第18話 条件
白石くん、と呼ばれたのは市川邸の門扉を出た直後だった。
声に振り向けば、モカブラウンの髪の毛を無造作にカールさせた少女、塩谷あやめが立っていた。首から下げたごつい一眼レフは、華奢な塩谷にはミスマッチに思えた。ミサイルを担いだウサギさん、くらい不釣り合いである。
ハルは塩谷を見るや否や、すぐに行動に出るた。一瞬たりとも迷わない。一瞬の躊躇いが生死を分ける。ハルは迷わず怒鳴りつけた。
「こらァァアア!」
「ひぃィィィイイ! すみませんんん! ——て何がかな?! 何を叱られてるのかなァ、ウチは?!」
「よぉ塩谷さん」
「うん、こんにちは白石くん——て、何事もなかったかのように挨拶して来ないで欲しいよ?! 出会い頭に怒鳴らないといけない決まりでもあるの?!」
相変わらずのノリツッコミだ、とハルは思い、そして言う。
「相変わらずのノリツッコミだな」
「そう言うことは口に出さないでくれるかな?!」と塩谷さんは耳まで真っ赤に染まった。
様式美、である。塩谷と言えばノリツッコミ、ノリツッコミと言えば塩谷。
ここまでがワンセットだよな、とハルが一息ついていると、今度は百地が怒鳴った。
「ゴルァァアア!」
「ひィィィイイ——て、まだノリツッコミさせ足りないの?!」
「いえ、ハル様といちゃついてるのがムカついたので、ガチ怒鳴りです」
「ガチだった! なんか怒鳴りの毛色が違うと思った!」
ハルを守るように間に割って入った百地で塩谷が見えなくなる。
百地の後ろからハルがひょこっと顔を出して、塩谷に言った。
「お前どこにでも現れるなァ。ひょっとして僕のストーカー?」
「ち、違うよォ! 誤解だよ! ウチはただ
ぴくっと百地の耳が電波を受信したかの如く、反応するのが後ろから見えた。
ハルも当然、塩谷が市川を名前で呼んだのを聞き逃さなかった。
「なんだ、塩谷さん。市川さんと仲良いんだ?」
「まぁウチらいつも一緒だったからね。幼馴染なの」
「へぇ。知らなかったな」とハルが微笑む。「あの事件があってからも、市川さんと会ってるんだ?」自然を装ってハルは訊ねた。
爽やかな笑みは、誰の目にも魅力的な男子に映る程だったが、ハルは内心、手を擦り合わせて祈願していた。どうかYesでありますように、と。
「まぁね。昔から
ハルが無言で百地を見ると、百地もこちらを見ていた。百地は悪いことを考えている目をしていた。
いや、別に悪いことするわけではないのだが。
ハルは百地のことは見なかったことにして、塩谷にいつも以上に優しい目を向けた。それは不自然な程に優しかった。
塩谷はニンマリ笑うハルにかえって警戒する。
「え、何? 何かな? 男子にそんな優しい目されたことないから、目だけで濡れそうなんだけど?!」
「塩谷さんっ?」とハルが塩谷の右肩に手を置いた。
「だから何ィィィ?! 怖い怖い怖い怖い! 逆に怖い!」
怖い、とは失礼なやつである。こんな良い笑顔を見せる男子なかなかいないぞ。
塩谷が逃げようと後ずさると、退路から今度は百地がにゅっと現れる。
「貧乳さんっ?」と百地が塩谷の左肩に手を置いた。
「それ優しいの?! ただ
怯えながらも、ツッコミは忘れない。面白い奴、とハルの笑みは一層深くなる。
ハルが笑みを深めれば深める程、塩谷は怯えていった。何故だ、とハルはさらに満面の笑みを作る。悪循環である。
「お願いがあるんだけどォ」とハルは塩谷の右肩に頭をもたれかけ、甘える。必勝のハニートラップであった。ハルは自分の魅力に自覚がある。ナルシストとも言える。そして、それを武器にすることが時々あった。
「ィひィィィイイ?!
当然、退路には百地、である。
百地は「ペチャパイがあるんだけどォ」と塩谷の左肩に頭をもたれかけ、塩谷の胸に手をかぶせた。
「だから、それただ貶してるだけだよねェ?!」
百地はハルに蹴られて「痛いですぅ」と塩谷から剥がされた。
ゾンビのように舞い戻る百地をハルが踏みつけるように蹴り続けていると、塩谷が「お願いって何かな?」と呆れた顔で、話を進めた。なんで私が自らお願い事を引き出さないといけないの! と抗議の目でハルと百地を睨んだ。
「え?……あ。そうそう、市川さんを紹介して欲しいんだよ」とハルが本来の目的を思い出す。何も百地を踏みつけるために、塩谷にハニートラップを仕掛けた訳ではなかった。悪びれもせず、言った。
「紹介って……普通に会えばいいじゃん」
「それが出来たら苦労しないって」「苦労してるのは百地ばっかです! ハル様は失礼なことしまくってただけじゃないですかァ」
百地の言葉を聞いて「何したのよ白石くん……」と塩谷は呆れ返った。ハルはへへっと鼻を擦る。「へへっ、じゃないよ」と怒られた。
「なんか面会謝絶されちゃってさァ」
「あー、奏恵あんな感じだもんね」
あんな感じとはどんな感じ? ハルは一目も会えなかったので分からないが、ネガティブな状態だということだけは察した。
「塩谷さんの方から市川さんに言ってくれない? 『大丈夫だよ〜怖くないよ〜』って」
「野良猫か」
塩谷は「うーん」とか「でもなぁ」とか呟きながら顔を歪めて悩んでいた。
やがて塩谷は「あの子さぁ」と切り出した。「メンタルが人一倍弱いのよね」
「引きこもりは大体そうです」「百地お前は黙ってろ」
百地は口を尖らせて、地面に『の』の字を書き始める。『百地は余計な事しかしない』これをことわざなり古事成語なり、後世に残してほしい。
「だから、余計に心配なんだけどさ」塩谷が怪訝そうにハルを見やる。「奏恵に何する気なのかな?」
見定めるような視線を受けてもハルは怯まない。「いやいや、何もしないって〜。ちょ〜っと事件のこと聞くだけだよォ」猫撫で声で言う。
塩谷は「事件……」とハルの言葉を繰り返して呟く。
「ですです! ちょ〜っと
「死体……」と塩谷が繰り返す。
2人の期待の眼差しを塩谷は一身に受けた。
塩谷はおもむろに指を一本立てた。
「条件がある」
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