第8話


 リラトゥ帝国初代皇帝、リリカ・リリラト・リラトゥ。

 出自不明のクライヒハルトと違い、彼女の経歴ははっきりと分かっている。


 邪教として法国から追われた、とある宗教家の一族の末裔。それがリラトゥだ。


 彼らの宗教観念において、食人は尊ぶべきものだった。

 死んだ家族を食べ、親しい友人を食べ、死に別れた恋人を食らう。相手の身体の一部を取り込む事は、相手の魂を自らに宿すことにつながる。そのままだと消えてしまう彼らの魂を、現世に繋ぎ止める事ができる。彼らは本気でそう考えていた。食べる事で、そのものの力を自身に取り込む。リラトゥの異能の根幹は、恐らくこの教義から来ているのだろう。


 その宗教の規模自体は、全く大したものでは無かった。前時代の大飢饉による食人を発端とした歴史の浅い教え。法国から追い出され、他国にも拒まれ、彼らは静かに消えていくはずだった。


 歯車が狂ったとすれば。

 教主の妻が、リラトゥを産んだ瞬間だろう。


 リラトゥの怪物性を一言で表すならば『共感性の欠如』と言える。

 善悪の区別がつかない。相手の気持ちを理解できない。『こうすれば喜ぶ』『ああすれば悲しむ』という感情の法則だけを学んで、中身を一切理解していない。人の形を真似ただけの怪物。

 

 彼らは悪人ではなかった。だが、愚かだった。

 そんな怪物が産まれてしまった時点で、彼らの命運は決まっていた。


 数年後、彼らは一人残らずリラトゥの腹の中におさまった。人を食べる事を学習した怪物だけを、野放図に放り出して。

 


 その後の事は、最早この国の民なら誰でも知っている。

 法国を敵視していた帝国の皇族が、法国に追い出された邪教の末裔であるリラトゥに目を付けて。

 怪物はついに、国一つを喰い尽くしたのだった。







 

 どうも。

 人生いつもギリギリ崖っぷち、マリー第二王女である。


 クライヒハルトの飼い主を務めている私だが、実際のパワーバランスはどう考えてもクライヒハルト対私で10-0だ。いくら何でも猛犬すぎる。


 国一つを丸まる救った対価として、大した良血でもない女一人。あからさまに釣り合っていないし、しかもソイツに虐められるのが報酬となるともはや天秤がねじれてよく分からなくなってくる。


 果たして首輪をつけているのかつけられているのか、全く持って意味不明である私とクライヒハルトの主従関係。これが今まで上手く行ってきたのは、お互いに敬意を払っていたからだ。クライヒハルトは意外なほどにこちらを立ててくれたし、私も可能な限りクライヒハルトのために動いた。どちらが主人かも分からないこの歪な関係を続けるために、それぞれがお互いに努力をしたのだ。


 クライヒハルトの力は圧倒的だ。王国は栄えるだろう。民は富むだろう。未だ竜や巨人が蔓延る未開拓領域を越えて、人の住む土地は広がっていくだろう。金銭に換算すれば天文学的な額になるであろう利益。既に私には、一生かかっても返し切れないほどの恩がクライヒハルトにあるのだ。

 

 そう、恩だ。

 私は、クライヒハルトに助けてもらった人間だから。この身が叶う限り、彼の助けになってやりたい。


「こんにちは。会えて嬉しいな、マリー殿下」

「……ええ。こちらこそ、会えて光栄ですわ」


 ――――たとえそれが、人喰いの怪物リラトゥの前にこの身を晒す事であっても。


 王都から少し離れた郊外の屋敷で、私とリラトゥは向かい合って座っていた。

 イザベラもクライヒハルトもこの部屋にはいない、正真正銘の二人きり。


 帝国はリラトゥの物だ。国全てが、リラトゥの意思のままに動かされる。リラトゥを相手するという事は、帝国全てと相対する事だ。そしてだからこそ、私はわざわざ危険に身を晒してまでリラトゥと面会しなくてはならなかった。


 私と帝国軍人の政略結婚。それを、何としても阻止しなければならない。


「季節のご挨拶とか、世間話とかは要らないよ。そういうのは、"仲良くしたい人"にだけやるものだから」

「へえ……それは、どうも有難う」

 

