神さまは生贄がお嫌いなようで

都茉莉

神さまは生贄がお嫌いなようで

 凛とした清涼な空気が満ち満ちたこの場所は、人里離れた山の奥深く、鳥居で区切られた向こう側の神域に属する。


 そう、神域。神の住まう領域だ。


 住まう神は土地神。地元の人間にはホズミ様と呼ばれている。

 基本的には穏やかで善良な神だが、時折神らしい理不尽さで穢れを知らぬ乙女を求めた。

 この古くからいる神のほか、もう一柱神が住んでいた。かの神は、神としてはかなり若く――とはいえ人の年月で数えれば、ゆうに五回は世代交代が行われる程度には生きている――そして潔癖だった。


 土地神というのは神の中でもとりわけ信仰の影響を受けやすい。古くからいる神も、新たな神も関係なく、この山に住まう神は同様にホズミ様だ。土地に住まう者、信仰する者がそうあれかしと祈っている限りは。

 信仰の影響を受けるとはいえ、性格はその限りではない。

 いや、各ホズミが生まれた時代の祈りや畏れを反映しているのかもしれない。

 二柱のホズミの性質は似ていなかった。古きホズミは畏れられることを望んでいたし、若い娘の生贄を受け取ることを好んでいた。

 新しきホズミは畏れなど望んでいないし、どんなものであれ生贄は厭うている。

 そんな二柱の意見が交わることは当然あるわけもなく、ついに古きホズミは山を出て行った。

 神代に生まれた古きホズミの方が神としての格は上だが、土地神としてなら話は別だ。

 新しきホズミの方が民が望む願いに適う能力を持っている。新たな土地神が生まれるとはそういうことなのだ。



 ――そんな神々の事情など、人間の耳には一切入らないのだが。





 神域の境界を何者かが越えた感覚がして、ホズミは瞠目した。結界が破られたわけではないし、綻びがあったわけでもない。

 ――だがこの気配は紛うことなく人間だった。

 結界を越えられる人間は二種類。徳の高い修行者か、……贄だ。

 どちらの方が多いかは場所によりけりだが、この山では前任者の性質のせいで高確率で後者だ。


 ホズミは深い溜息をついた。

 土地が不安定な自覚はあった。しょうがなかったのだ、先代が引き継ぎもなしに出ていってしまったのだから。

 でも、しばらくだ。土地が不安定だったのは短い期間だった……神の感覚では。

 それに、あとほんの僅かで土地は安定する予定だったのだ。


 なのに。それなのに、だ。生贄なんて送ってきやがって。ホズミは憤りでいっぱいだ。

 追い返そうそうしよう。不機嫌を隠しもせず――別に隠さなきゃいけない相手もいないが――ツカツカ境界付近まで歩いていく。


 境界を越えた犯人は、やはり少女だった。

 年の頃は十五、六。きちりと正座しており、姿勢はまっすぐ。手は合わせられ、祈るように伏せられた長い睫毛が影を落としている。腰ほどまである射干玉の髪はたっぷりと美しい。左前の白い衣服は死装束。

