第8話 白雪姫とその他の小人

美月と秀平が校舎を出る頃、別の階の廊下では、生徒の保護者と見られる女性が二人、立ち話をしていた。


「…そうね、そろそろ真剣に資産形成を考えなくちゃとは思ってたの。その時は相談させて?」


優しい色のスーツに身を包んだ方が、愛想良く微笑む。

プレタポルテのワンピースを着たもう片方が、何やら紹介する名刺を渡したようだ。


三年二組の宮原桜がトイレから出てきた時、廊下で待っているはずの母親は誰かと話をしているようだった。

割って入って良いものか、桜は二人の様子を窺いながら歩み寄る。


「喜んで。身内が言うのもなんだけど、優秀だと思うわ。私の個人資産はもちろん、親族にも薦めて、結構な額を預けてるのよ。宮原さんの病院ところは経営とか、まるで心配はないでしょうけど、いつまでも今みたいに働く訳にもいかないでしょう? 早く自分が楽できるように考えた方が良いわよ。貴女あなた、賢いんだから」


母親の話し相手は黒髪の美しい中年女性だった。

同じくらいの年齢だろうに随分違うな、と桜は思った。

白雪姫のようにふっくらとした白い肌、髪の毛一本の乱れもない隙のない装い。

もともと容姿は優れているのだろう。

美しいクラスメイトの面影を見つけて、桜には容易に想像できた。

けれども、歳を経てしまえば美醜の差など薄れゆくものだ。

自分の母も、彼女びじんの母も、たいして変わらない。

違うのは…。


「あら、こんにちは」


が桜に気づき、声をかけた。赤い唇がニッコリと弧を描く。


「…こんにちは」


小さくそう答えると、桜は母親の陰に隠れるように寄り添った。


「嫌だ、ごめんなさい、この子ったら。人見知るというか、内向的で…。桜、クラスメイトの金井さん、いるでしょ? わかる? その金井さんのお母様。ママ良くして頂いてるのよ」


白雪姫とは違う、働いている女だ。

母親の笑顔に桜はぼんやりと考えていた。

ヘアブローもメイクも、服に合わせてしっかりしてきている。

でも、動くのが前提、崩れるのが前提の外殻だけだ。

指先とか、目の回りとか、仕事に差し障りがある部分は控え目だから分かる。

子を産んで、年老いて、それでもまだのようないきものとは違う。


「ママ、お腹痛くなってきたみたい。早く帰りたい」


桜は母親の服を掴むと俯いた。


「あぁ、やっぱり。栞ちゃんは大丈夫? うちの、生理痛が酷くて大変なのよ」


娘に優しく手を添えたものの、母親は話し相手を優先した。


「どうかしら。大丈夫だと思うけど。じゃあ、私はそろそろ失礼するわね。お大事に」


白雪姫は、桜にも母親にも、新たな話題にも、興味無さそうに言った。

そして、二人に背を向けると、さっさといなくなった。


お腹が痛いなんて、ていよく言い訳にしただけなのに。

桜は本当に腹の奥で不快感が暴れるのを感じていた。

嫌い、嫌い、私はあのひとがイヤ。同じ空気を吸っているというだけで、気持ちが悪くなるくらい、イヤ。


ママは分かってるのかな…。

桜は隣を歩く母親を見上げた。

あのひとの笑顔は自分自身だけに向けられた笑みだ。

ママのことも、私のことも、あのひとは下に見ている。


「桜、大丈夫? あんまり辛いようなら、タクシーで帰る?」


「ううん、そこまでじゃない。今は、ちょっと気持ち悪いだけ」


私のママが、ママで良かった。

美しいクラスメイトのことが頭に思い浮かんだ。

金井さんは、あのひとが母親で平気なのだろうか。

桜の頭の中でも、クラスの中でと同じように、金井栞は誰に媚びることもなく、一人りんとしていた。

そして、周囲の者達は皆、彼女を同じように見つめるのだ。

憧れに屈した眼差しの周囲の者達までが、桜の頭の中に浮かんで来て、桜は思わず大きく首を振る。

イヤだ、本当に気持ち悪くなったみたい。

散漫になる思考の中で、桜はぼんやりと考えていた。

…白雪姫に出てくる継母の魔女は白雪姫がなるのかもしれない。



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