第7話 琥珀のマッチ

一条邸が警察の訪問を受けた11月より4ヶ月前の7月の初め頃

希望ケ丘女子学校 西門


「秀ちゃん!」


 校門の隙間から現れた美月が、路地に立つ青年に向かって手を振る。

 呼び掛けられた秀平は爽やかで眩しい笑顔を見せると美月に歩み寄った。


「ちゃんとイイコにしてたか?」


 いつものように美月の頭にぽんっと手を乗せると、ぐりぐりっと撫で回す。


「もーっ、それもういいから~」


 その手を払いのけながら美月は先に校門をくぐり、秀平は後に続く。

 今日は三者面談の日で、去年に引き続き秀平が両親の代わりに出席するのだ。


 秀平は兄とはいえ成人しているし、保護者にもなっているので、三者面談に出席することに全く問題はない。

 だが、周囲の目を気にして目立たないようにと主張する秀平の意向により、人目につきにくい西門から校内に入ることにしていた。


「西門、開いていたけど美月が開けておいたのか?」


「ううん。来たら開いてた。重いから助かっちゃった!」


「確かに。手が鉄臭くならなくて済んだけど、不用心じゃないか?」


「閉まってても鍵が閉まってないから一緒なんじゃない?」


「まぁそこからだな」


 二人は他愛のない雑談をしながら中等部の校舎入口に向かった。


「秀ちゃん今日おめかししてきた?」


「え? しねーよ。気合いは入れてきたけど」


 ジロリと冷めた目で睨む秀平を美月はニヤニヤと見つめる。


「気合いー?」


「一応親の代わりなんで。学生っぽいってナメられる訳には行かないだろ」


「ぷぷっ。でも学生じゃん」


 少し照れて、でもそれを気づかれたくなさそうな秀平に、美月は心を弾ませていた。

 保護者代わりをするようになってから、秀平はいつも「大人の余裕」みたいなものをまとうようになった。

 それ・・のお陰で、以前よりもより安心して頼ることができたりもするのだが、幼い頃は隣で一緒の方向を見ていた存在が、今は目の前でこちら側を見ているようで、美月はそれが少し寂しくもあった。


 ――こういう秀ちゃんは久しぶりで、……なんか嬉しい。


 美月は歩きながら秀平に寄りかかり、頭をすりすりと擦り付けた。


「おいっっ、なんだよ、ちゃんと歩きなさいっ」


「えへへっ。おとーさぁーんっ」


 ふざけて呼ぶと、秀平の左手が頭に乗せられ、ふわっと美月の髪を撫でた。


 ――およ?


 予想外の優しい反応に、美月が秀平を見上げようとするより早く、秀平の左手が美月の頭をぐりぐりと撫でていた。


「うわっ、それやだってっ」


 美月は慌てて身体を離して、頭を押さえる手から逃れた。


「これから面談なんですけどぉ」


 乱れた髪を整えながらむくれて秀平を見上げる。


「こんなところで甘えて、誰かひとに見られるだろ。止めなさい」


 冷ややかにたしなめられたけれど、美月には秀平がまだちょっと照れているのが分かってしまった。


「誰も居ないよー。秀ちゃん、カッコイイ」


 美月はめったにない機会を満喫してもう少し秀平をからかうことにした。


「は?」


「気合い入ってて、学生っぽくなくて、めっちゃカッコイイ!」


「…美月…(絶句)」


「面談終わったら寮に寄ってく時間ある? 香鈴奈が秀ちゃんに会いたいって」


「ああ、それは別に良いけど」


「ありがと! 今日の秀ちゃんスーパーカッコイイ!! 気合いまぢ卍!」


 お前覚えてろよ…て表情かおをした秀平に、嬉しそうに無邪気に笑いかける美月、二人のやりとりは校舎入口に着くまで、微笑ましく続いたのだった。



***



「ありがとうございました。失礼します」


 教室のドアを閉めると、ふぅ、と深い息の漏れる音がした。

 それを合図に美月はにっこり表情かおを綻ばすと、秀平を見上げて言葉を待った。


「トイレ行かせて」


「あ、そだね、りょーかい。こっち」


 美月は職員室のある階の男子トイレまで秀平を案内した。

 女子校には、当然のことだが男子トイレがほぼない。

 寮にいたっては完全にないので、今のうちに行っておかないと帰りまで行けなくなるのだ。


 ――三者面談、先生に結構褒められたから、秀ちゃん何て言ってくれるかな、褒めてくれるかなって自分のことばっかり考えちゃった。校内に詳しい私の方が気を配らなきゃだったな。


男子トイレの目の前で待ちながら、一人反省する美月だった。



***



「終わった……」


 手を洗いながら、鏡に映る自分の顔に秀平は呟いた。

 ハンカチで手を吹きながら、緊張の糸がほぐれていくのを感じる。


 ――こんな緊張しちきってるとか、まだまだだよなぁ……


 ドアを開けると、廊下で待っている美月の姿が見えた。

 こっちに気がつき、僅かな微笑みを見せる。


 ――俺と比べても、美月は随分と成長してるよな……


 対面して話せば、顔立ちや体つきや仕草にまだあどけなさは残るけれど、こうして一人で立っている姿は大人びていて一丁前に女性の雰囲気を漂わせている。

 担任の先生から告げられた美月の校内評価は優良なもので、身だしなみや生活態度、学業への取り組み方など、一年生の良い模範になるもの、と感謝さえされた。

 秀平は正直少し驚いたけれど、こうして改めて見ると、確かに優等生の風格がある、と理解できる。

 見せられた成績表はどれも20番以内で、見かけ倒しではないことも証明されていた。


――俺の知らないところでどんどん大人になって……


「秀ちゃん?」


 見上げる美月の頭にそっと手で触れる。


「あーまたーぁっ、だからそのぐしゃぐしゃ嫌だって……」


 秀平の手を止めようとした美月の両手が、言葉と共にそのまま止まる。

 秀平の手は優しく、とても優しく美月の髪を撫でていた。


「頑張ってるんだな、美月」


 秀平の琥珀色の瞳が優しく美月に語りかける。


「父さんと母さんにも聞かせたかった」


 見上げる美月の瞳に琥珀色の光が惜しみ無く注ぎ込まれていく。


「俺、美月の兄で誇らしいと思ったよ」


 琥珀色の光は輝きを増して、美月の心の奥底の空っぽのところまで辿り着くと、その小さな「空っぽ」を満たしていく。

 それとともに美月の表情かおは喜びに綻んでゆき、泣きそうなくらいに破顔した。


「えへへっ……」


……きゅんっ……

緊張とは違う何かが秀平の胸を締め付ける。


――俺は美月がごくまれに見せる切な嬉しいこういう表情かおに弱い。

 弱いと言うか……


 秀平は撫でていた手をそのまま美月の肩に回して、出発を促した。


「さぁ、寮に行こう」


「うん!」

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