蛇が月を喰らう時、私は己が罪を知る
逢巳花堂
第1話 失われた記憶
夢はいつも亡き父の物語りから始まっていた。
あぐらを掻いた膝の上で寝転がり、髪を撫でられながら、父の口から紡がれる話に、
話の内容はわからない。
夢の中ではよく理解しているはずだが、目を覚ますと全てを忘れている。
十八歳になってから、その夢を見る頻度が多くなった。
十九歳になって、夢の内容に変化が現れた。
亡き母が出てきて、蓮実に語りかけてくるようになった。女性としてのたしなみや、成人してからの振る舞いなど、母はあらゆることを教えてくれた。
幼い頃の記憶。思い出そうと思っても、思い出せない、欠けたピース。脳に刻まれたものが、断片的に蘇っているのだと、蓮実は感じていた。
そして二十歳になって、初めて見た夢では、父が語り、母が語り、その後――
座敷部屋で倒れている父。畳に、血溜まりが広がり、じくじくと染み込んでいく。
鮮血の滴る包丁を手にし、呆然と立っている母。
何かを叫んだ自分。
母は虚ろな目をこちらへ向けて、包丁を振り上げ――
※ ※ ※
「――!」
蓮実は跳ね起きた。
ベッドの軋む音。半開きになった窓から流れ込んでくる風。外はうっすらと青白く明るくなっており、ベッド脇の目覚まし時計を取ってみると、まだ朝の五時だった。
全身から汗を噴き出している。いやな汗だ。シャツもパンツもべっとりと肌に貼りついている。蓮実はベッドから下り、下着姿のまま冷蔵庫へ歩いていき、1リットルパックの牛乳を取り出した。コップに入れることなく、そのまま口をつけて、喉を鳴らして飲む。半分ほど飲んだところで、口についた牛乳を手の甲で拭った。
風呂場のドアが開いている。ちょうど、鏡に自分の姿が映っている。肩甲骨あたりまである長い黒髪。それほど大きくない胸。シャープな印象と褒められたが、自分としてはあまり好きじゃない細面。全体的にはバランスよく、周りからは美人と言われているが、蓮実はそんなに自身を美しいと感じたことはない。そのわけがずっとわからなかったが、先ほどまで見ていた夢のおかげで、何となくわかった。
母と似ている。
途端に、鏡の中の自分が血まみれになっている映像が見えた。幻視、というにはあまりにも実感を伴うヴィジョンだ。
吐き気を覚え、その場にしゃがみ込む。
精神科の先生は、記憶の奔流と称した。何らかの原因で封じ込めていた記憶の欠片が、ちょっとしたきっかけで蘇った瞬間、パズルのピースがはまったことで全体像がクリアになり、怒涛の如く一連の記憶が蘇ってくるのだと、教えてくれた。
そして、あたかも現実のもののように、幻が目の前に現れるのだとも。
「何があったの……?」
痛む頭を押さえ、蓮実は頭を振った。
「父さんと母さんの間に、何があったの?」
ひとり呟くその言葉に答えるものは、誰もいない。
いま、この瞬間は。
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