第14話 midsummer 迷宮(ラビリンス)

夏休みも残り僅かとなる8月の終わり

希望が丘女子学校内 温室

 一条美月は一人、温室内の植物を見て回っていた。

 去年は夏休みも事務員の澤木さんが来て手入れをしていたけれど、今年は誰も来ないようだ。

 澤木さんが退職して、これから温室の管理がどうなるのかは分からない。でも、自分に出来ることはしておきたい、と美月は定期的に温室を訪れていた。

 といっても美月に出来ることは、目に見える異常がないか、見て回ることだけなのだが。


「良かった! みんな元気そう!」


 夏休みを乗り切った安堵でつい声に出すと、美月は定位置のベンチへ腰掛けた。

 少し休んだら、お昼前には寮に戻ろう。

 そう思って伸びをすると、カチャッっと温室のドアを開ける音が響いた。

 ……え? 誰か来た……?

 立ち上がってドアの方を見つめ待ち受ける。


「一条さん……」


 現れたのは白衣姿の渡邉だった。


「……こんにちは……。先生、夏休みなのに来てたんですね」


 先日の失敗が思い出される。

 ここはすぐ渡邉先生に譲ろう、と美月は出入口へ向けて足を踏み出した。


「……今日は出勤日なんです」


「私、ちょうど帰ろうとしていたところなので、失礼します。先生は、ゆっくりしてってください」


 すれ違いざまにお辞儀をしながら、作り笑いでそう言う。


「一条さん、待って」


 呼び止められて振り向いた美月の目の前に、渡邉の白衣とワイシャツが飛び込んできた。

 え?!

 思わず美月は後ずさる。

 トンッと背中が何かに当たる感触がして、それが出入口から続く壁だ、と認識できた時、美月は渡邉の身体で壁へと追い詰められていた。

 ……なにこれ、近い……近過ぎじゃ……


「なんだか追い出したみたいで、もしかして、僕に遠慮していませんか?」


 あぁ、先生に逆に気を遣わせちゃったんだ……、上手くいかないなぁっ……


「してません、ほんとに、帰ろうと思っていたところなんです」


 納得して貰おうと笑顔で見上げると、わずかに微笑んでいるかのような無表情の渡邉が美月を見下ろしていた。


「私、もう1時間くらい前から温室ここに来ていて。お昼になる前に帰ろうって、ほんとに……」


 説明を続けても渡邉の表情はまるで変わらない。

 ??? 先生、聞こえてるよね?

 何も聞こえていないかのような渡邉が、視線で美月の身体全体を撫で廻していることに気づいてしまう。

 ……また……私、先生のこの視線苦手なのに……何をそんなに……

 視線をたどるように、薄いターコイズのワンピースに目を落とす。

 夏休みなので、美月は私服を着ていた。

 夏素材の薄手さに加えてノースリーブなこともあり、制服よりも頼りなく感じた。

 ……嫌だな……すっごく見られてる気がして……


「……そう、それなら良いんですが。一条さんが言ってくれたように、僕は……一緒に……て思ってます」


 渡邉はいつもの笑顔を見せると、美月の髪にそっと触れる。


「せっ先生?!」


「僕に触られるのはそんなに嫌ですか?」


 そう言った渡邉の表情は悲痛で、美月は動揺した。

 さっきまでの笑顔がこんなにと歪んで、傷付けたのは自分なのか、と。


「え?……いや、あの」


 変な音が騒がしく響いている。

 自分の心臓の鼓動なのに、どこか外から聞こえるように感じた。

 渡邉との距離がどんどんなくなるようで、美月は早くこの状態から抜け出したかった。なのに、突き放して逃げることが出来なかった。

 逃げなくちゃいけないのに、なんで――そんな考えがよぎった時、渡邉の身体が離れた。

 ……よかったっ、早く行こう。

 美月が安堵した瞬間に、渡邉の手が美月の髪から耳、うなじにかけてをすっと撫でた。


「!」


 逃げるように身体を捻り渡邉を見ると、渡邉は何事もなかったかのようにいつもの「爽やかで優しい笑顔」を見せていた。


「じゃあ、また。一条さん」


 なんなの?! なんなの?! 変じゃない? 

 私が変なの?

 肌に残る不快感に美月は困惑する。

 どくっどくっどくっと鼓動は早鐘を打つ。

 非を問い詰めるように凝視しても、おかしいのは美月の方だとばかりに渡邉の笑顔は揺らがない。

 納得はいかなかった。

 でも、その笑顔の下に、さっきの悲痛な表情かおが重なって見えて、美月は言うべき言葉が見つからなかった。


「失礼します……っ」


 変な気持ち悪さと動悸を感じながら、美月は逃げるように温室を後にした。

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