君と一夜
風呂上がり特有の湯気が全身から漂うゼファーは、隣でぐっすりと無防備に眠るマリアを一瞥して、どうしてこうなったと自分に問いかける。
マリアの自宅へ招待を受けたゼファーは、そのまま夕食をごちそうになった。そこまではよかったのだった。だがいつの間にかゼファーはなし崩し的に、マリアの家で1晩宿泊することになっていた。
思わず大声で叫びたくなるゼファーであったが、隣でぐっすりと眠るマリアの表情を見ると、叫ぶ気力も薄れてしまう。
「しかし眠れないな……」
マリアの隣で眠ろうとしたゼファーであったが、眠気を感じずに眠れる気配を感じないのだ。むしろ気力が満ち溢れ、文字通り気力満点といった具合である。
このまま時間を無意味に潰すのも気が引けたゼファーは、夜遅くで不躾ではあるが中断となった今日の交渉の続きをしようと、レヴィへ連絡を取るのだった。
コール音が鳴り響く携帯端末。しかし数秒も待てば通話に対応する音が鳴る。
『ゼファーさん、一体夜中に何のようですかぁ……?』
携帯端末の向こう側からは、レヴィの眠そうで気だるげな声が聞こえてくる。それでもそんなレヴィの声は蠱惑的な声色で、これだけで世間の男性向けに需要が出そうである。
「あーレヴィ。今日の話の続きをしたかったんだが、眠そうなら明日でもいいぞ」
余計なことを考えてしまったゼファーは、コホンと咳払いをすると通話をした要件を告げる。
しかし内容を告げた瞬間。携帯端末の向こう側からドタンバタンと騒がしい音が連続し、レヴィの息も絶え絶えな音声が聞こえてくる。
『ハァハァ……お待たせしました。私は大丈夫ですから交渉の続きをいたしましょう?』
「お、おう。そっちが大丈夫なら交渉といこう。こちらの要求はえっと……3日後に指定した場所への攻撃。そちらの要求は?」
『ふふふ、そうですわね。戦闘で生じた弾薬費と治療費の受け持ちと……後日ゼファーさんと1晩一緒に寝ていただけません? 勿論私の責めで』
「いいのか、そんな報酬で。お前の実力ならもっと釣り上げてきても、こっちは受け入れるぞ」
ゼファーの言葉に携帯端末の向こう側からは『ふふふ、今日のゼファーさんはイジワルですのね』と楽しそうげなレヴィの声が聞こえてくる。
レヴィのつぶやきの意味が分からなかったゼファーは、思わず首を捻ってしまう。いくら悩んでもゼファーには、レヴィの言った意味は分からなかった。
『……私にとっては積まれた金銭より、あなたとの一夜のほうが価値のあるのですから』
レヴィはゼファーに聞こえない程度の小さな声で、愛の告白をするように呟く。
「何か言ったか?」
『ふふ、ゼファーさんとの夜を楽しみにしてます。と言っただけですよ』
「俺も楽しみにしてるよ。……できれば絞りきらない程度に加減して欲しいけど」
『それはゼファーさんの腰遣いに期待ですわね。私を大変満足させていただければ、優しくしますわ』
交渉が成功したことを確信した二人は、お互いに小さく笑い合う。そのままレヴィは通話を切り、ゼファーも通話終了のボタンを押した。
「なんとか交渉終了か……」
ゼファーは小さく一息つく。レヴィとの交渉で程よく疲労感が溜まったのか、眠気も先程と比べて十分あり、ベッドに飛び込めば快眠できそうである。
「楽しそうだったね」
マリアの冷たい声が耳に届くまでは。
ゆっくりとゼファーは先程までマリアが寝ていた場所に視線を向けると、そこにはジッとゼファーを見ているマリアがいた。
「マリアさん、いつから起きてましたか……?」
「ふふふ、いつだと思う?」
表裏のない純粋な笑顔を見せるマリア。そんな彼女の真意をゼファーにはまるで分からない。
「交渉中の時、いや、レヴィとの通話の最初から起きていた?」
「ふふふ残念、正解はゼファーがベッドに入ってきた時からでしたー」
ゼファーの回答を聞いたマリアは、まるで獲物を嬲る野良猫のような表情を見せると、煽るようにゼファーの耳元で正解を告げる。マリアから正解を聞いたゼファーの表情は一瞬で血の気が引いていき、徐々に青ざめたものとなっていく。
「ゼファー。レヴィさんから中々熱いラブコールを受けていたわよね? いいなー私もあんなラブコールをしてみたいなー」
「……要求は何でしょうか」
マリアの言葉に居心地が悪くなったゼファーは、まるでロボットのようにぎこちなく平坦な声色でマリアに質問する。そんなゼファーをまるで愛でるようにマリアは、ゼファーの頬を優しく撫でると耳元で囁いてくる。
「無事終わったら、ゼファーと一夜を過ごすのを許可してくれるなら許してあげる」
「今日も一夜だぞ?」
「そういう意味じゃない……その大人の意味でお願いします」
マリアの声色はとても妖艶で男を手球に取れる才能を感じさせる程であったが、夜の戦闘に熟練したゼファーにはマリアが若干緊張しているとすぐに分かった。その証拠にマリアの声は少し震えたものであり、慣れないことをしているのがよく分かる。
――ちょっとからかってやるか。
そう考えたゼファーは逆にマリアの両肩を抱きしめ、そのまま引き寄せてギュッと軽くハグをする体勢に入る。
「ゼ、ゼ、ゼファー!?」
「どうした? 大人の意味で一夜を過ごしたいんだろ? ならここで過ごそうぜ」
ゼファーはマリアの耳元で熱の籠もった声で優しく囁く。マリアは逃げようとジタバタするが、ゼファーの膂力には勝てない。
「そんなことをしたら……死亡フラグになっちゃうでしょー!!!」
マリアはそう言いながら頬を赤く染め上げると、火事場の馬鹿力を発揮したのか素早くゼファーから離れていく。そんなマリアの様子を見てゼファーは、ニタァとイタズラが成功した悪ガキのような笑みを見せた。
「なーんてなドッキリだ。引っかかったか?」
「ゼファーのバカ、アホ、もう寝るおやすみ!」
「おやすみマリア」
ベッドに身体を預けて瞳を閉じたマリアは、すぐに入眠に入っていく。そのままマリアの可愛らしい口元から、穏やかな寝息が聞こえてきた。
「俺も寝よう」
疲労感と睡眠欲が十分なゼファーは、マリアの隣へ横になると、瞳を閉じて明日に備えた。
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