第11話 カムペーの罪

 やってしまった! 失敗したんだ!


 美月は気持ちの悪いドキドキを感じながら自分の部屋に駆け込んだ。

 ベッドに飛び乗ると、ベッドカバーにくるまって横になる。

 なんとなく震えているような気がする身体を温めたかった。


 ……なんだったんだろう。


 美月は温室での出来事を一つ一つ順を追って丁寧に思い出そうとする。

 何がいけなかったのか、どこで間違えたのか。


 香鈴奈と話したせいだけじゃないと思うが、今日の渡邉はいつもより話しやすかった。

 目があっても露骨に逸らされなかったし、視線を交わして会話ができた。

 返答が少し変で、言いよどんだり、意味が分かりかねることもあった。

 けれど、美月にはその分渡邉が「自分の言葉」で会話してくれてるように感じられたのだ。

 あぁ、きっとこれが本当の渡邉先生で、香鈴奈の言う通り私と似ているところがあって、仲良くなれるのかも……、そんな嬉しい期待を抱いた。

 それが早計だったのだろうか……。


 手を握られたり、掴まれたり、すごく近くに引き寄せられてずっと見つめられたり、何がなんだか分からないことばかりだった。

 強引に何かをされた訳でもないし、渡邉も「ごめん」と謝って困っているように見えた。

 だから、私が何か失敗したせいだ、美月はそう思っていた。


 ……「そうじゃない、違う」って言ってた。

 やっぱり、「私と同じ」って思い込んで、分かったようなことを言ったのがいけなかったんだろうな……。


 「自分のことを誤解された」と思ったら、誤解をときたいと必死になるだろう。

 しかも、美月は「関わるな」と言ってしまったのだ。

 人からしたら、「こちらからも干渉しないから、干渉しないで」とはっきり言われるなんて、失礼な話だ。

 美月は自己嫌悪に襲われ、ひたすら反省した。


 ……先生は特別な何かを浄化しに温室に来てるのか……な。

 同じ「浄化」という言葉に早合点してしまったけれど、きっと先生の「浄化」と私の「浄化」は意味が違うんだ。


 状況が自分なりに整理出来てきて、美月は身体の震えを感じなくなっていた。

 気持ちの悪いドキドキも収まって、思考もよりクリアに落ち着いてきた。


 ……消えてしまう、て言ってた……。


 美月はその一言にものすごく親近感を覚えたのを思い出していた。

 渡邉にも、自分の周りの何かが突然消えてしまった経験ことがあるのだろうか。


 記憶の奥底におぼろげに残っている2つの影が浮かんでくる。

 いつも自分を暖かく包んでくれていた唯一無二の存在。

 ある日突然、美月独りを遺して消えてしまった。

 あの時の喪失感と絶望感は忘れられない。

 自分の存在が壊れて無くなるんじゃないかと思った、いや、壊れて無くなってしまった方が良いとさえ思った。


 ……もう、あんな思いは堪えられない。


 叔父と叔母が「代わりの両親」になってくれて、正直兄弟夫婦で似ているところも多く、本当の両親のように慕うことも、たぶんそう無理することなく出来た。でも、美月はしなかった。

 美月は自分の周りに壁を作った。どんなに親しくても、好きでも、誰も踏み込ませてはいけない壁。

 もう二度とあの喪失や絶望に傷つかないための防御壁。

 自分の中に、誰も住まわせなければ、誰かが消えてしまっても深く傷付くことはない、そう思ったからだ。


 美月はそっと目を閉じて、「自分の中」を確認する。

 誰も居ないはずのそこ・・はほのかに琥珀色に光っていた。

 年月と日々の積み重ねというのはとても強敵だった。

 10年前のあの日から、ずっと、いつも、どんな時でも、壁のすぐ向こうに秀平はいた。

 両手を差し伸べて、でも決して壁から踏み込もうとはしないで、美月のことを見守ってきてくれた。

 喪失感のフラッシュバックに襲われて耐えられない時とか、自分勝手な寂しさで誰かに甘えたい時とか、美月が自ら壁に歩み寄る時は必ず、そこ・・に居て暖かく包んでくれる。

 その度に、壁の中に差す光が増えていく。


 ……秀ちゃんが消えてしまったら、きっと、すごくダメージを受けるんだろうな……。


 成長するにつれ、自分が満足して壁から離れる時、いつも、秀平が少し悲しそうなことに気がつくようになった。

 幼さというのは残酷だ。こんな当然なことを気がつかず、何度も繰り返してきたのか。

 大人になればなったで身勝手だ。残酷なことだと知っていながら、知らぬふりをして相手の善意を利用する。

 いや、それだけじゃない。今でも秀平はその「悲しみ」を美月に気取られないようにしている。

 これを「献身」と言うのだろうかと涙が出てくる。そしてその度に、涙が壁を浸食して行く。


 もう、秀平になら、壁を崩して、中に入れても良いのでは、と思うことも何度もある。

 でも、もし、もしも、もしも、それで。また・・秀平が消えてしまったら……。

 拭い去れない恐怖に、美月はまた壁を堅固に作り直すのだった。

 悲しそうな秀平に気づかないふりをして。

 美月は自分の一番最低な部分を思い起こして、大きくかぶりを振り飛び起きた。


 ……渡邉先生か……、やっぱり……似ているところがあるのかもしれない……。でも…………、やっぱり苦手だ……。


 目から滲み出る涙を無意識に拭いながら、美月はベッドの上に座っていた。

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