第17話 深紅のライダー

 足が空回りする。


 地面を変な風に蹴ったせいで、膝に負荷がかかり、筋肉と関節が悲鳴を上げる。


 それでも十歩ほど走ったあたりから、ペースを掴み始めた。体全体が軽くなり、プレッシャーから僅かに解放される。


 背後から狙撃されるのではないかと恐れながら駆けているうちに、気が付けば森の中のT字路に出ていた。


 ほんの一瞬立ち止まり、すぐに左へと曲がる。一度決めたことだ、迷う必要はない。


(行ける!)


 気が緩んだ、その瞬間。


 銃声が鳴り、足元の土が弾け飛んだ。


 胃が裏返しになって喉奥から飛び出そうになるほど、体の内奥から痛みを伴い、恐怖心がせり上がってくる。咄嗟に、蓮実は銃声が聞こえたほうの山肌へと寄り、近くにあった木の幹へと体を寄せた。


 また銃声。耳元の木の皮が弾け飛ぶ。射線に入らないよう、さらに木の陰へと体をずらす。


 やはり追われていた。


 鼓動が激しい。心臓が何度も伸縮を繰り返しており、そのうち粉々に砕けそうだ。


 頭を吹っ飛ばされた農家の人のことを思い出す。何もわからないまま死んでいった犠牲者。選択を間違えれば、自分もあんな風に死ぬ。


 当然湧いてくる恐怖。誰もが抗えない疑問。死んだらどうなるのか。一発で頭を撃ち抜かれた途端、自分にどんな変化が起きるのか。闇の訪れ? しかし闇を闇と知覚出来る意識は、自分に残されているのだろうか。


 息が荒くなる。


 ただひたすら怖い。


 木の陰から出たら、間違いなく殺されてしまう。その先は永遠に目覚めることがない。自分が何で狙われないといけなかったのか、その理由を知ることもなく、貴重なたった一度の人生を終わらせてしまうことになる。


「いや……」


 涙がこぼれる。


 体中から力が抜けてくる。


「やだ……やだっ! 死にたくない!」


 嗚咽を漏らす。そんなことをしても助かるわけがない。ここで待っていてもいつか殺されてしまう。それはよくわかっている。でも、もう走る気力は出てこない。生きるか死ぬかの賭けをするよりも、一秒でも長く生き永らえられる道を選びたかった。


 涼夜の顔を思い出す。


 小学校の頃、あんなにも好きだった人と再会できた。でも、ここで死んでしまえば、もう二度とその幸せを味わうことは出来ない。


「助けて……」


 へたり込み、膝を抱えて、ただガタガタと震える。


「誰か、助けてっ!」


 来るはずもない助けを求めて、天に向かって泣き叫ぶ。


 バイクの爆音が聞こえた。


 T字路のほうからだ。


「!」


 蓮実は目を見開く。


 土を撒き散らし、慣性でドリフトをしながら、500CCクラスの真紅のバイクが、蓮実の視界へと躍り出てきた。


 赤いライダースーツに身を包んだ運転手が、背中のホルダーから、サブマシンガンを取り外した。銃口は、山のほうへと向けられる。連射音が森の中に響き渡る。


 自分が撃たれるのではないかと身構えていた蓮実は、心臓に優しくない発砲音に悲鳴を上げ、両耳を手で押さえる。


 赤いライダーによる連射が止まった。恐る恐る手を頭から外し、様子を窺うと、ライダーはバイクを進ませきて、そばで止まった。ヘルメットを外し、長い茶髪を宙にふわりと舞わせる。


