恋人呼び
薄暗い小部屋。
相手の輪郭はなんとなく見えるものの顔が全く見えないぐらいの暗さの中、二つの人影がテーブルを挟んで机の上に置かれた小さな指輪のような魔道具の受け渡しをしていた。
布の上に置かれた魔道具にはなにか魔術的なものが付与されていると思えるが、見たことのないデザインをしている。
暗殺者は魔道具を見つめる。
「この魔道具はどんな効果を持つ魔道具なんでしょうか?」
「これはターゲットマーカー。今回の標的となる人物を指し示す魔道具だ」
「なるほど……」
暗殺者は魔道具に向けられた意識を顔の見えない依頼人に向ける。
「で、今回の依頼内容は?」
「任務地は水晶の森。事故に見せかけて標的を始末して欲しい。手段は任せる」
「了解」
二つ返事で依頼を受ける暗殺者。
暗殺者はあくまでも仕事を遂行するだけで、暗殺の目的や理由には敢えて踏み込まないのがこの業界のルールだ。
聞いた瞬間、暗殺計画を共有する関係となり依頼完了と同時に消される可能性が高くなるので絶対に踏み込んではいけない領域である。
暗殺者と思われる男は魔道具を手に取ろうとするが、依頼人はそれを止めた。
「その魔道具を素手で持たない方がいい」
「!」
暗殺者は慌てて魔道具を放りだす。
「その魔道具を手にすると標的に殺意を抱いてしまうからな。お前自身が殺人鬼となってしまうぞ」
暗殺者は表面上は冷静さを保ち続けるが、内心は椅子から転げ落ちるほど震え上がっていた。
まさか初仕事でこんなにもヤバい代物と関わることになるとはな……。
でも、それを表に出してしまったら暗殺者失格だ。
見た目だけでも冷静さを保ち続けながら依頼人が部屋から出ていくのを見送る。
「では、報酬は任務完了後に」
依頼人が部屋を立ち去ると、暗殺者は魔道具を布にくるみ持ち去った。
*
実技オリエンテーションの探索トライアルが始まった。
地図を見ながら目的のポイントに辿り着ければ終了の簡単な課題である。
地図の読み方に自信がなくても塔自体の位置は少し開けた広場に行けば先端を見ることが出来てすぐに確認が出来る。
森には多少の魔物が居るが、この水晶学園に隣接する森には強敵はいないので危険はない。
チャールズ王子は敬愛するウィリアム王子と組めたことでテンションが上がりまくりだ。
「兄貴、俺たちが最速クリア記録を樹立しようぜ!」
「俺たちは3か所ある塔のうちの一番遠い場所に向かうんだから、最速記録の樹立は無理だろ」
3つある塔のうち一番遠くて危険な塔を王子たちは選んだ。
まあ、危険といっても二人の戦闘力なら擦り傷さえ出来なさそうなので心配はないわね。
ただ、塔までの距離が最短の塔に比べて3倍ほどあるのでウィリアム王子が言うように最短記録の樹立は無理かもしれない。
それでもチャールズ王子はやる気満々だ。
「それでもだ! やる前から諦めるなんてことはせずに、学年最速記録を目指そうじゃないか!」
「わかった。記録に挑戦してみよう」
無理だと言い切って切り捨てないウィリアム王子に好感が持てる。
対するアイもやる気満々だ。
「アイビス様、頑張りましょう。最速記録に挑戦です」
「ええ。頑張りましょう」
わたしたちが選んだ塔は2番目に遠い塔だ。
王子たちの塔の距離の半分ほどしか無いから断然有利だけど、歩いて20分程と結構長い。
魔物に襲われるとかのトラブルが無ければ、最速競争でまず負けることは無いけどね。
対して歩いて10分ちょっとと一番短い距離の塔の担当のマリエルとビリーくんは不安がっていた。
「わたしの戦闘力は皆無に近いから少し心配です」
「そうだね。僕も剣と魔法が殆ど使えないから、魔物と出会った時のことを考えるとちょっと心配だよ」
マリエルって騎士団ルートだと将来男装騎士になるけど、この時点のマリエルってまだ剣が扱えないのよね。
チャールズ王子が不安がってる二人に気が付くと助け舟を出す。
チャールズ王子って剣が得意なだけじゃなくて、細かいことに気配り出来て結構いいひとなんだよね。
「仕方ないな……。俺がビリーと組むから、兄貴はマリエルと組んでくれない?」
「俺がマリエルと組むのか?」
それって、絶対ダメなやつ。
マリエルと組んだことで好感度爆上がりだけは絶対に避けたい。
「アイビスに怒られそうだから他の女とはあんまり組みたくないな」
ウィリアム王子もマリエルと組むのはあまり乗り気ではない。
もちろんわたしもだ。
こんな所でペアが組み直しになったら大変だと、わたしはビリーくんを励ます。
「一番短い距離の塔だから心配ないわよ」
「でも……」と、心配そうなビリーくん。
わたしは無理やり元気付ける。
「ビリーくんは男なんだから女の人を守らないとダメでしょ!」
「そうだけど、僕は剣も魔法も不得意なんですよ」
ならば、誰でも使えるあれを渡せばいい。
わたしはリュックから非常時用の呪符を取り出す。
炎の呪符に雷の呪符、そして土の呪符の束だ。
魔法を封じ込めたのが呪符。
これを投げれば、魔法が不得意でも一枚で一発撃てる使い捨てのアイテムだ。
「魔物が出たら、この呪符の束を投げまくりなさい。きっと魔物は驚いて逃げていくわ!」