 リラトゥは規格外の英雄だ。過去現在全ての英雄において、彼女ほど物量に優れた英雄はいない。英雄の中でも一握りの、国を造る事が出来る特別な存在。帝国を背負って立つ、周囲を威圧する英雄の覇気が叩きつけられる。

 ……だが。クライヒハルトよりは、大したことも無い。


「でも、私はそういう話がしたいのよ。貴方の話が聞きたいわ?」

「……へえ。私の話?」

「ええ。貴方が何を考えて、何をしようとしているのか。それを教えて下さらない?」


 リラトゥは帝国そのものだ。彼女の動きを知る事が、そのまま帝国の動きを知る事に繋がる。

 この騒動を収束させる為にも、リラトゥの狙いは真っ先に把握しておかなければならない。


「うーん……クライヒハルトには、もう言ったんだけど。聞いてないの?」

「貴方の口から聞かせて欲しいわ」

「そう。じゃあ言うけど、クライヒハルトが食べたいの」


 ……本当に。本当に、何でもない事のように話す。 

 つくづく、今の帝国は地獄だろうなと思う。相互理解が不可能な公共の敵パブリックエネミーを、あろうことか自らのあるじとして迎え入れなければならないのだから。


「クライヒハルトを食べたい。全部食べたいの。全部食べてドロドロにして、私の子どもとして産んであげたいの。大きくなったお腹を見て、優しく撫でてあげたいの」

「…………」

「食べてもらうのも良いな。食べられた私が産まれ直せるかは分からないけど、きっと出来ると思うんだ。クライヒハルトに産んでもらって、パパになってもらうのもとっても楽しそう。クライヒハルトのお腹の中で、栄養を貰いながらぐっすり眠るの」


 朗々と語るリラトゥの眼は、狂気に満ちて爛々と輝いていた。

 

 それを見ながら、私は少しずつ確信を深めていく。

 やはり、リラトゥの食人に対する意識が少し変わっている。ただ自分の腹を満たす為ではない。明らかに、クライヒハルトをしている。それはひょっとすれば、この怪物にとって初めての執着になるのかもしれない。


「産んで、産まれて……そういう、ドロドロでグチャグチャな関係になりたいの。パパのクライヒハルトを私の子供にしたい。ママってどんな事すればいいか分からないけど、沢山可愛がってあげたい。娘ってどんな事すればいいか知らないけど、沢山甘えてみたいの」


 ……リラトゥの両親は、確か邪教の教主とその妻だったか。とてもではないが家族愛に満ちた家庭になるとは思えない。事実、彼ら二人は娘に喰われた訳だし。

 語り終えたリラトゥは、そこでやっと一息をついた。


「……それで。わざわざ王国に来て、私の婚約を取り付けたのはどうして?」

「王国の人たちと仲良くしたかったから。政略結婚をして、帝国と和平を結びたい。第二王女の扱いに困っている。両方の困りごとを、一気に解決してあげたの」


 なるほど。確かに、もっともらしく聞こえる。

 相も変わらず無表情のリラトゥからは、何の感情の機微も読み取れない。

 

 だが。


「……それ、嘘よね」


 そう、強く言い切った。リラトゥと眼が合う。昆虫の複眼めいた、無機質な眼。しかしそこから確かに、僅かなを感じ取る事が出来た。


「噓?」

「貴方が言ったのは表向きの理由でしょ。王国貴族を騙すための方便じゃなくて、本当の事を聞かせて欲しいの」

「ふうん……何で分かったのかな。そういう異能かな?」


 リラトゥがそう、ぶつぶつと呟く。異能ではない。イザベラ達の献身と……敵だらけの王宮でビクビクと怯えていた、過去の私の経験が実を結んだ結果だ。


「でも。たとえ、嘘だったとして。それ、貴方に話す必要ある?」

「あるに決まってるでしょ。 当事者よ私」

「そうかな。貴方が当事者だった事なんて、今まであるのかな」


 リラトゥが、僅かに眼を細める。

 座っている椅子が突然針に変わったような、ビリビリと肌を刺す敵意。

 

事。それくらいじゃないの? 貴方が自分から何かした事って。それからはずっと、お父さんにもお父さんの部下にも嫌われて。ずっと国の言いなり。せっかく落ちこぼれを集めて作った組織も、お兄さんに召し上げられそうになって。ずっと利用されるだけ。捨てられないように、国のために尽くすだけのお人形じゃないの?」