 彼女が生贄であることを如実に示していた。

 ホズミが先手必勝とばかりに啖呵を切ろうと口を開きかけたそのとき、いきなりパチリと少女が目を開けた。


「あなた様が、ホズミ様でいらっしゃいますか?」


 驚くほど真っ直ぐな目。覚悟を決めた者の目だ。

 純粋な思いに弱い神たるホズミは、それを悟られぬよう先手を打った。


「確かに、私がホズミだ。でも、贄は受け取らない。それ以外の話なら聞こうじゃないか」

「受け取っていただかなければ困ります!」


 荒げた声を恥じるように頬に手を当てた少女は落ち着いた声音で繰り返した。


「わたくしを、さくやを贄として受け取り、どうか我が村に豊穣をお授けください」

「贄はいらない。供儀を捧げたいなら酒にしてくれ」


 ホズミはさくやから目を逸らし、突き放すように言った。自分の支配する土地に豊穣を授けるのはもともとホズミの仕事だ。だから贄などなくとも初めからするつもりだった。

 そんな事情など欠片も知らないさくやは苛立ち始めていた。仮にも神相手にたいした神経である。


「……今までずっと少女を受け取ってきたじゃないですか。わたしの何が不満だって言うんですか」


 ずいと身を乗り出し詰め寄るさくやになじられ、ホズミは浮気を責められる男の気分を味わうはめになった。

 今までとは別神べつじんだとか、君に限定したわけではなく生贄そのものが嫌だとか、弁解もいっそ哀愁漂う。本当に浮気男みたいだ。

 やっと神側の状況が伝わると、さくやは俯き、震える声を絞り出した。


「それじゃあ、わたしは無駄死だったって言うの……!?」

「死んでない! まだ死んでないから落ち着いてくれ!」


 泣いているのかと慌てて宥めたが、顔を上げたさくやの瞳はやり場のない怒りに燃えていた。


「死んでないってどういうことよ!」

「私に贄と認められていない君はまだ死んでいない。少し時間がかかるかもしれないけれど、外に出してやるから安心して」

「安心できるわけないでしょう!? 帰ったって、居場所なんかないわ」

「は……? 居場所がないってどういうことだよ」


 予定通り土地を安定させてさくやを返せば丸く収まるとばかり思っていたホズミは、思わず間抜けな声をあげた。


「当然でしょ? 贄の役割も果たせない出来損ない。神にすら拒まれた醜い魂、ってね」


 吐き捨てた彼女の言動には神への畏敬など欠片も残っていない。ホズミの神らしさとは違い本物だったのに。

 神的に真摯な子は好ましいし、もっと人と近くていいんじゃないかと常々思っているホズミ個人としても好ましく思う。どうにかしてやりたいと願ってしまった。


「私が一筆書いて先に送っておこう。大丈夫、そういうのは得意なんだ。準備が整うまではうちにいていい。何もないけどね」


 「そういうの」とは、説得ではなく丸め込みのことだ。伊達に100年以上生きてはいない。雅な筆致の裏から要求を突き刺すことなど雑作もない。

 ホズミが選んだ手段はさくやを正気に戻すのに足りたらしく、自分がしでかしたことを冷静に振り返り、赤くなったり青くなったり忙しい。

 ようやく落ち着いた彼女は小さく呟いた。


「神様らしくないけど、とっても神様ですね、ホズミ様は。傲慢で、理不尽で、でも、慈悲深い」





 ホズミがさくやを家に連れてきてまずさせたのは着替えだった。贄たることを主張する胸糞悪い死装束を、いつまでも着せておきたくはなかった。


 そこで問題になったのが変えの服。女物など当然持っているわけがない。ただ、ホズミの服は十分着れる大きさだった。

 なんせホズミの外見は少年そのもの。爛々と光る金の瞳に目を瞑れば、親元を離れる年にもならない麗しい少年でしかない。初めにわざとらしいほど神様らしく振舞ってみせるのも、幼い外見が起因している。

