第7話


「婚約破棄するわよ!!!!!!!!!!」


 どうも。期せずして人生の岐路に立たされている、マリー・アストリアである。


「マリー殿下……婚約破棄や悪役令嬢ものはたしかに根強い人気がありますが、好まれる類型や要点を押さえておかねば、どこかの誰かの二番煎じで終わってしまいますよ……」

「クライヒハルトは黙ってなさい!!! いや、黙らなくてもいいけどせめて起き上がりなさい!!」


 『そうだ……これは夢なんだ。ぼくは今、夢を見ているんだ。目が覚めたとき、ぼくはまだ12歳。起きたらマリー殿下の所に行って、朝ごはんを食べて、涼しい午前中に仕事を済ませて調教されて、午後からイザベラさんも混ぜておもいっきり虐めてもらうんだ……』と、うわ言しか吐かなくなったクライヒハルトを引き摺り、私たちは自分の執務室まで戻って来た。


 話し合う議題は勿論、突如発表された私と帝国軍統括長……つまり、軍部のトップとの婚約について。

 ……正直言って、状況は非常に悪い。


「イザベラ!!」


 浜辺に打ち上げられた海獣のよう《ref》荒巻スカルチノフ《/ref》にスヤァ…と寝ころんでいるクライヒハルトを横目に、イザベラを傍へ呼んで小声で話す。


「まず……まずだよ? 前提としてさ、私がヴェスパー何某と結婚したら、クライヒハルトってどうすると思う?」

「奇跡が起これば、大人しく何処かに行くんじゃないですかね」

「……奇跡が起きなかったら?」

「王国と帝国が纏めて滅んで、私たちは墓の下か商国の奴隷になりますね」


 だよね~~~~~!!!! ハハッ、もう笑いしか出ねえや。


「ど……どうしよう!? 冗談抜きで、私の貞操で国が滅ぶかどうかの瀬戸際なんだけど!!」

「フフッ、市井で流行りの趣味本のような台詞ですね」

「笑ってる場合か!?!?!?!?!?!?」


 イザベラもだいぶヤケになってない? 私だってこんな恋愛しか頭にない脳みそお花畑の女みたいな事言いたくなかったわよ。


「でも仕方ないでしょ、性欲しか頭にない脳みそお花畑のマゾがうちの英雄なんだから!! イ……イザベラ、あなたそういうの恋愛小説読むの好きでしょ! 助けて!! 何か良い婚約破棄の方法知らない!?」

「婚約者と仲の良い平民の女子を虐めて、階段から突き落としたりすると婚約破棄できますよ」

「今から!?」


 何年かかるのよそれ。その前に王国が滅亡する方が絶対早いわ。


「姫様、大丈夫です。私にお任せください」

「イザベラ! 何か良い考えがあるのね!?」

「前職で手に入れた、眠るように死ねる毒薬が残っております。死出の旅はお供いたしますので」

「もう諦めきってる!!!」


 真顔でなんてこと言うのよ、この。主君を毒殺しようとしないでよね。


「あ……諦めたくない!! 若い身空で王国ごと死にたくないわ! まだ希望はある、諦めなければ何とかなるわ! そうよね、イザベラ!?」

「はい。お茶目な冗談はこの程度にして、真面目に話しましょう」

「私はずっと真面目だったけど!?」


 まだ……まだ希望は消えていないはず……! 最悪の場合何もかもをクライヒハルトがブチ壊して虐殺英雄とか呼ばれることになりそうだけど、この世の中に絶対って事は無いから……!

 

「とにかく! まずは状況整理からよ! 何でこんな事になったのかを理解しないと始まらないわ! イザベラ! 『劇団』から報告は上がってない!?」

「なにぶん全てが急に決まった話なので、未だに劇団員も情報を掴みかねておりますが……どうやら、今回の話はリラトゥ陛下主導で進んでいたようです」

「十分よ! そのまま聞かせて!」


 流石、我が一流の劇団員。条約が定まってからの僅かな時間で、ある程度の情報は集めてこれたようだ。


 ……よし、落ち着いた。

 イザベラが懐から取り出した報告書を読み上げるのを、椅子に座って傾聴する。


「……和平条約そのものは、かなり王国へ譲歩されたものになっています。多額の賠償金に、帝国主導で未開拓領域の排除。更に、リラトゥ陛下秘蔵の魔物兵団をテイム契約ごと譲渡していただけると。そして、その交換条件として求められたのが、姫様。貴方の降嫁および帝国への移住です」

