騎士の牢記

ミドリヤマ

第一話:懐記






雪が降っている。ポツポツ、ポツポツと。




「イングドの気候は安定しないなぁ…」




そんな中を、ある少年は剣をブンブンと振りながらふと呟やいた。






とても静かな樹海である。少し耳を澄ませば、小鳥がホウホウと鳴いている。




遥か上を望むと、ツタが木々の間を巻き付き、細かい小枝が無数に空を埋め尽くしている。


そんな深い森の中で、少年、ウルは眼の前の大木に無心に剣を振り続ける。どうやら鍛錬をしているらしい。




その木は御神木の如き大きさで、無数の切り傷が付いている。


少しづつ傷跡が上に上にと上がって来ている事から、少年が長年に渡って、ここで鍛錬をしてきた事が解るだろう。








今、彼が一心不乱に鍛錬をしているこの場所、イングドは孤島である。


大陸と言える程の面積は無く、少し海を隔てれば、強大な国々がひしめき合っている。まるで狼や虎の群れに、子犬が混じっているかの様な情勢を呈している。




しかしながら、そんな状態の中でもこの国は約三百年間も独立を保っているのだ。


………その理由は、ウルが憧れ、入りたいと願っているイングド騎士団の存在である。






この島国を初めて統一した初代イングド国王が創設した組織で、この国で唯一の守備隊。当に島の守り神である。


騎士団に所属している、その全員が強靱な肉体と高い剣技を併せ持った精鋭達で構成されている。




が、それだけでは無い。彼等は"神託"の能力も別格なのである。




神託、それは神々から授かる異能だ。


俗に言う超能力の様なモノで、与えられるのは人によって様々である。


火、水、雷、氷……、




騎士団員ならば、当然神託の強さは一般市民よりも遥かに高性能であることが望ましい。いや、望ましいどころで無く、ほぼほぼ必須だ。




しかし、残念ながらこの小説の主人公、ウルの神託、それは……




『探知』だった。


主に狩猟等で使われる神託で、自分の周囲の状況を大まかに感知出来る。




優れた空間把握能力が備わるが、他の神託に比べると火力が一切無い上に、身体能力が大幅に増強される。という訳でも無い。


正直ボチボチ強い、程度の評価が適切であろう。






そのため、剣を振るたびにウルは考える訳である。




(俺の神託がもう少し強ければ、今頃は飛び級で騎士に……)と、




だが、自分の才能を言い訳にするのは、ウルは嫌いだった。才能を言い訳にするのは、弱者の理論だからだ。




「いや……今さら神託について、自分の才の有無について、どうこう言っても始まらんな!」




彼は誰も居ない樹林で密かに呟くと、再び剣を振り始めた。




ブオン、ブオオン、ブオン




考え事が多いからだろうか、中々剣がまっすぐに振れない。




(弱ったなぁ……)




