日常使いの独り言

くろいきつね

第1話 悪魔登場、日常の終わり

「ただいまー」

ドアをガチャリと開け、日高ひだかトーカは自宅に入る。いつもならこの時間、夕方に両親は仕事でいないはずで、この『ただいま』の返事が返ってくることなどありえないはずなのだ。しかし。

「おかえり」

今日はなぜか、返事が返ってきた。しかも若い、男の声だ。彼女の父親はもっと低いをしているし、彼女に兄や弟はいない。

では一体誰の声だろうか。

変質者?泥棒?泥棒だとするならば挨拶を返すなんてマヌケなことはしないはず、ならば変質者か。

トーカは一瞬警察を呼ぼうか悩んだが、声の主を探してみることにした。彼女は一応身体能力には自信があるし、それに男なら金的を蹴り上げれば何とかなる。不審者がどこぞの空手家のように睾丸を下腹部に収納できれば話は別だが。

彼女はそーっと、慎重に玄関を上がり、電気のついていない廊下を進んで、声がしたであろうリビングに向かう。

そしてリビングにたどり着き、彼女は顔を出した。するとそこには...

「やぁおかえり、待ってたよ」

そこにいたのは、全裸の男だった。一糸まとわぬ姿でソファに座り、片手にはティーカップを持っている。

男は歓迎するかのように軽く腕を広げると、その細く、筋肉質な肢体が露わになる。幸いなことに、足を組んでいたから男の”ソレ”は見えなかったが、全裸であるという事実だけで、年頃の娘に恥じらいを抱かせるには十分であった。

トーカは時が止まったかのようにフリーズした。

1秒、2秒、3秒、4秒....8秒

「いやぁぁぁぁ!!!」

飛び後ろ回し蹴り。

「あべし!!!」

静止時間9秒以内にはずだった、彼女の蹴りが男の側頭部にクリーンヒットしたからである。

しかし、違った。

手ごたえはあった。普通なら蹴りの衝撃で横に倒れるはずだ。

だが男は、のだ。そして体制を立て直し、やがて椅子に座っているかのように空中で足を組んだ。ティーカップの中身も不思議とこぼれていない。

「乱暴だなぁ、ま、乱暴な子も僕はイケるけどね」

男は空中で足を組みながら、不敵に笑ってそう言い放った。

「だっ...誰ですか!」

「僕?僕はね...悪魔、って言ったら信じる?」

悪魔。

普通、トーカはこういうことを鵜呑みにして信じたりはしないはずだ。彼女は幽霊だとか悪魔だとかそういうオカルト的なことに興味はあるものの、それが現実に存在するとは思っていないからである。

しかし、今、目の前で起こっていることは違う。

タネも仕掛けも見当たらず、オカルト的な何かとしか考えられない。

「じゃあ...なんで私の家にいるのよ!しかもそんなっ...裸で!」

「まぁ落ち着きたまえ、僕がここにいるのはそれこそ深~~いわけがあってね。僕はこの街の真ん中らへんにある宗教施設あるじゃないか、あそこで召喚されたわけで」

「で、儀式が失敗したのになぜか召喚された僕は、何のあてもないので困ってしまった、そして街をうろついてたらなんと、君に出会ったのさ」

「...なんで私の所に?」

「だってそれは、君が...」

「君が?」

「100年前エッチし損ねた女の子にそっくりだったからさ」

悪魔は地面に降り立ち、トーカの顎をクイっと上に傾けた。所謂顎クイである。

「〇ねっ!」

「たわばっ!!!」

トーカのハイキックが悪魔の側頭部にクリーンヒット。悪魔は今度は浮かずに床を転がり倒れた。

「いったいなぁもー!死んだらどうすんのさ!」

「あ”?祓魔師エクソシストなら呼んでやるよ」

「オーバーキル!?」

「とにかく、これ以上蹴り飛ばされたくないのなら早く出ていって、さもなくば次はどこに足が飛んでくるかわからないよ、潰されて2度とエッチができなくなってもいいならこのまま転がってていいけど」