「……王国について、随分詳しいのね」


「調べたから。国の役に立てるなら本望じゃないの? 王国は栄えるよ。民はみんな喜ぶよ。。それで良いよね? 王国に有利な条件で和平も吞んであげる。お金も払うし、土地もあげる。魔物も沢山貸し出してあげる。便利だよ? 巨人が積み木遊びするみたいに、土木作業も簡単に片付けてくれるもん。嬉しいでしょ? 国の役に立てるんだもん。みんな幸せになるよね?」



「――――だから、クライヒハルトを頂戴」



 そう言って、リラトゥは私を睨みつけた。

 はっきりと分かる。リラトゥは私を憎んでいる。私に―――恐らくだが、嫉妬しているのだ。

 この怪物にとっても、初めての激情だろう。彼女自身、それを持て余しているようにも見えた。


「本当の理由、教えてあげようか?」

「……あら、急に心変わりしたのね」

「うん。よく考えたら、ちょっと予定が早まるだけだって分かったから」


 ゆらりと、リラトゥが立ち上がる。


「貴方に、帝国に来て欲しかったの。クライヒハルトの眼が届かない場所まで。そこでなら、貴方に何をしてもバレないから。何をしても……例えば、殺してしまっても」

「―――貴方、」

「私の能力、知ってるよね? 私が食べた人は、みんな私の力になるの。私の物になるの。それが、食べるって言う事なの」


 リラトゥが発する鬼気に反応し、私も反射的に立ち上がる。近づいてくるリラトゥに、咄嗟に構えようとして――――。


。私も、クライヒハルトと仲良くなるの」


 食人行為の中には。

 "敵を体内に取り込む"ことで、とする意図を持って行われるものも存在する。

 

 ―――ぞぶり。

 

 背後から生えてきた剣が、私を刺し貫いた。


「ヴェスパー・ガルドロックは、私のとびっきり一番お気に入りの。蜂の魔物を混ぜたから、ヴェスパースズメバチ。ガルドロックは私の生まれ故郷。語感が良いように、一杯考えて付けたの」


 背後に、甲冑姿の男が立っている。ヴェスパー・ガルドロック。魔物を混ぜ合わせて産み直す、リラトゥの異能。透明化してずっと潜んでいたのか。

 ―――"『なんせ、帝国軍は一人残らず解体されたからな』"。その真の意味が、ようやく理解できた。


 ゆっくりと、ヴェスパーが甲冑を外す。

 ギョロギョロと蠢く複眼の眼。不揃いに牙の生えた口元。人の形を真似ただけの、異形の怪物がそこに立っていた。


 そして、何より一番驚いたのは。

 

「……クライヒ、ハルト……?」


 その怪物の貌が。

 クライヒハルトのそれと、恐ろしく似通っていた事だった。









 

 倒れ伏すマリー・アストリアを見て、リラトゥはほっと一息をつく。


 クライヒハルトがいる以上、王国内の蛮行は常に失敗のリスクが付き纏う。それが上手く行った事は、リラトゥにとって望外の喜びだった。


「相互確証破壊……って、クライヒハルトは言っていたけど。それを過信するとこうなるの」


 リラトゥは、いつでも王国を滅ぼすことが出来る。そして同時にクライヒハルトも、いつでもリラトゥをしいする事が出来る。このようにして両者が膠着状態に陥る事を、あの英雄は相互確証破壊と呼んでいたが。

 リラトゥには良く分からない概念だ。別にそれにしたって、先に手を出された方が死ぬ事には変わりが無いだろうに。


「ヴェスパー」


 血の付いた剣を拭って鞘に納める自らの魔物を見て、リラトゥは僅かに微笑む。リラトゥにとって、この魔物は特別だった。


 彼には、クライヒハルトの血が使われているからだ。


 前回の大戦で。リラトゥは、クライヒハルトに散々に敗北した。ありとあらゆる手勢は砕かれ、リラトゥの繰り出す全ての魔物は彼に歯が立たなかった。リラトゥは瀕死の重傷を負って撤退に追い込まれ、クライヒハルトは程度しか負わなかった。


