第21話 事情聴取
「東堂ひなた、は——」と道すがら、ハルが
書店の前の信号は渡らない。ハルたちは前と同じ道を辿っていた。この時間の大通りの学生は多いが、制服を着た彼らは殆どが駅の方へ向かう。ハルはそれに逆行して進んだ。
「——僕と同じ1年生だよ。女子テニス部。成績は平均的で、運動神経もまぁ平均的。 テニス部内での立ち位置は人気者とはいかないが疎まれるようなこともない。要はどこにでもいる普通の女子」 ハルは調べた情報を並び立てる。
「よく昨日の今日でそんなに調べましたね」と百地が感心した様子で言うと、ハルは何でもないことのように「東堂さんのクラスの女子に聞いたら、みんなペラペラ喋ってくれたよ」と答えた。
「恐るべき女ったらし捜査。ハル様、高校卒業したら刑事になりません?」
ハルは「なりません」と一蹴して、ファストフード店の角を曲がる。さらに人通りは減った。
「そんな陰キャ女子が教師と不倫だなんて。意外です」
「陰キャ女子とか言うのやめろ。性格悪いぞ」 ハルが百地をたしなめた。
百地が言うことは、ハルも気にかかっていた。東堂ひなたは、どう見ても火遊びが好きなタイプの人間には見えない。もちろん本人の胸の内は誰にも分からないが、とは言っても、どうも腑に落ちない感はぬぐえなかった。
「でも、市川さんに会えることになって良かったですね」と百地が言った。
ハルは市川邸に再び向かっているところだった。
塩谷が早速市川に話を通してくれたのだ。江藤の不倫相手もほぼ確定したわけだし、一応の成果は出た、と塩谷は判断したのだろう。すぐに市川に頼み込んでくれた。
「まぁな。だけど、塞ぎ込んでた市川があっさりOKだしたのも意外だよな。それだけ塩谷との絆は深い、ということか」
「力関係がはっきりしている……とも考えられます」
ハルは百地に顔を向ける。
まともな事を言う百地は珍しい、と驚いた。
「そんな幼馴染もあるのかな」
なんとなく真理亜が恋しくなった。別に真理亜は幼馴染、というわけではない。この世界で最初に知り合ったのが真理亜だからだろうか。ハルにはそれが最も古い繋がりだった。
気がついたら市川邸に着いていた。
インターホンは目の前だった。
「また緊張してんですか?」と百地がニマニマしながら覗き込んでくる。相変わらず人をイラつかせる天才である。
百地を無視して、ボタンを押そうとした時だった。
押す前に扉が内から開かれた。
出てきたのは、市川でも市川母でもなかった。
傷んだ金髪に白い肌、以前立ち入り禁止の校舎で見かけた先輩ギャルだ。
彼女はハルたちを見るなり、一瞬動きを止めたが、そのまま門扉を開き、ハルたちに見向きもせずに足早に立ち去った。
「誰でしょう」ギャルの背中を見送りながら百地が言う。
「さぁな。市川さんも人気者だねぇ」
僕はインターホンを押した。
♦︎
久しぶりだね、と市川は力無く笑った。
長い前髪の隙間から見えるうつろな瞳と目が合うと、市川はすぐに視線を逸らした。
勉強机の椅子をこちらに向けて座る市川は、太ももの上で手を硬く握っている。
どうやら警戒されているようだな、とハルはスクールバッグを無造作にカーペットに下ろし、自分は市川のベッドに座った。
「ぇ、っと、その、そこは……あの」と市川がもごもごと何か言っていた。
「ハル様、ほんと人のベッド好きですね。今夜どうです? 百地のベッド、空いてますよ?」
ハルのスルー能力は百地のおかげで驚くべき成長を遂げていた。まるではじめから百地の発言などなかったかのような、華麗なスルーを決めた。
「市川、思い出したくないかもしれないが、西田先生を見つけた時のこと、教えてくれないか?」ハルは市川を見つめて言った。