「それ次どこに足が飛んでくるか予告してるよねぇ!」

「3...2...1...」

「ヒィッ!」

「ぜ....」

カウントが0になろうとしたその刹那、トーカは動きが止まる。

玄関のドアが開いた音がしたからだ。足音も近づいてくる。

その音はどんどんと加速しながらリビングに近づいてくる。

どんどん、どんどん。

「やぁトーカちゃん!あっそびにきたよー!」

元気のいい声を発し、その水色の長髪を揺らしながらリビングに入り込んできた女性、流々 留瑠琉るる るるるは、リビングに入るとすぐさまフリーズした。

それもそうだ、友人の家に遊びに来たと思ったら、その友人は全裸の男を床に転がしていたのだから。

「る...流々ちゃん...」

ギリギリとゆっくり首を曲げ、トーカは流々の方へ視線をやる。

「トーカちゃん....」

「そういうことなら...私も一肌脱ぐよ...///」

「何を勘違いしとるんじゃぁ!」

「僕はいつでもウェルカムさ!レッツ3ピー!」

「黙れぇ!!」

「ひでぶ!!!」

顔を赤らめながら服を脱ごうとする流々にチョップ、そして素晴らしくさわやかな笑顔を浮かべる悪魔へかかと落とし。この二人の間ではよく見る光景である。全裸の悪魔がいること以外は。

「で、トーカちゃん、この男は誰?」

「え?あ~....変態」

「確かに変態ではあるけども!僕ただの変態じゃないから!悪魔だから!」

「自分の事を悪魔と勘違いしてる変態?」

「いや、少なくとも普通の人間じゃないっぽい」

「あー、自分の事を悪魔と勘違いしてる変態だもんね」

「流々違う、そうじゃない、一から説明するから」

かくかくしかじか。トーカは彼女に1から説明をした。途中悪魔が口をはさむと、トーカは容赦なく体を踏んだ。

「...というわけ」

「なるほどね~」

「いやアンタ聞き分け良すぎない?普通困惑したりしない?」

「私は純真無垢な生き物だからね」

「あっそ...それじゃあとりあえずさ」

「うん」

「「この変態をどうしようか」」

「僕!?」

二人は未だ転がっている悪魔に焦点を合わせ、トーカは指を鳴らしながら、流々は肩を回しながら、それぞれ近づいていく。

「覚悟...」

「南無三...」

「やめてやめて!いやぁぁぁぁ!」

悪魔が叫ぶ。瞬間。外から人が飛んできた。庭へつながっている窓を割り、リビングに突っ込んできた。なぜか、その人は洋服や和服ではなく、古代ローマ帝国のように布を体に巻いていたのだ。

ひらりひらりと純白の布をはためかせながら飛んできたその人は、まるで鳥の羽根のようで。

視線は、一斉にそれに集まった。トーカも、流々も、そして悪魔さえも。

この中の誰も、こんなことを予想してなかった。

「ん...」

その人は、夢から覚めたようにもぞもぞと動き、そしてぱちくりと目を覚ました。長い銀色の前髪の隙間から、星空のような色の瞳が見える。

「あれ...ここはどこ...?あなたたちは...」

その女性は顔を上げると、トーカたちの方を向き、その愕然とした表情と、下に散らばっているガラス片の感触で、全てを察したように顔を青ざめさせる。

「あっ...わわわわ私...もしかして...そこの窓を...」

自らの状況を理解し慌てふためいている様子は、年頃の女の子そのものである。だが年頃の女の子は普通、窓ガラスに勢いよく突っ込むと傷だらけになるはずだが、少女には傷一つついていない。