 中から出てきた顔を見て、蓮実は叫んだ。


「夕華⁉」


 バイクに乗っているのは、失踪しているはずの夕華だった。


「後ろ、乗って」


 飲み会の時には見られないような、真剣な表情の夕華に促されるも、これは何かの悪い冗談かと現実を受け入れられない蓮実は、ただ呆然と相手の顔を見ることしか出来ない。


「早く! 相手が怯んでいるうちに!」


 怒鳴られたことで、なんとか立ち上がることは出来た。


「ほら、しっかり!」


 やっとのことで、よろめきながらも、バイクのほうへと歩いていく。


 後部シートにまたがる。


 夕華の腰に手を回した途端、バイクは急発進した。振り落とされないよう、蓮実は腕に力を入れて、しっかりとしがみついた。


 森の中を高速で駆け抜けてゆく。


 あっという間にバイクは住宅地に飛び出した。同じように乗り物を使って追っ手が来ないかと、蓮実は後ろを振り返ってみたが、何も来る気配はない。


 助かった、と実感したのは、国道に出て、夕華がアクセルを緩めた時だった。法定速度プラス十キロくらいのペースに落ち、前を走るワゴンの後ろについて、さっきまでの緊張感はどこへ行ったのかというくらい何食わぬ様子で道を走っていく。


 心臓はいまだ激しく脈打っている。


 問いたいことは山ほどあるが、気持ちが落ち着かないので、なかなか口を開く気になれない。それは夕華もわかっているのか、ずっと無言でいる。


 霞ヶ浦を越えて、橋を下りたところで、夕華はバイクを道の脇に停めた。蓮実は彼女の腰から手を離し、地面に足を着ける。途端に、膝が笑い、ガクンと体勢を崩した。


「無理ないよ。怖かったでしょ」


 ヘルメットを取った夕華が、バイクにまたがったまま、顔を向けてくる。蓮実は全身の震えを実感しながら、黙って、頷いた。


「本当はあの時の飲み会で、話しておくべきだったかもしれない。でも、蓮実を巻き込みたくなかったから。ごめんね」


 ごめんね、と言われても、そもそも現況を全く把握出来ていないので、何も返しようがない。誰にどんな責任があるというのか。まるでわからない。


「何が、どうなってるの」


 辛うじて、それだけは問えた。


「逆に教えて。蓮実はどこまで知ってるの」

「知らない。何も」

「叔父さんから聞かされていなかったの?」

「全然」

「涼夜君は? 彼は教えてくれたんでしょ」

「……どういうこと?」


 夕華を睨む。叔父はともかく、涼夜が今回の件にどう関わっているというのか。たしかに思わせぶりなことは言っていたし、深追いするなとも話していたが、それは夕華の失踪に絡むことであり、叔父が忠告していた蓮実の過去についての話とはまるで別のことである。


 それが、まるで、夕華の口ぶりでは、密接に関係しているかのような印象を受ける。


「本当に、教えられてないの?」

「嘘ついてどうするの」


 少し苛立ってきた。


「いい加減にして。どうしてみんなハッキリと言ってくれないの? 私に色々調べられて都合が悪いんだったら、ちゃんと理由を話せばいいじゃない。それなのに、隠し事ばかりで。だから――」


 だから。


 叔父は自分を連れ戻そうとやって来て、そして。


 爆死した。


 ゾッと怖気が走る。そう、これは単純な話ではない。生き死にがかかってくる大変な問題。叔父の言ったことが本当なら、まさに戦争が起きている。自分がもしもその戦争において重要なポジション――命を狙われるほどの――にいるのだとしたら、軽々に事情を明かせないのではないだろうか。


 下を向く。頭が痛い。考えれば考えるほど、恐怖が増してくる。


「……お願い、教えて」


 声を絞り出して問いかける。


「夕華が、姿消して、何してたのかとか……なんで私が命を狙われているのかとか……いっぱい聞きたいことはあるけど……」


 顔を上げ、夕華を見据えた。


「教えて。これは、誰と、誰の、戦争なの?」


 夕華は顔を背けた。風が吹き、長い茶髪がなびく。その後ろ姿を見つめたまま、蓮実は辛抱強く答えが返ってくるのを待った。


「戦争、っていうのはわかっているんだね」

「叔父さんが、最期に、言ってた」

「どちらにせよ、もう手遅れか……」


 溜め息とともに夕華はかぶりを振った。


 蓮実は一歩近付く。


「早く。話して」


 また沈黙が流れる。しばらくしてから、夕華は振り向いた。


「夜刀神」


 ああ――と蓮実は納得した。

 どこかで、その答えを予想していた自分がいた。

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