無駄な事を考えてしまったと、ウルが困った顔で腰を降ろそうとすると、正面から誰かがツタやら木の葉を燃やしながら歩いて来た。




思わずウルは怪訝な顔をする。




「ウル、頑張ってんなぁ!」




木々を燃やした燃えカスを、顔中に付けて歩いて来たその人物は、ウルの幼馴染み。アテネであった。




黒髪の少女で、目に燃えるような緑色が入っており、とても活発そうな感じがする。




「………アテネかぁ」




「何しに来たんだ?」




ウルが剣に頬杖をして、少し面倒そうに聞くと




「何をしにも何も、君が昨日の夜からずぅぅと帰って来ないから、心配して来てやったんだよ!」




「母さんも心配しんぞ?」




アテネは逆に墨だらけのほっぺたを膨らませて、説教をしてきた。




「はぁ……分かった、分かった…すぐに帰ろう」




「おう!」




ウルが渋々返事をすると、アテネは再び来た道を燃やしながら、意気揚々と帰って行った。




「俺も追うか」




ウルは颯爽と帰り支度を始めた。










__________________________






少年、ウルはこの孤島で生まれたのでは無い。


彼には、六〜七歳より以前の記憶が無いのだ。本当に、一切。






経緯は知らないが、どうやらイングドの沿岸に倒れて居た所を、アテネの父親に助けられたらしい。


それ以来、ずっとアテネの生家にて世話になっている。












「雪が、本当に多いなぁ…」




鍛錬場からの帰り道、雪が延々と振り続ける。何時になったら止むのだろうか。


雪はイングドの家々の瓦を濡らし、積もっている。




「ゴボッ、やはり冷えるなぁ」




ウルは雪で覆われた赤レンガの上を、両頬を赤らめて歩いて行く。




イングドの街は、孤島にしては存外に賑やかである。


武具屋もあれば、薬草店もある。街の中央から離れると、炭鉱や製鉄所さえ完備している。




人混みで息が詰まりそうな中を、トットットと走り抜けると、我が家が見えて来た。帽子の様に屋根が尖った形をしていて、遠くからでも分かり易い。


小走りで走り寄り、コンコンとドアをノックして、ウルは中に入った。




「あら、ウル君お帰りなさい」




中からは優しい声が聞こえてきた。


アテネの母、アリアである。




アテネと同じ黒色の髪で、赤色の瞳をしている。






手元を見てみると、アリアはコトコトと何かを煮ていた。


恐らく煮物だろう。




「そろそろ、ご飯にしましょうか」




優しい声音で、彼女は語りかける。




「分かりました」




それを聞くとウルは即座に皿を出したり、料理を運んだりし始めた。




「アテネ、カミルスも呼びなさい」




アリアは次に、椅子に座って剣を磨いていたアテネに命令を出した。アテネはやれやれ、と言った表情で、部屋の奥の方に行って、大声で叫ぶ。




「カーミールース!!」




「はっ、はいっ!」




すると、家の奥の方からピョコっと少年が顔を覗かせて来た。




「なぁアテネ……そんな大声出してやらなくても良いだろ」




料理を運びながらウルが文句を言うが、アテネは無表情のまま席に付いてしまった。




「あ、ウル兄さん…お帰りなさい!」




「おう」




彼はアテネの弟だ。ウルよりも2歳程歳下で、少し弱気な雰囲気を纏っており、長めの赤髪をしている。


彼は"焔の神託"を持っており、この家に代々発言した者の中では最上級の火力を誇っている。




ここでアテネの生家を説明しておこう。




彼女の生家、バルカ家は、代々イングド騎士団に優秀な団員を多く輩出しており、この国では中々の発言力を持っている。


一族に発現する神託の殆どが炎関連のモノであるため、火力面に関しては申し分なく、未成年ながら現役の騎士よりも強い攻撃を放つ事などザラにあったらしい。








ウルは、このバルカ家の特異点とも言うべき少年の、とても謙虚な性格を愛しており、本当の弟の如く接して来た。




暫くして四人が席に着くと、彼らは丁寧に手を合わせて食事を始めた。




これがいつもの日常である。アテネの父は、イングドの騎士団長を努めているため、中々帰って来られない。




長い間、もぐもぐ、パクパクと咀嚼音だけが響いていたが、何の不思議も無い一家の日常である。




が、それを打ち破るかの様に、ウルが少し重々しげにスプーンを卓上に置いてふと言った。




「……なぁアテネ、騎士団への入団試験、そろそろだな」




少し、場の空気に緊張が纏う。




「だな…!」




アテネが、少し苦々し気に返した。




イングド騎士団への入団試験、その期日が実は二日後に迫っているのである。ウルが最近山に籠もって鍛錬していたのは、そのせいでもあった。




試験は勝ち上がり形式で実施され、いくら名門の出だろうと、貧しい家の出身だろうと、コレを突破しなければ騎士にはなれない。




「ウル兄さん、試験前だからって、余り無理し過ぎないでね」




「分かってるよ、お前は優しいなぁ。カミルス」






ウルはワシャワシャとカミルスを撫でると、食事を置いて剣や装備を背負った。それを見て、アリアは不安そうに尋ねた。




「あら、もう良いの?ウル君」




「はい、アリアさん、ご馳走さまでした」




「試験の日まで、少し先生の所まで行って来ます」




そう言うとウルは食器を洗った後に、皆に一礼すると、スタスタと山道を駆けて行ってしまった。




「ウル…」


(焦ってるのかなぁ………)