 そう。


 。自らの武器に付着した僅かな血を、リラトゥは宝石を扱うように丁寧に舐めとった。人ひとりを形作るには到底足りない彼の血を丁重に保存し、自らの思う最強の魔物と掛け合わせ、配合に配合を重ねて創り上げたのがこのヴェスパー・ガルドロックだ。その思い入れはかなりの物だった。低級の魔法防護しか有さないマリーを刺し貫くことが出来たのも、当然の事だろう。


「ありがとう。良く頑張ったね。クライヒハルトと戦う時も、また頑張ってね」


 クライヒハルトがここからどう動くのか、リラトゥには予測がつかない。

 

 彼が一番好きだったマリーはもう死んだのだから、その次に彼女に似ている自分と仲良くしてくれるとは思うのだが。もしかするとマリーを殺された怒りの方が上回って、最初は戦いになるかもしれない。彼を落ち着かせて、自分の価値を理解してもらう為にも、ヴェスパーにはもうひと頑張りしてもらう必要があった。


「クライヒハルト……」


 その名前を呼ぶだけで、胸に甘い疼きが走る。リラトゥには、これが何なのかは理解できない。ただ、そうすると心地いい事だけは分かっている。


 怪物は、初恋をしていた。


 ヴェスパーの顔を優しく撫でて、倒れ伏すマリーに目を向ける。


「…………もう、聞こえても無いだろうけど。礼儀を守ってこそ、食人は美味しいから」


 静かに、リラトゥはマリーの足元に跪いて。

 ゆっくりと両手を合わせてこう言った。


「いただきます」



「――――残念だけど、まだ"おあずけ"よ」


 

 伸ばした手が掴まれる。英雄であるリラトゥを止められるほどの、途轍もない剛力。

 それを成したのは。


「……マリー・アストリア……!」

「ふぅ……痛ったいわね、ほんとに……!」


 確かに貫いたはずの傷口が、ジュクジュクと音を立てて再生していく。数秒後には、元通りの傷一つない柔肌がそこにはあった。常識外れの再生力。そして剛力。それはまるで、英雄のような―――。


「――――テメェ、マジで死んだぞゴルァア!!!!」


 リラトゥが状況を整理するよりも早く。

 轟音と共に壁を突き破って、クライヒハルトが室内に突入する。


「――――ギ゛ア゛ァ゛アッ!」

「あ゛? 何だテメェ、邪魔すんなや!!」


 主人の危機に、ヴェスパーが機敏に動く。クライヒハルトの眼前に立ち、彼を押し留める。


「―――ッ、ヴェスパー!!」

「ボケコラカスダニチリクズ……さっさと、退け!!」


 チンピラのような言動と共に、クライヒハルトの前蹴りがヴェスパーを室外へと吹き飛ばす。


「で? テメェは何してんだよリラトゥ。遺言なら簡潔に言えよ」

「……クライヒハルト。今は、会いたくなかったかな」

「へー。妙な遺言だな」

 

 リラトゥへ歩み寄るクライヒハルトに、外から風切音が響く。

 ガキィン!! と音を立てて、クライヒハルトのこめかみに剣が激突した。およそ人体と金属が衝突したとは思えない轟音。室外へ蹴りだされたヴェスパーが、剣を投擲したのだ。


「チッ……」

「クライヒハルト。ヴェスパーを追いなさい」

「え。でも、そしたらリラトゥは……」

「大丈夫……こっちは、私が何とかするから」


 クライヒハルトは、一瞬の逡巡を見せた後。

 主人の命令に従い、二階の窓からヴェスパーを追って飛び降りた。


 残されたリラトゥとマリーは、暴風クライヒハルトによって荒らされた部屋の中で静かに対峙する。


「……何で、死んでないの?」

「あら。それ、貴方に言う必要ある? ……なんて、冗談よ。貴方とはまだまだ、話したい事が沢山あるの」


 リラトゥ帝国初代皇帝、リリカ・リリラト・リラトゥ。

 シグルド王国第二王女、マリー・アストリア。


「ギィイ……グギャ、ギャァアアアアッ」

「人語を喋れやカスが……まあいい、すぐにサイコロステーキにしてやるよ」


 帝国最強の魔物、ヴェスパー・ガルドロック。

 王国最強の英雄、クライヒハルト。


 二国の運命を決定づける一戦は、この様にして幕が上がった。





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