第9話 別の目的

 パシャ、と小さくシャッター音が鳴った。

 スマホのスピーカーを指で押さえて可能な限り音が鳴らないように気を付けて撮った。案の定、ハルは私の盗撮に気付かない。

 エプロンをつけてフライパンを振るう年下の男の子。これを撮らずして何を撮るのか。夕陽や、海辺の綺麗な景色? そんなものはハルに比べればナメクジと同程度の価値しかない。世の写真家は皆、絶景や動物など撮るのをやめて、ハルを撮った方がはるかに世の役にたつというものだ。


時雨しぐれ先輩、時雨先輩」と後輩刑事、百地ももちが私を呼ぶ。

「もしハル様が百地を選んでも恨まないでくださいね?」とニヤニヤしながら百地がのたまった。

「分かった。でもどのパラレルワールド、どの世界線を探してもそのルートは存在しないと思うから心配いらないわ」

「にゃにおぅ! ルートは自分で切り開くのれす! それがメインヒロインである百地の使命なのれす!」


 既に百地は酔っていた。350mlの缶チューハイ2本でこんなにベロベロに酔えるものなのか、と逆に感心する。

 ハルは私たちのやり取りに気付かず、真剣な表情で料理に集中している。

 今日は、普段カップ麺ばかりの私を心配して、ハルが料理を作りに私の家、1DKの賃貸アパートに来てくれていた。

 こんなに優しくて気の利く男子が未だかつていただろうか? いや、いない!

『料理? それって男のすることじゃないよね? 仕事? 金? それも女がどうにかすることだよね?』というのが一般的な男子の価値観だ。ハルの爪の垢でも煎じて飲ませたい。いや、そんなものを煎じれば百地あたりが「ハル様の爪の垢? 百地が飲みたいですぅ!」とか言って横取りされそうだ。


「あーあー、もう。まだ料理もできてないのに、何酔っ払ってんだよ、お餅」

「お餅じゃありゅましぇん、百地れしゅ」


 ハルがお皿に乗った回鍋肉を持ってテーブルにやってくる。手に持つ回鍋肉はタレがたっぷりかかって食欲をそそる匂いを拡散していた。白い湯気が一層食欲を掻き立てる。

 ハルが皿をテーブルに置くと、百地がガツガツと回鍋肉を掻き込むように食べはじめた。顔が可愛いだけに、実に勿体無い女である。

 フードファイター百地は置いておいて、私も手を合わせてから、ハルの料理を一口食べた。


「んっ、美味しい!」自然と口をついて出た。

「うん。なら良かった」と言って笑うハルに年甲斐もなく胸が高鳴る。顔が熱い。誤魔化すように箸を進めた。

 ハルはそんな私をニコニコしながら見つめていた。正直めちゃくちゃ食べにくかったが、不思議と嫌な気はしなかった。




「で、さ」とハルが切り出したのは食事もひと段落し、百地が再び缶チューハイの飲み口を開けた時だった。


「例のスマホから何か分かったの?」


 ハルが私に尋ねる。多分、今日の食事会はこっちがメインの目的なのだろうな、と予想がついていた。

『例のスマホ』というのは第二理科室から見つかった被害者西田典行のスマートフォンである。

 百地はまだそのスマホの解析結果を聞かされていないから、私から聞こうと家にやってきたのだろう。

 第二理科室を百地が捜索するまでの経緯を私も一通り報告を受けている。

 ハルの下駄箱にあった手紙が犯人からの挑戦状なのか、はたまた事情があって身元を明かせない密告者なのか。

 どちらにせよ、見つかったスマホが重要な手掛かりになると、我々は大いに期待した。

 だが——


「残念ながら、被害者のスマホであるのは間違いないけれど、それ以上有用な情報は得られていないの」


 意外だったのか、ハルは目を細めて思考にふける。

 私は沈黙に耐えかねて、補足情報を付け加えた。


「事件の日に誰かと連絡を取り合った記録もないし、特に親しくしている人もいない。強いて言えば、同じ男性教師の江藤、門野と時々飲みに行っているくらいね」

「じゃ犯人は江藤と門野ですよォ!」百地が缶チューハイをテーブルに叩きつけてテキトーなことを言う。

 百地のことは無視して続ける。

「恋人らしき人もいなければ、そっち関係の女もいないみたい」

「えらい!」と百地がまたも缶チューハイを叩きつけて謎の賞賛を被害者に送る。どうでも良いが缶チューハイを叩きつけなきゃ喋れないのかコイツ。

「何がよ」

「童貞を守り通しているのがですよォ! 百地の愛しいハル様も童貞ですし! ですよね? そうですよね? そうだと言ってください!」

「ちょ、こら止めなさい!」


 百地がハルの両肩を持ってユサユサと揺らし始めたので、私は慌てて制止した。

 ハルは何故かされるがまま揺らされて、なお、思考にふけっていた。


 私と百地が取っ組み合っていると、ようやくハルが口を開いた。


「どうしてだろう?」


 百地が私の頬を押し除けて答える。


「そりゃ誰にも汚されてない純白のちん——」

「——どうしてスマホの場所を教えたんだろう」


 華麗かつ自然にスルーされる百地。卑猥な単語を口走ろうとする百地が悪い。


「誰かが匿名で情報提供してくれたんじゃない?」

「いや、それはないよ時雨姉さん。だって、このスマホ、大した情報入ってなかったんでしょう? 無意味な物を提供する意味がない」


 ハルの言うとおりだ。情報提供者がスマホの中身を見ていない可能性もあるが、普通は情報提供するのなら事前にスマホは見ておくだろうし。


「犯人が警察をおちょくってんですよ! コンチクショーが! ちん◯引っこ抜くぞ! コンニャローが!」


 暴れ出す百地を私は仕方なく制圧した。床に押し付けられて、グギギギと百地が呻く。

 ハルは「いや」とそれをも否定する。


「これが挑発だとしたら、あまりに舌足らずじゃないか? 『捕まえてみろ』だとか『無能警察が』とか、そういうの書かないと警察だってこれを『犯人の挑発』だと受け取れないじゃん」

「いやいや、流石に警察もそこまでバカじゃないですよォ」と百地が床から顔を上げて反論する。

「現に今挑発か情報提供か判断できてないじゃん」

「……本当ですね! 警察バカでした!」

「バカなのは貴方だけよ」

「ひどいです先輩!」


 ハルが続ける。


「それにこんな何の役にも立たないスマホを差し出して挑発だって言われても、説得力ないよ。舐めプするなら、もっと敵に塩送るような有用なものでないと」

「なら、ハルは何のためのスマホだと考えてるの?」


 ハルは未だ私の制圧から抜け出そうと暴れる百地のもとにしゃがみ込み、猫を宥めるように百地の顎の下を撫でた。

 百地は「んぁっ❤︎ ダメですぅ——ぁああぅ❤︎」といかがわしい声をあげてビクビク跳ねるが、ハルは心ここにあらずといった様相で考えて込んでいた。

 やがてハルが答える。


「分からない。分からないけど、何か別の目的があったんじゃないかって思うんだ」


 そう言ったきりハルは、私と、ピクピクと瀕死の昆虫のような百地を残して再び思考の海へと沈んでいった。

 

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