05:探偵と詐欺師
行平が探偵事務所で雑務に当たることができたのは、残念なことに午後二時が限度だった。
そこに至るまで事務所の壁掛け時計を確認すること、約十回。業務用パソコンでタロットカード占いにおける「月」の意味を検索しようとしたところで、行平はひとつ諦めた。
辺鄙な事務所に、呪殺屋を探してほしいと縋る形相で訪ねてきた高校生の少女。管轄外だということは簡単で、呪いなどという不可思議が嫌いだということも簡単だ。
けれど、それを理由に放置することを簡単と言い切ることは、さすがにできなかった。
「あらぁ、ゆきちゃんじゃない」
「その呼び方、やめろっつったろ。この詐欺師」
事務所のドアを閉めたタイミングでかけられた軽薄な声に、憮然として振り返る。百八十センチ近い長身の二十六歳の男に「ゆきちゃん」はない。まったくもって不本意な呼び名である。
女言葉を気ままに操る詐欺師が、非難をものともせずにこりとした笑みを見せた。
「ゆきちゃんこそ。あたしは詐欺師じゃなくて占い師なのに。そんな呼び方されたら、あたしの乙女心が傷ついちゃうわ」
「おまえは男だろうが!」
「そんなこと言って。もしあたしが女の子の心を持っていたらどうするのよ」
ますます傷ついちゃうわ、と。乙女よろしく詐欺師が胸元に手を当てる。
数秒の沈黙のあと、行平は恐る恐る詐欺師の全身に視線を送った。爽やかな麻のスーツを着こなした、二十代半ばと思しき細身の男。顔つきは決して女性的ではないが、取り立てて男性的でもない。
美形とまでは言わないにせよ、いわゆるイケメンである事実は、この男の営む占い屋に訪れる女子学生の数が物語っている。姿かたちを再確認し、行平は沈考した。
「その、……そう、なのか?」
「ゆきちゃんってば、あいかわらず真面目で可愛いわぁ」
「おい、この詐欺師野郎」
きゃっと言わんばかりに頬に両手を当てた詐欺師に、行平の声が地を這った。気遣った自分が馬鹿だった。
「うそ、うそ。冗談よ。嫌ねぇ、ゆきちゃん。でかい図体で拗ねないでちょうだい」
無言で階段を下ろうとした行平を、詐欺師の笑いを含んだ声が追いかけてくる。
「どこに行くの? 外はなかなかの暑さだったわよぅ。女子高に行くなら、変質者に間違われないよう気をつけなさいね。ゆきちゃん、お顔が怖いから」
「放っとけ」
「あら嫌だ。ご機嫌斜めなの? 仕方ないから、お出かけ前に良いことを教えてあげましょうか」
「予言は要らねぇっていつも言ってるだろ。俺は予言だとか呪いだとか、そういった不可思議は信じない」
「そうは言うけど、占いは統計学よ、一応は」
「おまえの予言は統計学じゃねぇだろうが」
「そこは否定しないけれど。当たるんだから仕方ないじゃない」
にっこり肩をすくめた詐欺師に、行平は胡乱な視線を向ける。
呪殺屋に通じる似非臭い笑みを浮かべた詐欺師が、タロットカードを一枚取り出した。どこから取り出したのか、いつ用意しているのか。おまえは手品師か。その類の疑念はもう捨てることにしていたので、黙殺する。
呪殺屋しかり、この男しかり、変人に常識は通用しないのだ。それがこのビルに越してきて行平が学んだことである。
「月の逆位置はねぇ、吉兆よ。少なくとも、今のあなたにとっては」
「吉兆だ?」
「素直に喜びなさい。真実はあなたの進む道の前に現れる。もう不安を恐れることはない」
軽薄なはずの詐欺師の声が、妙に厳かにビルに響く。反応を返さない行平に焦れるでもなく、詐欺師はにっこりとした微笑を唇に刻んだ。
「それが、あなたの『今』よ、ゆきちゃん」
詐欺師の手元でタロットカードがくるりと一回転して、またどこかに消えた。月の逆位置。
「おまけに、もうひとつ良いことを教えてあげる。正門でなく裏門に回りなさい。そこに続く道に、探し物は落ちているわよ」
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