「真理亜先生と一緒だったから……」と尻すぼみに市川が答える。『だから真理亜先生に聞いて』と言っているようにも取れた。
「被害者は本当に密室で死んでたんですか?」と百地が遠慮なく聞いた。母親には遠慮しまくっていたくせに、とハルは呆れる。
はい、と消えいりそうな声で市川が答えた。俯いて震える市川に百地は質問を重ねた。
「死体を見つけてから、現場を離れたりしませんでした? 例えば通報しに行って一時的に真理亜さんが現場に一人になったり」
「いえ、通報は真理亜先生がスマホでしたので。ずっと真理亜先生と一緒でした」
そうですか、と百地が若干肩を落とした気がした。
やっぱり警察関係者としては、まだ真理亜の線は捨てられない、か。灯が消えるような不安と寂しさから目を逸らし、ハルは事情聴取を引き継いだ。
「市川は塩谷と幼馴染なんだってね」
「うん。そうだよ」と市川は答えた。
「事件の後、塩谷とだけ会ってたのも仲が良いから、ってことか?」
市川が顔を伏せて口をつぐんだ。
「ハル様、それじゃ会ってくれなかったことを責めてるみたいですゥ。もうちょっと遠慮というものをですねぇ——」と百地が自分を棚上げにして説教を垂れる。
それを市川が遮った。「——いいんです刑事さん。白石くん、ごめんね。やっぱりまだ人と会うの怖くて……。あやちゃんは……一緒にいると安心できるんだ。小さい頃からいつも私を助けてくれてたから。命の恩人みたいなものなの。私にとって一番大切な人」
市川は塩谷との思い出でも思い返しているのか、宙を見つめて幸せそうに笑った。
「あのギャルの先輩も幼馴染なの?」とハルが聞いた。
あのギャル、と市川が繰り返す。
やがて、ああ、と合点がいった顔をして言った。
「……ううん、知らないよ。さっき来た先輩だよね。会わなかったから容姿は分からないけど」
「あのギャルは何しに来たんでしょう?」と百地が尋ねるが、市川は首を捻るだけで、何も知らないようだった。
「市川ってスポーツやってたの?」とまた脈絡もなくハルが聞いた。
「あ、うん。陸上やってたよ」
競技は? と尋ねられると「棒高跳び」と素っ気なく答えた。
「トロフィー見たよ。すごいな」
「すごくないよ」と市川が言うと百地が「そうです。百地なら10メートルはいけます」とうそぶく。そんなに跳べたらもはや人間ではない。
ハルが口を再び開こうとして、その前に市川が立ち上がった。
「ごめんね。ちょっと、席はずすね」
「どこ行くんです?」と百地がデリカシーのカケラもない質問を投げた。
「バカ、お前、女子がそう言ったら、おしっこに決まってんだろ! デリカシーねぇな! 市川に言わせる気か? 『ちょっとおしっこに』って。そりゃ市川だって人間だ、おしっこくらいでるよ? だけどな、おしっこに行く女子にわざわざ——
「——白石くん、もういいから。大丈夫だから。だから、その、ぉし……こ、って連呼しないで」市川の顔は真っ赤に染まっていた。
「ん? 聞こえなかった。もっかい言って? おし何? おしっ何?」ハルが耳に手を添える。
「『こ』だけ言わせてどうするんです? ハル様の方がデリカシーなさ過ぎです。というかセクハラです」
市川は無言のまま、部屋を出て行った。
階段を降りる音がここまで聞こえる。
他の音は聞こえない。静かだ。
百地と目が合った。
「百地のおし——」
「——お願い黙って」
百地の封殺に成功した。
結局、この後も大した情報は得られないまま、この日の市川の事情聴取は終了した。
また日を改めて話を聞こう。ハルはそう考えていた。
これが市川と話をする最後の機会だとは思いもしなかった。
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