『ぬむい。』
ハル*
第1話 喜べない負債の存在
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人は、欲に縁がある生き物だ。
縁というか、それがなきゃ生きていられないのかもしれない。
よく聞くのは食欲や物欲に性欲あたり。
これを読んでいる人には、どんな欲が絡みついているのだろうか。
その欲を満たすために、時には負荷を感じながらも労働をして金銭を稼ぐ。労働の対価で、欲を満たすのだ。
とはいえ、だ。
対価なく、己の欲を満たそうとするやつなんてのもごまんといるわけで。
そんな存在に圧せられて、あたしは長期に於いてひとつの欲を満たせずに生きてきた。
そういう位置関係も、強者と弱者という名称で合っているのかな。
もしもそう呼称するならば、きっとあたしは今まで弱者でしかなかった。
そんなつもりもなく生きてきたのは本人だけで、本人が一番気づけないままに心身をどんどん蝕むものがそこに在った。
睡眠と食事は、人間が生きるために必要不可欠。
けれど、出産を経て、育児、また出産。
三度目の出産を終えた時には、すっかり睡眠不足なのが当たり前になっていた。
気力と今にも赤ゲージにさしかかりそうな体力とで、どうにかして日々生きている感じだった。
子どもを産めば、自分の睡眠もしたいことも何も期待しない方がいい。
そう思えた。
だって、よくある話と一緒で、我が家ではワンオペが常態化していたんだもの。
ささやかな期待をしたところで、どこの誰が叶えてくれるというの?
まわりもそうなんだから、自分だけ不平不満をぶちまけるのはきっとおかしいんだ。
どこかでそう思っていた。
……いや。思わされていたのかもしれない。
“ちりつも”というが、寝不足も不平不満と一緒で、どんどんどんどん積もっていくらしい。
最近ちゃんと言語化されたそれは、”睡眠負債”というそうで。
慢性的な睡眠不足の状態が続き、その負債が蓄積されて心身へ支障をきたしている状態のことをいう……と、ネット仲間らの情報でそれを目にした。
「負債、かぁ」
ぽつりと呟きながら、なんだか素直にその言葉を受けいれることが出来た。
毎日家事に育児に、パートナーの世話まで抱えて、ちゃんと休めた感覚を思い出せないままだったわけで。
何故いい歳した大人の世話までが毎日抱えるタスクになっているのかと、何度思っただろう。
隙あらば眠りたい。
そう願っても、叶わないことの方が多い。
睡眠欲がここまで満たされないまま過ごすことになるだなんて。
「……ねむい」
20年以上の時間の中で、何度その言葉を呟いたか。
それに対して返ってきたのは、子どもたちからはその声に気づかなかったかのようなタイミングでの甘えの言葉。パートナーからは、それ以上に気づかいのない……やろうと思えば自分でやれるだろうお願いばかりで。
それか、疲弊している体にムチ打てと言っているかのような、夜の肉体労働のお誘いだったり。
そんな状態で心も体も満たされると思っているのが、理解不能。
きっと、最低でも自分=彼は満たされる前提で話してきた気がする。
”自分だけでも”
これが彼の中に根深くあるせいで、何度となく彼に期待を寄せてはあたしの心を折られた。
今日は体を捧げないでいい。
そう願っては、ただ受け入れるだけでもと乞われて。
“それ”で疲れて、そのうち声もあげなくなってしまっても気づかれない。
人形のような反応の女を抱いて、なにが気持ちよくて嬉しいのか。これも、理解不能だ。
一瞬で闇の中に落ちるように眠って。
深く眠っていたはずなのに、不思議なほど却って人の気配にどんどん敏感になっていった。
子どもの声、気配、彼の寝返りに呼吸音、近づく指先、首の下に回される腕の感触。
寝言が聞こえただけでも、びくんと体が反応したこともあった。
歳を重ねるごとに、悪化しかしていかない。
どうしてだろうと思った。
子どもが成長すれば、自分のことを大事にできる時間が増えるはずだと考えていた。
そうなんだろう、きっと。
願いたかったのかもしれない、そうなってほしいと。
子どもが大きくなれば、親二人にかかる負担だって少なくなるはず。
そして、子供の成長は親としての成長だと思っていたから、内心彼だっていろんなことを学んで”親”になってくれると信じていた。
けれど、彼は一向に親になることはなく、気分次第で親っぽいことをしてみては、子どもたちにも幾度となく期待を裏切ってみせた。
やがて、子どもたちは口にするようになった。
「どうせパパだしね」
「だってしょうがないよ、パパが決めたことなんだし」
気分屋で、家長だということだけで決定権が揺るがないことを、繰り返された彼のいろんな行動で痛感したのだろう。
子どもらしい願いは、うちの父親には通用しない。
一緒に遊びたいことや、どこかに出かけたいこと。絵本を読んだり、勉強に付き合ってくれること。
食事の時に交わす会話だって、聞きたい時にしか聞いてもらえないし、興味を持って質問をしてくれることも願うだけ無駄なのだ、と。
比喩するならばまるで刹那といえるような期間に収入がわずかに増えただけで、豪遊だと口にしながらゲームを買い与えていった。
最初は素直に喜べていた子どもたち。
でも、そのうち現実を知らされる。
収入が減ると、真っ先に売られるのは自分たちの楽しい時間なのだと。
繰り返し繰り返し、与えられては売られて。自分たちが育てたキャラクターを捨てたのは何回だろうと思ってたよう。
数えるのもめんどくさくなったらしい子どもたちは、いつ売られてもいい気持ちでゲームを受け取る。
そして、「売ってきていいかい」と筋だけは通したつもりの父親に、薄く笑ってゲームを差し出してきた。
「すぐになくなるくらいなら、最初から生活費にその分を回せばいいのにと思っていた」
ある日に過去を振り返っていたら、三人から同じように話されたそれ。
フォロー出来ていなかった現実を知らされて、何度か夢に出てきた。
現実には泣かずに渡してきたゲームを、夢の中では手渡したくないと泣きつき、ゲームを腕の中にきつく抱きしめていた子どもたち。
目が覚めて、罪悪感が重く圧しかかった。
眠れない原因が増えていく。
過去という形のないものに、首をじわりと絞められていく感覚。
彼に、彼がした子どもたちへの言葉や行動に。
あたしがもっと上手く立ち回っていたらという、今更な後悔に。
彼的には、子どもたちと関わっているつもりなようだった。
ただ、そこで問題なのは、需要と供給が微妙にずれているということ。
子どもたちが求めていたものは、彼が与えたがったものではない。
だからすれ違っているのに、当人がそこに気づけていない。
ゆえに、不満が出るのだ。
「俺、あんなにかまってやってんのに、怖がられているのはなんで?」
見た目だけ怖くたって、そばにいたい対象なら子どもたちはそばにいる。
その部分はわかっていたらしい。
けれど、肝心の後者に自分は該当していないという事実に気づけていない。
かまってやっていると、一緒にいたい対象になっているはずなのに……と、アホか? とツッこみたくなるほど単純な思考回路で思い込んでいた。
自分が普段何をやらかしているかを知らないで。
その温度差に、子どもたちの方が常に敏感に反応していた。
ゲームの時同様で、時々期待もしてしまう子どもらしさを見せつつも、諦める早さも身につけてしまっていた。
子どもたちのメンタルケアが追いつかなくなっていく。
誰と誰の子どもたちを育てているのかわからなくなりながら、時々何も考えてなさそうな寝顔を横目に殺意を抱いたこともあった。
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