不安げな顔をしつつ受け取るビリーくんに更に呪符を押し付ける。
「それでもダメだったら緊急警報用の呪符もおまけに付けるわ!」
「緊急警報?」
「どうにもならないことがあったら、使ってちょうだい。煙が打ち上がって大きな音が出るから、すぐに助けに行くわ!」
わたしはビリーくんの背中を叩いて励ます。
「マリエルに男らしいとこを見せて惚れさせちゃいなさいよ!」
「あっ、はい」
ちょっと頼りなさげで心配だけど、頭の回転の速さは学園で一番なのできっとうまくいくはず。
ダメ押しにマリエルに剣を貸す。
「マリエルもこの剣を使って魔物をやっつけちゃいなさい」
「あっ、はい」
二人とも返事が「あっ、はい」だったのでビリーくんとマリエルが見つめ合って笑っていた。
二人は結構いい雰囲気ね。
これでペア決め問題は解決。
ふー、良かった。
こんなとこで王子とマリエルの好感度が爆上がりしたらたまったもんじゃないわ。
こうしてわたしたちの探索トライアルが始まった。
*
笛の音がなり、わたしたちの探索トライアルが始まる。
「よし、兄貴いくぞ!」
「おう!」
アイも負けずと号令をかける。
「アイビス様、行きます!」
「アイ! 行こう!」
わたしたちは塔を目指した。
ゲームとしては1回しかないイベントだったけど、リルティア王国物語を何周もクリアしたわたしにとってはやり慣れたことだ。
地図を見て塔を目指すだけの簡単な作業である。
でも、ゲームと違って少しだけ勝手が違う。
わたしがゲームで選べたのは、なにも無い森の小道を歩くだけの一番短いコース。
リアルで言うならば遊園地やイベント会場にある巨大迷路で、ゲームで言うなら3Dダンジョンだけど、ほぼ直線のコースで迷路って程複雑なルートじゃない。
平地をただひたすらゴールに向かって歩くだけだったわ。
出てくる敵も最弱クラスね。
でも、今わたしが挑戦しているのは2番目に長いコースで、目の前には高さ5mぐらいの崖がある。
そしてその崖の上に塔があった。
「なんで目の前に崖があるのよ」
「これを登ればいいんだと思います」
「いや、これはどう見ても登れそうもないわ。戻って別のルートを探すわよ!」
「そんな遠回りをしていたらチャールズ王子に負けてしまいます。アイビス様はチャールズ王子たちに負けても悔しくないんですか? アイは悔しいです!」
目に涙を溜めていて、本当に悔しそう。
遠回りをして魔物が襲って来ても面倒だから崖を登るわ。
わたしは覚悟を決めた。
アイは猿の様に軽快に崖をよじ登ると、上からロープを垂らして来た。
なんで都合よくロープが崖の上にあるのよ……。
どこからロープを持って来たか考えたら負け。
わたしは敢えてその問題に触れずにロープを使って崖を登る。
アイみたいには素早く登れなかったけど、2分ぐらいで登ったので結構速いと思うわ。
今までの消費タイムは14分。
これならチャールズ王子に勝てるかも。
塔のボタンを同時に押すと、わたしとアイは風の魔法でゴールへと飛ばされる。
ゴールまであと少し。
これならチャールズ王子たちに勝てると確信したんだけど……目の前には死ぬほど息を切らせたチャールズ王子とウィリアム王子が地面にひっくり返っていた。
「ど、どうだい……お、俺たちの勝ちだ!」
「ぜーぜー!」
ウィリアム王子は声も出せない程息が上がっていて、肩で息をしている。
勝ちを確信していたアイは本当に驚いていた。
「アイが勝てたと思ったのに、負けた。完敗」
「どうだ? 凄いだろ?」
「凄い」
わたしは補給所から飲み物を持ってきてウィリアム王子に渡す。
わたしは素直に王子を称賛した。
「凄かったわ、ウィリアム王子」
水を飲みながら、どうにか返事をするウィリアム王子。
「アイビスに勝てるのはこれぐらいしかないから頑張ってみたんだ」
「かっこよかったわよ」
王子を抱きしめると王子もわたしを抱きしめて来た。
「最高のご褒美だな」
「えへへ」
わたしにも最高のご褒美をありがとう。
ウィリアム王子は本当にわたしにベタ惚れなんだから……マリエルと出会ってもひとめ惚れしなかったしね。
そろそろ、わたしの方も王子に惚れちゃってもいいのかも……。
王子が遠慮がちに話して来た。
「今回の勝負で勝ったからアイビスから賞品を貰おうと前から決めていたんだ」
欲しい賞品てなんだろ?
もしかして、『賞品はアイビスだ!』とか言われたら心の準備が出来ていないから困るわね……。
ウィリアム王子は恥ずかしそうに俯きながらボソリと言う。
「今から俺のことをウィリアム王子じゃなく、ウィリアムと呼んで欲しい」
なんだ。
そんな事でいいのね。
「わかったわ。ウィリアム王子……じゃなく……ウィリアム……」
ウィリアムと言った途端、わたしの顔が真っ赤になった。
なにこれ、めっちゃ恥ずかしい。
前世でも男の人を恋人みたいに名前だけで呼んだことが無かったけど、こんなに恥ずかしいものなの?
恐るべし、恋人呼び。
「ありがとう、アイビス。これで本当の恋人になれた気がするよ」
恋人となったウィリアムの笑顔がただただ眩しかった。
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