第42話 狂犬との戦い

 薄暗い廊下を歩いてきながら、先頭にいる若い男が、にこやかに声をかけてきた。


「やあ、初めまして。僕はアマツイクサの第七分隊長、小泉晴比古こいずみはるひこだよ」

「おい! おいおい! ちょっと待て! なに自己紹介してるんだ!」

「まず挨拶するのは礼儀でしょ、草埜さん」

「だから! 無防備に個人情報を相手に与えるんじゃないよ!」


 小泉晴比古は、甘いマスクの爽やかそうな青年だ。一見すると、害意はなさそう。だが、その醸し出している雰囲気が、罠だと匂わせる。


「こっちは、第八分隊長の、草埜宏一くさのこういちさんだよ。いまから君達の相手をする。よろしくね」


 悠人と斗司は、互いに顔を見合わせた。相手のペースに変に巻き込まれてしまい、調子が狂っている様子だ。


「大丈夫なの? なんだか、相手、強そうだけど……」

「ねーちゃん、俺達に任せれば、平気だよ。ちゃちゃっと倒すから、まあ、見ててよ」


 そう言うやいなや、悠人は床を蹴り、第七分隊長の小泉へと飛びかかっていく。

 同時に、斗司もまた、第八分隊長の草埜をターゲットと定めて、襲いかかった。


「おお、速い!」


 小泉は楽しそうにそう言った後、悠人が放ったパンチをかわし、その腕を抱え上げた。


「そおらっ!」


 一本背負いで、悠人のことを投げ飛ばす。

 が、悠人は床に叩きつけられる寸前で、足を巧みに着地させて、投げのダメージを受けないように踏ん張った。


「ひゅう! やるね!」


 小泉は悠人の背中を蹴った。悠人は前によろめくと、キッと怒りの目を小泉に向けて、拳銃をガンホルダーから抜く。


「おっと、それは悪手だよ」


 一気に悠人の懐に飛びこんだ小泉は、拳銃を持ち手ごと押さえて、発砲できないようにする。そこから、立て続けに、頭突きをかました。甘いマスクに似合わない、実に荒々しい戦い方だ。


「あいつは狂犬と呼ばれてるからな」


 一方で、静かに斗司と対峙している草埜は、呆れたように肩をすくめて、そう小泉のことを説明した。


「相手をぶっ壊すほどに、暴れまくるのが、小泉の戦闘スタイルだ。あの坊やには、少々荷が重いかもしれないぞ」

「逆に、てめーは外れクジを引いたな」

「どうしてだい?」

「なぜなら、俺は俺で狂犬みてーな戦い方が好きだからだよ」

「マジか。それは外れクジだな」


 心底面倒くさそうに、草埜は肩をすくめた。


 そこへ、斗司はオオオッ! と吼えながら、殴りかかる。その拳を、紙一重でかわした草埜は、カウンターで斗司の腹部に掌底を当てた。


「ぐ⁉ お!」


 斗司はよろめきながら、後退する。


 草埜は、いまの回避は実はけっこうギリギリだったらしい、冷や汗を垂らしながら、「ふうう、あっぶねえ!」と一人言をいっている。


「てめえ! この!」


 もう一度、斗司は飛びかかった。


 当てられそうで、当てられない。草埜に攻撃が当たるかと思った直後には、体をさばかれて回避されてしまい、反撃の一発を喰らってしまう。

 それを三回ほど繰り返したところで、ようやく、斗司は相手が尋常ではない格闘能力を有していることに気が付いた。


「お前、何か武術をやってるな⁉」

「合気道を少々」


 なんだかんだで、草埜は余裕で戦っているわけではなく、額に滲んだ冷や汗を腕で拭った。もう一人の小泉とはえらい違いだが、無理もない。単純な戦闘能力で見れば、悠人より斗司のほうが格段に上である。


 さて、蓮実である。


 迂闊に参戦しても足手まといになるから、斗司や悠人の戦いを見守ることしか出来ず、ただ戦闘空間からなるべく離れてオロオロしている。


 ただ、単純な格闘戦では、やはり夜刀神の者達に軍配が上がるようだ。徐々に、小泉も草埜も押され始めた。


 その様子を見て、蓮実が希望を見出してきたところで、後方からバタバタと足音が聞こえてきた。アマツイクサか、それとも主戦派か。どちらにせよ、この状況では相手することは難しい。


「なに、ボサッとしてんだ! いまのうちに逃げろ!」


 斗司が、草埜に掴みかかりながら、蓮実に向かって怒鳴った。


「え、でも」

「他の部隊がいるのを忘れたのか! 俺達に構うな、先へ行け!」

「大丈夫、必ず誰かが、ねーちゃんを助けてくれるから!」


 悠人にも脱出を促されたことで、蓮実の覚悟は決まった。四人が戦っている脇をすり抜けて、研究棟の玄関へと行き、自動ドアを開けた。スナイパーが心配だったが、そっちは一馬が何とかしてくれているはず。


「あ……れ……?」


 誰もいない。

 あんなに穏健派の大人数で構内に乗り込んだというのに、他の仲間達は全然姿を現さない。


 何かに、足がぶつかった。


 下を向いた蓮実は、そこに転がっているものを見て、「ひっ!」と悲鳴を上げる。


 男の生首だ。

 それも、穏健派の一人。部隊を率いていたリーダー格の男。


「な、なんで……」


 よく周りを見れば、いくつも死体が転がっている。全部、穏健派の部隊。全滅だ。


「来たか」


 暗がりの木陰から、ズッと闇を引きずるようにして、黒いコートを着た長身の男が姿を現す。


 蓮実は、その男に見覚えがあった。


 以前、電車の中で襲撃してきて、涼夜と激戦を繰り広げた男、ヤン。またの名を南京の亡霊。


「あ、あなたが、みんなを殺したの……?」

「必要なのはお前だけだからな。あとは邪魔だ」


 ヤンの後ろから、さらに二人現れる。一人はツインテールのセーラー服を着た少女。もう一人はタンクトップ姿の、泣きぼくろが印象的な大人の女性。


「雪乃、杏樹。姫を捕獲しろ。さっさとここから退散するぞ」


 ヤンの命令を受けた二人は、ツカツカと早歩きで蓮実に迫ってくる。


「いや……来ないで……」


 蓮実はいつしか建物の外壁へと追い込まれ、逃げ場がなくなってしまう。あとは、もう、首をいやいやと振ることしか出来ない。


 セーラー服の少女が無表情で手を伸ばしてきた、その時だった。


 高所より、黒い影が降ってきて、少女の背後に着地にした。


「なに⁉」


 驚いた少女が振り返り、黒い影と対峙した、その瞬間、彼女は驚きの声を上げた。


「兄さん……⁉」


 乱入してきたのは――涼夜だった。

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