「……理由は? リラトゥが、そこまでして私を求める理由が分からないわよ」


 コメカミをトントンと叩きながら、頭を回転させる。

 私は庶子だ。国内での評判も悪い。王族に連なる一員ではあるが、それ以外で利用価値があるとは思えなかった。


「私の推測になりますが……リラトゥ陛下は、今回の戦争を"負け"だと考えておられるのではないでしょうか」

「え? 何でよ、どう考えても逆じゃないの? うちの軍はボロボロで、次に攻められたら滅亡確定ってくらい崖っぷちだったのに…」

事が問題なのです。王国をあれだけ追い詰めてなお、リラトゥ陛下はクライヒハルト卿を殺せなかった。軍や人は、時を置けばまた元に戻るでしょう。しかし、英雄は。クライヒハルト卿とリラトゥ陛下の力関係は、この先一生覆りません」

「あー……!」


 言われてみれば、たしかにそのとおりだ。

 クライヒハルトは、既に王国がズタボロの状況からでも盤面をイーブンに出来た。お互い万全の状態なら、次は確実にクライヒハルトが勝つ。


「確かに今回は、リラトゥ陛下の勝ちでしょう。しかし、これから先は永遠に負け続けます。マリー殿下も仰っていましたよね? もし次の会戦が起これば王国は滅ぶが、リラトゥを討ち取れると。向こうもそれをよく理解しているからこそ、マリー殿下を人質として求めたのでしょう」


 成程。和平のための婚姻と言えば聞こえは良いが、要は人質を帝国に置く事でクライヒハルトの襲撃を抑制しようという腹か。

 そう淡々と語るイザベラに対し、一つ疑問が浮かぶ。 


「……いや、待って頂戴。おかしくない?」

「?」

「リラトゥの持ってる情報の量がおかしいわよ。何で他国の英雄が、うちの事情を王国貴族よりも理解してるの? クライヒハルトが私に……まあ、執着してる事も、一般的な報酬が効かない事も、私と『劇団』が広報戦略のために隠してきた事のはずでしょ?」


 クライヒハルトの性癖的事情から、彼は"完璧な英雄"であることが求められる。そのイメージ構築に一役買ってきたのが『劇団』のはずだ。王国貴族ですら誤解しているクライヒハルト像を、なぜリラトゥが正確に把握しているのだ。

 

「……それは、気にかかるほどの事でしょうか? 愚昧な王国貴族でさえ、クライヒハルト卿が姫様を敬愛している事は理解しています。……彼らの場合はそこ止まりで、クライヒハルト卿はより多くの忠義を王国へ捧げていると勘違いしているから話がおかしくなっているのですが」

「いや……まあ、確かにそうだけど……」

「クライヒハルト卿は無欲の英雄としても有名です。彼を縛り付ける手段として、マリー殿下を求めるのは的を射ていると思いますが……」

「うーん……」


 まあ、理屈は通ってるか……。


「マリー殿下……」

「なに、クライヒハルト? 何か考えがあるなら言ってちょうだい」

「①寝取り男を殺す ②王国貴族を殺す ③リラトゥのクソガキをブチブチにブチ殺すの3択から選んでください……」

「やっぱり少し黙っててもらっていいかしら?」


 史上最悪の三択だわ。


「マリー殿下……ずでな゛い゛でく゛ださい……」

「ちょっと貴方、泣いてるの? 捨てないわよ、大事な犬なんだから……ほら、よしよし……」


 ハンカチでクライヒハルトの顔を拭いてあげながら、リラトゥにしてやられた事に歯噛みする。


 無理矢理人質に仕立て上げられそうになっている事もさることながら、問題の本質は"クライヒハルトと王国の関係が悪化した"事である。このマゾは性欲100%で動いている、大切な物など王国に無いのだ。

