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落花生

第1話ダンジョンに振り回された子供



 この国には、貧困しかない。


 それが、サロイの持論である。サイロは二十代前半の男で、幼い頃に遠い国から誘拐されてきた元子供だった。


 子供のときはダンジョンに潜って命懸けでアイテムを収集して、自分を所有する組織のために働いていた。危険の多い仕事だったが、貧しい国では弱者の命は軽い。幼いサイロが死んだところで、誰も気にしなかったであろう。


 サイロは冒険者だったから、普通の子供よりは命に価値があった。


 価値のない子供たちは、ダンジョンに潜るよりも危険な仕事をさせられていた。そして、復帰できないほどの大怪我を負えば、バラバラに解体されて先進国に売られていく。移植用の臓器となって。


 身体が弱くて臓器にすら価値がない子供は、裏路地に捨てられた。その日の食料さえも手に入れられない子供たちは飢えて亡くなり、死体は野良犬やネズミが食らいつくすのであった。


 サイロがいるのは、病院の死体安置所だ。


 病院の地下に作られた部屋は、冷房を効かせなくともひんやりしている。電力の提供に信頼のない国では、地下の冷たさも合わせて死体を腐敗から守るのであった。


 死体を葬るためではなく、処分するまで腐らないようにするためだ。安置所に置かれているバラバラの死体の扱いからして、死者への尊厳は期待できない。なにせ、死体はゴミ袋に入れられているのだ。


 命には、肉体以上の価値はない


 そんなことを教えてくれる安置所には、サイロの他にも人間がいた。


 それは、子供である。


 名は、☓☓☓。


 本名ではないので、明日からは名乗らなくなる名前だ。彼は、これからは本名だという泉メノウを名乗って生きるのである。


 見目麗しい子供は、ゴミ袋に入れられた死体をじっ見つめていた。事情を知らない者が見れば、不気味過ぎる光景だ。


 なにせ、子供の口元には笑みが浮かんでいるのだから。元々の造形が美しい子供が笑えば、人は超常的なものを想像する。


 今の彼はさながら悪魔の申し子と言ったところであろうか、とサイロは皮肉を考えた。そう考えれば、服の下に隠されている幾多の蛇の入れ墨も悪魔の手下らしい特徴だ。


「僕は、お前らよりもマシなんだよ。拐われてきた僕には故郷がある。その国に、帰れるんだ」


 ゴミ捨て場からはオサラバだ。


 そんな言葉を吐くというのに、子供の瞳は揺れている。言葉すら覚えてはいない母国に帰ることが、不安でしょうがないのだろう。


 だからこそ、自分はマシなのだと言い聞かせる。臓器を抜き取られてバラバラにされた者たちよりも恵まれていると考えて、自分の運命を受け入れているのだ。


 不謹慎だと人は言うし、残酷だとも思うだろう。


 それでも、それが過酷な人生を歩んできた☓☓☓の処世術だった。


 サイロと☓☓☓は、同じ犯罪組織に属する上司と部下の関係だ。サイロは組織の幹部の一人であり、☓☓☓は子供ながらにサイロの護衛の任務を与えられていた。


 サイロ自身が戦えないわけではないが、彼は貴重な回復の魔法が使える冒険者でもある。万が一を考えて、組織は補充がきく盾を用意したのだ。


 子供が護衛になることにサイロは拒否感を覚えたが、それは最初だけだった。


 ☓☓☓は大人びており、頭も良かった。機転が利き、彼のおかげで退けられた危機もある。いつの間にかサイロは☓☓☓を部下ではなく、弟のように思っていた。


 世界の最下層で育ったから、☓☓☓も人並みの幸せは求められないだろう。なら、せめて一秒でも長く生きていられるようにしようと思った。サイロは、☓☓☓にしっかりとした教育を施した。


 学校に通っていない☓☓☓の知識は偏っていたが、語学においては抜きん出た才能を発揮していた。


 組織には、様々な理由で祖国から逃げてきた人間がいた。☓☓☓は、そんな人々が喋っている言葉を覚えていたのだ。品のないスラングばかりだったけれども日常会話が可能な言語がいくつもあった。喧嘩を売るだけだったら、世界人口の三分の一には売れるだろう。


 豊かな国で育っていたら、☓☓☓は人々の期待に答えられる子供だったであろう。いいや、将来は誰かを救える人間になっていたかもしれない。


 しかし、彼は泥水で育てられてしまった。人を殺さなければ生きてはいけない環境で育ち、人を殺せる人間に育ってしまったのだ。


 神さま、とサイロは何度祈っただろうか。


『☓☓☓をまともな世界に引き上げてください』


 その願いは通じたのかもしれない。


 ☓☓☓は生まれ故郷の日本に帰って、その国の子供になる。


「身内に拒絶されたからってなんだ!人を殺したってだけで、化け物を見るような目で見やがって!!自分が恵まれていることを自覚しやがれ!!」


 先日、日本から子供の本当の家族がやってきた。現地の警察と日本の警察が力を合わせて、過去に冒険者にするためだけに拐われた子供の居場所を特定をしたからである。


 その子供が、☓☓☓だった。


 組織の中で冒険者として育てられた☓☓☓は、ダンジョンの内外に関わらず立派な戦力だった。だからこそ、大人たちは人殺しに☓☓☓を利用したのだ。


 サイロは理解している。


 この国では、そうでもしないと子供は生き残れない。だが、☓☓☓の実兄は違った。


 実兄は、誘拐犯に両親すらも殺されていた。家族を壊した殺人という犯罪を実兄は憎んでいる。しかし、☓☓☓は生きるために殺人犯になっていた。


 実兄が、そんな☓☓☓を憎まないはずがない。感動の兄弟の再会からして不穏な雰囲気が漂って、☓☓☓は拒絶された。それどころか、殺されかけた。そして、こんなことを言われたのだ。


「お前が、どんなに罪深い存在か。いつか思い知らせる」


 余りにも滑稽な言葉に、サイロは泣きながら笑ってしまった。


 生まれたときから最下層にいる人間は、歩くたびに罪を犯さなければ大人にはなれない。他人から奪わずに、施すだけの清廉潔白さだけを持っていたら殺されるだけだ。


 これから、☓☓☓は言葉も分からない故郷に帰る。日本は平和な国だから、☓☓☓の罪深さはより一層の鮮やかさを帯びるだろう。


 彼の実兄のような理由を知ろうともしない人間の正義に、☓☓☓は害されるかもしれない。世間一般的には、サイロも☓☓☓も組織も消えてなくなった方が平和だからだ。


 善き人は、平和を祈るものだ。


 悪しき者は、自分が生きるためだけの場所を探して他を拒絶する者だ。


 賢人は双方に居場所を作り、平和をもたらす。


『日本で☓☓☓が出会うだろう人々が、善き人でもなく悪しき者でもありませんように』


 サイロは、そんなことを人知れず願った。


「――☓☓☓」


 最後になるかもしれないから、万感の思いを込めて名前を呼ぶ。彼が本名を名乗って生きたとしても、自分の胸には彼の名が残るように。


「俺を貶め。哀れだと思って見下せ。それで幸福になってくれるなら、俺にとって幸いだ」


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