「ご...ごめんなさいっ!あの...その...わざとじゃないんです...」

少女の真摯に謝る態度を見て、目を輝かせたのは未だ全裸の悪魔。彼は立ち上がり、少女の目の前に降り立つ。

「---まぁまぁ、そんな謝らなくてもいいよ、体で払ってくれたらね」

「えっ...あっ...」

少女は顔を赤らめ、必死に悪魔の下半身の”ソレ”を見ない様に手で目を覆う。

「ほらほら、早く早く」

「えっ...う...ご...」

「ごめんなさい!私急いでるんです!窓は直しますからああああ!」

「えっちょ...待ってってばぁ」

少女は割れた窓に向かって走る。ばさばさと布が暴れ、細かなガラス片が宙に浮く。やがて少女は庭に出て、塀をよじ登り外へ出て行った。

そのとき、バラバラに割れたはずの窓はまるで逆再生をしたかのように、全ての破片が元あった場所に戻り、やがて何事もなかったかのように窓はもとの姿に戻った。

「あーあ、フラれちゃった」

その明らかに異常な現象を見て、悪魔は何も動じていなかった。それがまったく見慣れたことであるかのように。ただ少女が走っていくのを残念がっているだけだった。

「...アンタ、今の、何?」

「そうですよ...何です?あれ...」

トーカと流々は、ただ目の前で起きていた『異常』な状況に、茫然としていた。

「ん?今のかい?」

「女の子が降ってきてさ、僕がナンパしたんだけどフラれて、どっか行っちゃった」

「いやそれは分かってるのよ、私が聞きたいのは『なんで割れた窓が直ってるの』って言うこと」

「あー...そのことね、まぁ一から説明すると長くなるんだけど...」

「3行以内で簡潔に」

「無茶言うねぇ流々ちゃん!」

「変態が流々ちゃんの名を呼ぶなぁ!」

「トーカちゃん、今はそこじゃないよ」

「まぁ、とりあえず説明をしようか」

「まずは、僕はかなり高位の悪魔だってとこからなんだけど---」

悪魔は、その口から語り始めた。

自分を召喚した宗教団体は、かなり大掛かりな儀式を失敗したことで、この街が一部異界の影響を受け、おかしなことになっている事。

そのせいで、特殊な現象を起こせる能力を持った人間や、がいるかもしれないということ。

---街の戻し方は不明なこと。

「「...」」

「と、言うわけさ、まぁ僕としてはこのままでも面白いからいいんだけどね」

「...ちょっと整理させて、黙って」

「...」

「...つまり、アンタの話を整理するとあの子はその『特殊な能力を持った人間』ってこと?」

「うん、けどまぁこの街がおかしくなったのはつい最近の事で、この短い間に能力を自覚して使えるようになったのはちょっとよくわからないけどね」

悪魔は薄ら笑いを浮かべながら、お手上げだとでもいうように手のひらを点に向ける。

「そう...」

「トーカちゃん」

「何?」

「とりあえずさ、このままずっと考え込んでても話は進まないよ?今日は一旦帰ってさ、明日街がどうなってるか調べた方がよくない?」

「...確かにね」

「じゃあ僕はこの辺でお暇させてもらおうかな」

「あっちょ...待ちなさいよ」

「何?僕のことがもしかして好きになっちゃった?」

「そうじゃなくて」

「大丈夫だよ、またすぐ会うことになるからね」

「そうだ、名前だけ教えておこう」

「僕の名前はアスモデウス、ただのしがない悪魔さ」

悪魔はそう言い残すと、消えた。砂埃のように、そこにいなかったことが当たり前であったかのように。

「...何だったのよ、あれ」

「トーカちゃん」

「何?」

「ゲームしようよ」

「呑気か!」

いつものようにマイペースな流々に振り回され、トーカの一日は終わっていく。しかし彼女の日常はもう崩壊しているのだ。



「さてと、僕はでもするかな」

夕暮れ時の街の空、全てが溶け合ったような空の下で、悪魔がぽつりとつぶやいた。

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