第6話 桐江涼夜

 歌舞伎町の店に着き、中に入った蓮実は、個室まで通された。掘りごたつ式の畳の部屋。茨城から東京へ出てきている人間だけでの集まりなので、今日も五人くらいしかいない。


 座席奥の中央にいる人物を見て、息が止まるかと思った。


 小学校の頃の初恋の人が、焼酎のグラスを片手に、和やかに談笑している。前回の集まりには参加していなかった彼が、そこにいる。十年近く経っているが、あの当時の魅力は変わらず、むしろ大人になったことでより一層格好良さが増したように見える。色白の肌に、線は細いが男らしい顔立ちをしており、スマートな美しさがある。


「いらっしゃーい!」


 千鳥足で寄ってきた夕華が、蓮実に絡みつく。しっしっと手で払う。いつもロングの茶髪にウェーブをかけて、もうちょっとオシャレに気を遣っている夕華は、今晩はかなり飲んでいるせいか髪が乱れている。


「ああ、長峯さん」


 涼夜はパッと顔を明るくし、立ち上がった。


「待ってたよ。こっち空いてるよ」

「えー、私がいるのにー」


 隣に座って涼夜と親しげに話していた女子が、ほっぺたを膨らませる。名前と顔が思い出せない。やはり彼が好きだった同級生だろうか。


「ごめんね。長峯さんと話すの久しぶりだから、ちょっとだけ」

「はーい」


 ふくれ面の女子は席を移動し、もう一人の男子の横へと行く。すぐに華やいだ表情に戻り、ぺちゃくちゃとお喋りを始めた。


「元気にしてた?」

「それなりに」


 涼夜の言葉に対して、知らず知らずのうちに素っ気ない返事になる。自分のコミュニケーション能力の低さを呪いながら、運ばれてきたカシスオレンジのグラスを片手に持ったまま、懸命に次の言葉を絞り出そうとする。


「桐江君は、大学で何してるの?」

「学部は教育学部。教員になる気はないけど、一応資格は取るつもり。一番なりたいのは図書館司書」

「あれって倍率高いんでしょ」

「資格持っている人に比べて、採用枠が少ないからね。でも、場所を選ばなければ、どこかしら需要はあるよ。意外と肉体労働系だし、憶えないといけないこと多いしで、敷居は意外と高いから、ものすごい人気の職業ってわけでもないし」

「一日中本を読んでればいいような仕事かと思ってた」

「長峯さんは何を勉強してるの?」

「言ってもピンと来ないよ」

「教えて」

「日本の古代史研究。私がいまやってるのは『常陸国風土記』に出てくる夜刀神。わからないでしょ」

「へえ」


 気のない返事だな、と蓮実は感じたが、よく見ると涼夜の目が険しくなっているのに気が付いた。


「どうしたの?」

「――考え事」

「そういえば、小学校でもちょっと習ったことあるよね。地元の民話で。桐江君も憶えてるの?」

「たぶん」


 返しに切れがない。どうしたのだろうと、心配になってきた蓮実がなおも問いかけようとすると、ガシャンとグラスの割れる音がした。


 夕華が酔っ払って床に落としたようだった。グデングデンになって、前後不覚の状態だ。


「あー、ひどいなあ」


 涼夜はスタッフを呼ぶと、割れたグラスを片付けさせた。その間に、女子の一人が夕華の介抱を行っている。夕華が何かを呟いた。声が小さくて聞こえない。自分の名前を呼ばれた気がして、蓮実は近寄ろうとした。


「いいよ、そのままにしておこう。お店の人がやってくれるよ」


 そうじゃないが、引き下がることにした。


 自分の名前を呼ばれたような気――がしただけでなく、夕華は、自分を睨んでいるように見えた。ただならぬ雰囲気だった。


 もううなだれているため、再確認することはできない。


 見間違いだったのだろうか、と蓮実は小首を傾げた。


「夕華、あんなに飲むんだ」

「私も彼女と飲むのはたまにだけど、今日はちょっと飲み過ぎ」

「ストレス溜まってるんじゃないかな」


 そう言って、涼夜はグラスに口をつけた。


 桐江涼夜という存在が蓮実の中で大きくなったのは、小学六年生の時、クラスメートにいじめられていたのを彼が助けてくれてからだ。その前から、何かと目立つ人間だったので気にはしていたが、あの日からもっと意識するようになった。


 いじめられていた理由は、多分、両親に関わることなのだと思う。だからか、何も思い出せない。無理に記憶を掘り起こそうとすると、頭が痛くなってくる。とにかく、クラスの男子に言葉責めを受け、廊下の端でしゃがみ込んで泣きじゃくってたところを、涼夜がその男子を殴り飛ばして助けてくれたことは憶えている。


 温厚な性格の涼夜が暴力行為に及んだことで、同級生達は驚いていた。おそらく蓮実に対する男子の物言いがあまりにも酷かったのだろうが、それにしても度を越した反応だった。


 誰とでも仲良くし、成績もトップクラス。物静かで礼儀正しく、しかし他人に卑屈になることは決してない。物語の中の王子様が飛び出したような人で、自分みたいに目立たない女子を気にかけることはないだろう、と蓮実は思っていた。


 それは勝手な思い込みだったのだろうか。


 本当は自分のことを意識してくれていたのだろうか。


 そう考えると、胸が熱くなった。次第に、涼夜のことで頭が一杯になってきた。ずっと彼に側にいてほしかった。


 だけど、蓮実は東京の中学へ通うことになり、涼夜は地元に残り、二人は離れ離れになった。以来、旧友から消息は聞くものの、実際に会うことはなかった。東京の大学に進学したことは聞いたものの、会いに行くきっかけもなかったので、子どものころの想いを胸に秘めたまま、もうずっと会えないのかもしれないと諦めていた。


「夕華は偉いよ」


 涼夜はグラスの中の氷をカランと転がす。


「彼女のような人が音頭を取ってくれるから、こうしてみんな集まれる。中学の時も、クラスの中心になって動いてくれていたし、リーダータイプなのかもしれない」

「そういえば、夕華も、桐江君と同じ中学だったね」

「高校も一緒の私立高校」

「へえ、そうなんだ」


 それは初耳だった。


「仲良くしてたの?」

「う、ん」


 涼夜は少し歯切れ悪い感じになり、


「付き合ってた、からね」


 蓮実にとって衝撃の事実を告白した。


「あ、そう……なん、だ」


 目が泳ぐ。動揺を悟られまいとする。でも、動悸が激しくなるのだけは押さえられない。ずっと想いを寄せていた人に、恋人がいた。そのことは、蓮実にとって、にわかには受け入れがたい話だった。


 そして、さっき夕華が睨んでいた理由が、やっとわかった。

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