするの!? 手が折れちゃうでしょ!!」


 メスゴリラーンの外皮は硬い。

 ザッコルより少し柔らかいくらい硬い。

 つまり、エリリカの柔らかい握りこぶしは簡単に砕ける。


「おー。いいっすねー。おっさん。盛り上がってるんで。なんか派手にやったってくださいっすわ」

「ロリリン!! 見損なったよ!! エリリカちゃんの様子見ててってお願いしたのに!! もうガイコツくんから何か貰ってもあげないからね!!」


「マジすか……? え。それ、何したら許してもらえるっすかね? ここで公開生変身したらいいんすか? いやもう、マジでやる構えっすけど?」



 コメント欄が「お義父さん!!」の文字で埋め尽くされる。

 益荒男は男も魅了するらしかった。



「それは大丈夫。ロリリン、自分を大事にしなさい」


 視聴者数が3000人減った。


 これはいけない。


 そんな空気を察してか、ゴリラが立ち上がる。

 既に立っていたが、飛び上がった。


 チャー城の闘技場は天井が20メートルほどある。

 メスゴリラーンがジャンプするために設計されており、彼女の攻撃方法は体の一部を巨大化させ、勢いをつけて殴る蹴るの暴行を加える事。


 大ジャンプからのヒップアタック。

 これが必殺技。


「うほぉぉぉぉ!! くたばれぇ!! イケおじぃ!!」


 ゴリラの尻が上空から迫りくる。

 しかも巨大化しているのでその表面積は半径3メートルほど。


 割と地獄絵図であり、しかも攻撃としての評価も高い。

 画面映えしない点を除けば完璧と言っても良い。


「返してもらうよ! エリリカちゃんの剣!! 女性のお尻に障るのはちょっと嫌だけど!!」

「おい、表現がひどいわ!! 触れや!! 意外と柔らかいわ!! あんっ」


 マスラオがメスゴリラーンの尻に触れると、ゴリラが甘い声を上げた。

 視聴者数が5000人減った。



「そぉぉい! そぉいそぉい!! そぉぉぉぉいやっさぁぁぁぁ!!」

「あんあんあんっ!! ああ……あ゛あ゛あ゛あ゛!? いてぇぇぇぇぇぇぇぇ!? 何してやがる、この野郎!! 尻がいてぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」



 乳搾りで鍛えた手首のスナップ。

 これを利用したデコピンならぬ尻ハジキ。


「私ね、昔から強かったのよ! ハジキ!!」


 プロヴィラルでは配信の時代が到来するまで娯楽が貧困だった。

 石を指で弾いて落とす遊びが一般的であり、マスラオはそれを独りでやっていた。


 10代半ばの時分である。


 牛の乳を搾って、休憩。牛の乳を飲みながら石を指で弾いて、再び牛の乳を搾って日が暮れる。

 彼の思春期を捧げたルーティンはお父さんになった今もまだ、マスラオの中で息づいている。


「取ったぞー! エリリカちゃん! 見て!! お父さんね、エリリカちゃんの剣を取り戻したよ!! んもぅ! すぐに忘れ物するんだから! このおっちょこちょいな、む・す・め!!」

「……くすん」


 涙目だった娘のところに駆けつけたのに、娘は未だに涙目。


「お父さんのバカぁ!! 今度こそ、せっかくあたしのデビューだったのに!! なんでいつもお父さん色にあたしを染め上げるの!? もぉ! 嫌い!!」


 剣を握りしめたマスラオが無言で地上に落下すると、静かに息を引き取った。

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