そんなウルを、アテネもまたほんの少し心配そうな眼で見ていた。






__________________________












「はぁ、はぁ………ハァ、」






ウルは山道を歩いて居る。ウルの先生の家は、山の上にあり、空気が薄い。




道には背の低い草花が間隔を開けて生えており、それが山雪と非常によく似合う。




「はぁ、はぁ、、、見えて来たな……」




中腹まで到達して、更に上の方を向くと、小さな小さな小屋が見えてくる。




もう見るからにボロボロであり、息を吹いたら崩れそうで、何とも儚げである。


ウルはそんな小屋に、そそくさと近づいて行くと……




コンコン、とウルは少し気張ってノックした。




「先生、先生!」




「居ないのかな……」




だが、そう思って踵を返そうとした瞬間、キラリ、と首筋に鋭い刃が伝った。鉄の冷たい感触が、直接肌を伝わって感じられる。


思わず喉がキュッと締め付けられた。




「どんな時も油断するな、お前の神託は探知じゃろうに」




「せ、先生……!」




スチャリ、と刀を収めると、先生はヤレヤレと言いながら説教を始めた。




「ウル…そろそろ儂の気配を気取れる位には、探知の性能を上げておけ」




「入団試験の輩の攻撃なら解っても、それよりも練度の高い相手の前では意味を成さんぞ」




「前に来た時、あれほど……………」




また説教が始まってしまった。弟子入りして以来、いつもこうである。


しかしながら、先生の言葉は全てが正論だ。説教を食らうたびに、ウルはなんだかムズムズした気分になってしまうのだ。


話題を逸らすために、今度はウルが喋り始めた。




「あ、あの………先生、説教も嬉しいのですが、それよりも………」




「じ、実は入団試験が、何と二日後なんですよ………」






先生が顔を上げる




「なので、先生と模擬戦がしたいです」




せっかくいい気持ちで説教をしている所だったのに、とニヤニヤしながら先生は弟子の言葉を聞き終えた。




「ほぉ、儂の気配さえ感ずけぬのにか?」




「………」




暫く、静かな間ができる。




「……まぁ、良い、」




「模擬戦なんぞしても勝負にはならん、代わりに儂の技を教えようか」




今度は、ウルが大きく顔を上げた。




先生は更に大きくニコリと口角を上げると、小屋に入り、ゴソゴソと何かを探った後に、二本の木刀を取り出した。


その内一本を、ポイッと渡される。




「撃ち込んで来い」




彼は何の予告もせず、ぶっきらぼうに言った。




「え……先生、お体に触りますよ?」




「うるさいわ!いつまでも老人扱いするなッ!!」




ウルは不安そうに木刀を手に持つと、グッと軽く握った。




「はぁ、ウル……本気で打ち込め!」




瞬間、先生の威圧感が倍以上に増して行く。




老人が、ただ木刀を握っているだけなのに、底しれぬ力を感じさせられる。




思わず、ウルはギチギチと、無意識の内に木刀を全力で握っていた。




「ふぅ、ふぅ、フッっ!」




先程までの軽口を叩く余裕は無くなり、一気に恐怖感が全身を駆け巡る。本能的に、息遣いが荒くなってしまう。




だが、流石は騎士志望だけは有る。


フッフと小刻みに、また何度か息をして整えると、無表情になり真正面から全力の突き技を放った。騎士の使うロングソードとは違い、刀の為に突きの速度は落ちるが、早いことには変わりない。




岩を砕かん程のスピードでウルの木刀が迫ってくるが、先生は一切動じない。


一瞬で両者の距離が詰まっていき、、、、




切っ先が、先生の頭に当たる……!と、ウルは確信した。が、残念ながらそれは叶わなかった。


次の瞬間、コツン、と軽い音を立てて、ウルの手から木刀が落とされたのである。




「………え、、」




「一度きりじゃ」




え、という短い感想と共に地面に座り込んでしまったウルを尻目に、先生はフラフラと小屋へと帰って行った。




本当に何をされたのか検討もつかない。




(……ッ!探知まで使ったのに………)




先生の腕から先が、一切見えなかった。


何が起こったのだろうか。




「……はぁ、移動しようか」




ウルは少し青ざめた顔のまま、気分を整える為に山の頂上へと向かった。


頂上は空気が少し澄んでいて、長考にいつも良かった。


彼は悩みがあるたびにここに来ては、適当な石の上に座って、真下に広がる崖を眺めるのである。




(なぜ、先生は俺の刀が当たる直前まで避けなかったのだろうか……)




先程の勝負を振り返ってみる(尤も、勝負にすらなってはいないのだが)


嘗められたのか?と少し思ったが、すぐに首を振った。




(先生は稽古で手を抜く様な人では無い)