 それでも神は神。見た目に惑わされてはいけない。ふとした瞬間纏う雰囲気は人ならざるもののそれだ。


 ホズミの服を着たさくやは着慣れない質のいい服に落ち着かなげだったが、ホズミのあまりにあんまりな生活ぶりにそれどころではなくなった。


 なんせこの神、生活能力が皆無なのだ。全てを神気でまかなっているというダメっぷり。

 五人兄弟の長女で世話を焼いて生きてきたさくやは、いつの間にか吹っ切れた。蘇りかけていた神への畏敬はどこへやら、だ。見た目が少年なだけに遠慮も消し飛んでいく。


 彼女の手は先代が残した書物やらなんやらにまで及んでいた。


 彼女が神域に来て、三日経っていた。


「無傷で外に出す術式は完成した。発動する神気はあと三日でたまる」

「わかったわ。それまでにもう少し書物の整理を進めたいの」


 さくやの興味はがっつり書物に移っていた。

 有事の時に代々贄を捧げる代わりに特権を得てきた家系であるさくやは、簡単な読み書き程度ならばできる。だが所詮は田舎村。たいした書物はない。

 見たことがないほどたくさんの貴重な書物に心を奪われたさくやだが、そればかりに気を取られていたわけではない。

 生活感皆無神をどうにかすべく奮闘していた。


 朝起きたら朝餉を作り、ホズミにも食べさせる。片付けをしたら書物の整理。日が傾き始めたら夕餉を作る。

 食事は娯楽に過ぎず食べなくとも生きていけると豪語するホズミに食事を習慣にさせるのが目標だ。呼ばなくても来るようになってきたわけだからなかなかいい具合である。

 自分がしているのが侍女まがいなことだとは全く気付いていない。ほとんど生贄の行き着く先と同じことをしているなどとは。……そのままの方がお互いに幸せだろう。


 さくやがせっせと働いている間、ホズミはというと神気回復のために寝ていた。ひたすら寝ていた。これ以外に神気を回復させる手段はないのだ、致し方なし。


 先代が使っていたものを流用したせいで、結界は人間は入れるが出れないという生贄を逃さないつくりのまま。こんな結界から元生贄のさくやを出すには新たに術式を付け足す必要がある。

 出すだけならわざわざためる必要もないのだが、その後村まで女の足で三日程度。無事である保証はない。道中で死なれては後味が悪いので簡易的な加護を与えようとしたのだ。

 慣れないゆえに異様に大掛かりになってしまったが安全第一だ。さくやには我慢してもらおう。


 さくやのいる生活に馴染みつつあることには、気づかないふりをした。



 三日後。

 予定通り神気が回復し、さくやを村に返す日になった。


「ねえ、書物を少しくらい持って帰ったら駄目かしら?」

「駄目だ。人の世には過ぎたものだし、そもそも君はあんな重いものを背負って下山する気かい?」

「……重さは大したことないわよ」


 元から期待していなかったのだろう。拗ねたような声音だが、顔は笑っていた。

 ホズミは苦笑してさくやに道中の食料を気持ちばかり手渡した。


「神域の外でどれほど保つかはわからんが、持っていけ。多少は足しになるだろう」

「ありがとう。大事に食べるわ。ホズミ様も、私がいなくなってもちゃんとした食事をしてくださいね」

「ああ。ちゃんと帰れよ」

「ええ、もちろん」


 術式に神気を流し込む。ぱっと輝いた光の奔流はさくやに収束した。大掛かりなわりに見た目は随分と呆気ない。

 無言でさくやの背を押し、外へと促す。

 さくやは振り返り、深々と礼をしてから、促されるままに結界を越えた。

 彼女の姿はもう見えない。




「おい、朝餉は――」


 ホズミは言いかけた言葉を飲み込んだ。

 さくやが居たのはほんの短い間、長寿な神にしてみれば瞬く間と言っていいほどの期間だったにも関わらず、ホズミに深く根付いたらしい。

 もういないことを忘れて声をかけるのも何回目だろうか。

 彼女のいなくなった家は何故だか広く感じた。


 欠落感を誤魔化すように役目に集中した。彼女たちの願い。村の豊穣。

 そして、万が一また贄などが送られてきたときに簡単に返せるように、結界を現ホズミ自身のものに修正しよう。


 ホズミが直接結界を確認しているとき、つい数日前に感じたばかりの、誰かが結界を越えた感覚を拾った。

 さくやではない。

 彼女には一時的に加護を与えたから、探ればわかるのだ。

 ならば誰だ。嫌な予感が脳裏に浮かんだ。


 放置するわけにもいかないので、結界を越えた場所に向かった。


 嫌な予感は的中した。


 死装束を着た十に満たない少年が祈るように手を合わせている。肩で揃えられた黒髪は女と見紛うほど艶やか。

 そして何より、顔立ちがさくやと似ていた。


 長い睫毛を持ち上げ、少年は事務的に言う。


「姉、さくやに代わり、不肖わたくし、ゆずりはが、贄となるべく参上いたしました」

「贄は不要と書いたはずだが」


 頭痛を耐え、ホズミも淡々と返す。


「娘を送るなとありましたので、神様の趣味が変わったのかと考えたしだいです」

「不要なのは生贄全てだ! 娘だろうが子どもだろうが送ってくるな!」


 ホズミの意思が人間に伝わる日は、まだまだ遠いようである。

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