 私……はまあ、自惚れでなければそこそこ執着されていると思っているが……それにしたって、今回の婚約騒動でどうなるか分かったものではない。


 どこまで計算の内かは知らないが、とことん厄介な事をしてくれた。


「……しかし、姫様」


 クライヒハルトの面倒を見ていると、不意にイザベラが真面目な顔をしてそう言った。


「どしたの、イザベラ?」

「当然のように話が"婚約を破棄する"方向に進んでいますが……別に、そのまま帝国に行ってしまっても良いのではありませんか」

「エ゛ッ」


 足元でクライヒハルトが潰れたカエルのような鳴き声を上げる。


「はいはい、落ち着いて……どうしたのよイザベラ、妙な事言わないで頂戴」

「私は本気です、マリー殿下。なにもヴェスパー何某と結婚しろとは言っていません。クライヒハルトと共に、帝国に渡れば宜しいでしょう」

「……だから、あのね? そんな事したら王国が滅亡しちゃうでしょって話を……」

「滅びれば良いではありませんか、こんな国」


 ………………。

 その言葉には、反射的に否定するには余りに多くの情念が籠っていて。

 一瞬、私は押し黙ってしまった。


「王国が姫様に、一体何をしてくれましたか? 庶子として虐げ、冷遇し、近衛の一人も与えず……姫様が身を粉にして国に尽くしているにも関わらず、それに対する返礼がこれですか。どこまで人をコケにすれば気が済むのか、理解できません」

「イザベラ……」

「帝国がお嫌であれば、法国でも商国でも構いません。私たち劇団もお供いたします。どうか、お考えを……」


 そう言って頭を下げる彼女を、静かに見つめる。


 イザベラは、私が幼いころからの付き合いだ。元々暗殺を生業とする一族の中で排斥されていた彼女は、同じく嫌われ者だった私と何故か馬が合った。いつも静かに付き従ってくれた彼女は、常に冷静で落ち着いているように見えたが……長年の苦境の中で、溜まる物は溜まっていたのだろう。


「まず、ごめんなさい。貴方の想いに気付いてあげられていなかったわね。それと、有難う。私を心配してくれて」


 実際。


 私とて、今回の王国の手際の悪さには思う所もある。クライヒハルトの忠誠心を過信しすぎだ。リラトゥの覇気に怯えたのか、それとも別の思惑があったのかは知らないが、そもそも当事者である私に話を通さず政略結婚を決めるとはどういう段取りの悪さをしているのだ。

 

 私という駒を、もっと有効に使え。


 国のためになるなら、誰とだって何とだって笑顔で結婚してやる。それをこうまでグダグダな駒運びを見せられては、腹も立ってくるという物だろう。

 

「でもね、イザベラ。王国から逃げて、どこか他の所へ行ったとして……それで、どうなるの? 生活はきっと苦しくなるわよ。劇団も運営できなくなる。王国が綺麗さっぱり滅んだ後、気が変わったリラトゥに殺されるかもしれない。法国の全身武器庫に手駒にされるかもしれない。想定できるリスクは数限りないわ」


 基本的に、私は何の戦闘能力も無い小娘だ。そんな私にクライヒハルトがくっついている以上、利用しようとする勢力は後を絶たないだろう。

 

 そして私に、クライヒハルトを手放すつもりは無い。


「王国から逃げた所で、何にも状況は良くならないのよ」

「しかし、それでは姫様は……!」


 そう詰め寄るイザベラを、手で制して言う。

 

「――――だから、戦って勝つの」


 王国のカス貴族共にも、イカレ人喰いのリラトゥにも。

 自分の意思を通すならば、戦って勝ち取るしかないのだ。


 ――――そして、その為の切り札ジョーカーは既に私の手にある。


「……ねぇ、クライヒハルト?」


 足元にはべるクライヒハルトの顎を持ち上げ、優しく問いかける。


「貴方に上げるご褒美、まだ決めていなかったわよね。三つ上げるって、ちゃんと約束したのに」

「ワン?」


 人語を喋れや。


「三つ分以上のご褒美、考えたんだけど……貴方が、これで喜んでくれるか分からないの」


 この話に、クライヒハルトが頷いてくれるかどうか。それ次第で、私のこれからの方針は決まる。

 王国最高の英雄、クライヒハルト。この全ての騒動の結末は、彼の意思一つで決まるのだ。


「嫌だったり、気に入らなかったりしたらちゃんと言ってね? そうしたら私も、別のを考えてあげるから……」


 そして。


 私の提案に、彼は満面の笑みで頷き。

 クライヒハルトの有する"異能"。前戦争以来振るう機会の無かったそれの完全解放が、決定されたのだった。








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