モヤモヤとしながら、ふと下を見てみると、なんと崖の表面で自然界の攻防戦が繰り広げられていた。


巨大なトカゲが、いまにもひ弱そうなヤギを食おうとしているでは無いか。


ウルは、思わずほぉ。と声を出して見守る。




ヤギはトカゲが動くのを待って居るのか、微動だにしない。逆にトカゲも、ヤギが動くのを待っている。




「…………」




ウルはその二名の様子を、顔に手を当てて眺める。




かなりの時間が経った後に、とうとうトカゲが渾身の力を込めて、ヤギに襲い掛かった。




「おぉぉ、これは中々早いなぁ!」




ヤギは一切動かない。これは勝負有り!とウルは見ていたのだが、直後に仰天した。




「あ、!」




ヤギはトカゲの攻撃をギリギリまで引き付けた後に、軽くポンッと跳ねると、躱して逃げて行ってしまったのだ。




少し、似ていた。








(これは、あの時の……)




ウルは思う。あの時の自分も、先程のトカゲも、どちらもずっと力んだまま獲物に突進したのだった。


そのために単調な動きとなり、相手にいなされたのだろう。




ならば、先生の言っていた技とは………




「わざと相手の攻撃を絞るのか………?」




攻撃が当たる寸前まで動かぬ事により、相手のルートを確定させるのだろう。


しかし、言うは易しだ。実際にやれば色々と課題が出てくるのだろう。


だが、入団試験は二日後な訳である。ウルは少しの期待と共に、技を極めるために山へと籠もりに向かった。






_________________________






山に籠もっている間、ずっとウルは考え続けた。あの技を、先生の奥義を。




『探知』を持っている俺に教えた理由……




その日は1日中、森の木々は珍しく静かだった。














そうして山中で答えを出した後に、ウルは再び先生の所へと舞い戻った。


顔つきは晴れ晴れとしており、淀みがなかった。




先生はそんなウルを見ると、笑って




「よし、来い!」




と言って、前のように木刀を投げて寄こした。




パシッとウルは景気良くキャッチすると、ギュッギュッと木刀は少し軽めに握り、体の力の一切を抜いた。




(ほぉ、ウルめ……気づいたか)




それを見ると、先生は更に嬉しそうに歯を出してニッ、と笑う。




「そうか、ならば儂から動いてやろうかのぅ」




先生は褒美だと言わんばかりに、フェイントを入れながら、左右に揺れながら斬り掛かって来た。




前回と違い、ウルは今度は動じない。




(探知も最大出力にして……!)




ギリギリまで、ギリギリまで待つ。




木刀の切っ先との距離が、どんどん短くなって行く。




(まだ、まだ待て……!)




刃が風を切る音が聞こえ始めた瞬間、ウルは腰を一気に落として木刀を振り上げた。




カンッ!と小気味良い音を上げながら、先生が手に持っていた木刀が地に落ちる。




フゥ、フゥ、と少し興奮気味にウルは顔を高潮させて、息を大きく吐く。






「……ウル、頑張ったな」




先生は少し懐かしそうに眺めると、ウルの頬をスルリと撫でた。




「じゃが、まぁ、30点くらいじゃのぅ…」




「えぇ…」




ウルは残念そうに口を曲げたが、逆に先生は目を細めて




「更に励め」




と微笑んで、そのまま小屋に引っ込んだ。




(なら、そろそろ試験の準備に帰ろうか)




先生の姿を後ろに、ウルも帰ろうとすると、なんと背後から剣が飛んできた。




「うおっ!」




ウルが避けて見てみると、先生が居た。




「弟子に剣を投げるなんて………遂にボケたんですね!?」




「違うわいっ!ちゃんと見てみぃ!!」




言われた通りに、草の上に落ちた剣を見てみると、鞘に収められ、何やら持ち手に文字が刻まれていた。




「………これは「加速の神託じゃ」」




先生が遮って喋る。




「今のお前の剣速では少し不便じゃろうて、微力じゃが、これで四割程剣を振る速度が早くなるじゃろう」




「……先生…」




「儂の剣の中でも最上級の得物じゃ、大切にしなさい」




先生はそう言うと、砥石も手渡した。


『修復』の神託が刻まれており、かなり高価で貴族階級でもそうそう手に入れる事は出来ない。




「ではな、儂は昼寝でもする」




先生は今度こそ、小屋に向かった。




ウルも名残惜しそうにその後ろ姿を眺めると、山を降りて行った。




山の木々や獣まで、ウルの騎士への旅立ちを祝福するように、ザワザワと鳴り動いている。




「今日は、雪が晴れているな」




空からの光を一杯に、その体に乱反射させる雪を眺めるながら、ウルは家へと帰って行く。








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