中編 侵食
第12話 モザイク迷宮
一条邸が警察の訪問を受けた11月より3月前の8月
横浜
映画館から出てきた兄妹のような二人組は、近くのカフェの二階席で休憩していた。
「あっつー!先生も帽子外したらどうですか?」
麻様の素材で出来た大きめな帽子で頭を仰ぎながら、島崎はジンジャーエールをすすっている。
「大丈夫です。忘れないでくださいよ、人に見られたら困ること」
二階の窓側は店に面した通りを眼下に見下ろせるカウンター席になっていた。島崎の隣にはキャップを目深に被った渡邉が座っていた。
「ここだったらバレませんよ。店内からじゃ顔見えないし、通りから見上げる人なんていないですしー」
島崎は楽しそうに通りを歩く人々を観察した。
渡邉につきまとい続けて4ヶ月、びっくり渡邉から体の関係を迫られて、好奇心から受け入れたのは7月のことだった。
その後も続く関係に、正直体だけが目当てなんだろーなーとは感じるものがあった。
追っかけしている自分の立場とするとそれでも構わないのだが、やはり気持ちの良いものではなかった。なるべく、気づかれないように?
ただ通りを歩く人を見下ろすだけの、渡邉が飽きるか、我慢できるまでの楽しい時間。
その後必ず対価を支払わなければならないけれど、校内の東屋に呼び出されてリボ払いみたいにただ搾取されるよりは、意味があると思えていい。
「いったい何が楽しいのだか」
渡邉は呆れたように言う。それも毎回のことだ。
「先生も見てみたら楽しいのに。意外と知り合い見つけたりもするんですよ! あ、これとっておきのなんですけど、先生2組の金井さんって分かります?」
島崎は渡邉の顔を見る。
「金井、栞さん?」
……まぁ、知ってるよなぁ。
渡邉の表情から「美少女、金井栞」の認識が読み取れて、普通に島崎はがっかりした。
「そです、あのめっちゃ美少女の金井さん。社会人っぽい大人の人と付き合ってるって目撃情報があるんですけど、私も見ちゃったんですよねーっ。こないだ先生と来た時ですよ」
いつも淡々としている渡邉が少し反応を見せたのが
「金井さんね、彼氏さんに合わせて大人っぽい格好してて、大学生って言っても通りそうな感じで綺麗でしたよー、やっぱり先生気づいてなかったんだ」
あ、私、生意気にもじぇらってるんだ。
島崎は自分の中に意地悪な気持ちが芽生えているのに気づいて、可笑しかった。
「彼氏さんも素敵でしたよ! 遠くから見ても分かるイケメンで、渡邉先生とは違って男っぽい、短髪が似合う、体格良さそうな、社交的な笑顔の似合う人で。あ、笑顔は先生も社交的ですね。それが金井さんにラブラブ~って感じでベタベタしてました!」
渡邉先生もじぇらったりするかな? と観察する島崎を、渡邉は無表情で一瞥した。
「へぇ」
「へぇ、て……先生は綺麗な子に興味ないんですか?」
わざと煽るように言ってみたのに、いつものように淡々とあしらわれて、島崎はムキになった。
渡邉に興味を示して欲しいのか、示して欲しくないのか、何をムキになっているのか。
「別に」
「私はありますよ! うちの学校だったら、林さんでしょ! 金井さん! あと一条さん! 最高!」
ほら、先生だってちゃんと把握してるんじゃん! あぁそうだよね、知ってるって
島崎は何故だか分からないけれど、興味なさそうに平静を装っている渡邉に苛立ちを感じていた。
なんだかもう、渡邉に意地悪をしたいのか、渡邉の仮面を剥がしたいのか、単に自分の想いを口にしたいだけなのか、分からなくなっていた。
「一条さんはお兄さんもカッコいいんですよ! 見たことある人の噂で、まるで王子様って有名だったんですけど、こないだ三者面談の時に、私も運良く見かけて」
口から言葉が勝手に出てくる、こんな時くらい自由にさせてあげよう。
「ほんとに、まんま王子様でした! あんな人リアルに居るんだってびっくりするくらい。すっごくカッコ良かったし、すっごく仲良さそうで、絵になる二人だったんだ~」
そう、あの時、たまたま窓から外を眺めていたところを二人がじゃれながら歩いて来たのだ。
描きたい! 描くために動画に撮りたい! て思いながら、必死で記憶に残そうと見つめたっけ。
記憶に焼き付けた映像を思い出して、島崎はまた絵が描きたくなっていた。
トレイの上にある紙ナプキンを手に取り、ペンがないかカウンターを見回すと、少し不機嫌そうな渡邉と目があった。
「あ、渡邉先生ももちろんカッコいいですよ」
咄嗟にフォローしている自分が可笑しくて、島崎は渡邉に絡むのは止めた。
先生がどうでも、私が先生を好きなんだもんな。
渡邉は島崎から目を逸らして、手元のアイスコーヒーに目を落とすと、そのまま窓の下の通りを眺め始めた。
島崎も渡邉の目線を追うように眼下の通りを眺める。
「一条さんって、年下のせいかピュアっていうか、幻想的っていうか、特別な透明感があるじゃないですか。お兄さんも普通のイケメンとは別格っていうか、違う世界の二人だったなぁ。そう、世界が違うから、他の人は割り込めないって感じ。一条さんも、普段は見られないくらいお兄さんには甘えてる感じして可愛かったし!」
いいなぁ、正直、
島崎はなんとなくカウンターテーブルに置いておいた帽子を被ると、ジンジャーエールをすすった。
隣に座る渡邉と並んで、ただただ、通りを歩く人々を眺めていた。
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