第22話 イカロスの羽
11月1日土曜日
「一条くんは、妹さんと仲が良いのね」
カボチャを裏ごししながら、教授の奥さんが言う。
さっき茹でてる時に話さなかったか? その話。
「良い兄になりたい、なんて。頼もしいお兄ちゃんね」
言う度にカボチャが潰されていく。
硬かったはずの塊が、いとも簡単に、無惨に。
ぐちゃり、ぐちゃり、ぐちゃり。
「側にいるだけでも、良いんじゃないかな。側にいるよって触れて、ぬくもりを感じるだけでも、伝わるものがあると思うの」
ぐちゃり、ぐちゃり。
そうなのだろうか。
「出来ることをするの。自己満足でも」
ぐちゃり、ぐちゃり。
いつまで潰し続けないといけないんだろう?
パンプキンパイをいくつ作るつもりなんだ。
俺は美月と俺の分さえ作れればそれでいいんだ。
「不安や悲しみ、恐怖や痛み、私達には想像もつかないけど、側にいることで、美月さんが独りで抱えているトラウマを和らげる力になるんじゃないかな」
潰れたカボチャは裏ごし器に吸い込まれて、網をオレンジ色に染める。
わかったよ。やるよ。
俺にはそれしか出来ないなら。
だから早く美月のところへ行かせてくれ。
美月の側に行かなくちゃ。
甘い、美味しいパンプキンパイを食べて、笑う美月を見たいんだ。
きゅっと手を掴まれて、目を開く。
暗闇にうっすらと部屋の輪郭が見えてくる。
夢か……。
秀平は自分の手へと目を落とした。
手を掴む美月は、静かに寝息をたてていた。
少しでも、楽になれたんだろうか。
力になれたんだろうか。
そっと空いてる方の手で美月の髪を撫でる。
「……秀ちゃん」
美月がゆっくりと目を開ける。
「あ。ごめん……起こしたか」
「ううん……さっき、起きた……。今何時?」
見えてるのか分からない目で、美月が見上げてくる。
「えぇと……10時21分」
秀平が部屋の時計へ目を凝らす。
秀平の手のひらに顔を乗せていた美月は、
「え?! 」
がばっと起き上がった。
「寝過ぎだよっ! え?! 秀ちゃんずっとここで座ってたの?! 寝てないの?! ごめんっっ、わたしが……」
「美月のせいじゃないよ。美月は悪くない、悪くない……眠れた?」
頭を撫で続ける秀平の表情を見て、美月は安心したように微笑んだ。
「うん。ありがとう」
***
陽の光があまねく注ぐリビングで、美月と秀平はブランチを始めていた。
「あれ?」
「どうした?」
美月がテーブルの上のスマートフォンに手を伸ばす。
「金井さんから連絡来てた」
「昨日助けてくれた人?」
「うん」
顔を曇らせた美月はスマートフォンを置いた。
「会いたいって。……話したいことがあるって、なんだろ?」
マグカップを両手で包み、ホットミルクをすする。
そんな美月を心配そうに眺め、少し迷った後に秀平は口を開いた。
「気が進まなければ、会わなければいいさ。特に、会って話さなきゃ行けない用もないんだろ?」
「うん……そうなんだけど……。今日の12時に会えないかって誘ってくれてたの」
「え? もうすぐじゃないか。どこに?」
口に運びかけたトーストを秀平は皿に下ろした。
時計を見れば、12時まで一時間もなかった。
「場所は特には。……ねぇ、秀ちゃん。3時にして貰えないか返事してみようと思うんだけど、行く時と帰り、一緒に来て貰えたりするかな? あ、もちろん、金井さんが3時でもOKだった時の話なんだけど。場所は西谷のカフェで聞いてみるつもりで……」
マグカップから顔を上げない美月が緊張しているのが分かる。
秀平はトーストをまた口に運んで、噛み千切りながら答える。
「なら車で送ってくよ。過保護だって嫌がられても、譲れないから諦めろ」
驚いた顔をして美月が顔を上げる。
秀平はそ知らぬ顔をしてパンを食べ続ける。
「今の俺は美月を一人にしたくないから。店の近くで時間潰して待ってるよ。それがダメなら出掛けるのもダーメ。金井さんに家に来て貰え」
ホットミルクに口をつけ、一息つくと、秀平は美月に笑いかける。
「おーけー?」
「うん!」
***
けれどその日、金井栞は約束の場所に現れなかった。
カフェで待つ美月と秀平は、連絡が取れない栞を一時間ほど待った後、諦めて帰った。
約束をすっぽかした栞に秀平は不快感を示し、栞との付き合いは慎重になるよう美月に言い聞かせる帰り道だった。
約束を黙ってすっぽかすような人には見えないのに、と美月だけはなんだかすっきりしなかった。
彼女がカフェに来なかった理由、それを美月が知ったのは、休み明けの11月4日になる。
金井栞は来なかったのではない、来れなかったのだ。
ホームルームで、神妙な顔をした担任が事務的な声で説明した。
金井栞は転落事故で亡くなった。
美月たちと約束をしていた、11月1日に。
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