ダブルパラレル

北木事 鳴夜見 

第1話 入り口へ

 スマートフォンの時計を見る二十二時を過ぎていた。閉店まで一時間しかない。そんなことを思いながら三宮典明はデニーズ渋谷公園通り店の看板を見た。赤い文字と黄色いパネルのDennysの看板…いいね、ハリウッドの映画のように足元に寄せた背中を見せる構図を頭にイメージした三宮典明さんのみやのりあきはニヤリと口角を上げた。雨も降っている、看板の灯りが濡れたアスファルトに反射しているから得点が高い、いいね、そう心の中で呟いてデニーズの入り口で仁王立ちすること二分が経っていた。イメージの中では自分の背中を映したカメラがゆっくりと上昇して主人公を画角から外してぼんやりとした街の風景を収めていた。


 細身の黒いジーンズにニューバランスのスニーカー。白のラインが入った黒のポロシャツ姿の三宮さんのみやはさらにイメージを頭の中で鮮明にしようと集中していた。三宮はリュックやトートバッグは持たずに財布とスマホだけで東京を歩く自分を気に入っていた。顔つきのレベルは自己分析では中の下、二重のパッチリとした目だが鏡で見るとき、写真に映った自分の顔は狐のように吊り上がっていることが多い。芸能人のようにはいかないと気づいたのは中学生の時だった。ヒゲは毎日剃るし髪の毛も短く整えている、だが風俗にしか行ったことがない素人童貞だった。とはいえ何一つ後悔や憎しみを持たずに生きていた。気楽な商売を身につけて生きていくのは簡単ではないが。それは気に入った生き方を見つけることができたに等しい、そう信じていた。

 

 通りすがりのカップルの男が小さい声で「あいつキモォ、早く店入れよ」と呟いた。続けて顔が小さい黒髪ナチュラルメイクの女が「フフ」と小さく漏らした。三宮は常にこういった小さな嘲笑に囲まれて暮らしていた。


 令和になって六年が経ったがああいう役回りのキャラクターは地味な格好をしているな、と三宮は心の中でこぼした。実際に男の方はオーバーサイズの白いTシャツに涼しそうなパンツにサンダル、女の方は黒のショートパンツに細身の白いシャツ、低すぎるヒールのソール姿だった。

 

「昔だったらもっと酷く言われていたけどな、今時の奴らは優しいな。格好も地味だし、それも悪くない、どうやって地獄に落とすか、それともゾンビが跋扈する世界でサバイバルさせるか!おっとつい独り言が!」


 ああいう役回りのキャラクターと心の中で呟いた三宮は大抵若者はスプラッター映画で化け物の餌食にされるということが大前提だと思い込んでいた。こういった人間がクスクスと笑われることが多いことも自覚している。


 独り言の音量は異様に小さかったために街のざわめきにかき消された。自分の醸し出す不審なオーラに呼応して誰かが笑う声がこの時ばかりは聞こえなかった。三宮典明は脳内にあるイメージのクオリティに満足していた。ありきたりな映画の設定の走り書きを頭に焼き付ける、そしていつものように、よし整った!と思った。三宮は特に小説を書くわけでもなく、映画脚本をするわけではない。だがこうして頭の中で良いシーンをイメージする癖があった。時には孤独な主人公のつもりになって雨の中呆然と立ち尽くすこともある、見上げた時に雨が立体的に降り注いでくる様子を映画やミュージックビデオのシーンのように思い浮かべてみる、そしてスローモーションで逆再生することを想定する。物語や映像作品を作るクリエイターではないので厳密には想定ではなくただ夢想するのだ。だが本人にとっては想定という独自の意味を持つ言葉で自己完結している。そしてそんな夢想に浸っている終わった人間のオーラが周囲の人の嘲笑を誘う。それも受け入れていたし現実のことはよく知っているつもりだった。


 そして何度も世界を頭の中に取り込んでいく毎日を送る。晴れた日は明け方にコンビニに繰り出して自転車で走る下着姿の老人を見たり夜の仕事から帰る女の姿を観察する。飲み慣れてないが故に憂鬱そうに歩く浅黒い肌の若者やキャリーケースを転がしている旅行客を見る。そしてキャリアの長い俳優が主演しているヒューマンドラマをイメージするのだ。虚しさを埋めるための虚構との戯れは幼少期から続いている。そのこともよく理解していた。


 要するにこの三宮典明さんのみやのりあきという男は修学旅行で訪れた学生が身をもって体験する東京の雰囲気に浸る癖がまるで抜けていないのだ。九十年代生まれはゆとり世代などと言われているが同世代とは比にならないほどの幼稚な精神を持って生きていた。九州の隅で育ったこともありいつ見ても都会の街並みや蜘蛛の巣のように張り巡らされた道路、長い時間、時代の変化を見守ってきた高架橋や歩道橋、大きな街頭モニター。地下街や無数にある駅ビル。これらを見るといつも新鮮な気分になることができる、純度の高い時代遅れの田舎者だった。


 三宮はフリーのデザイナーだ。映像編集をしたり広告バナーのデザインをする仕事をすることが多い。葬式で流れる故人のメモリアルビデオを格安で請け負ったり、安上がりなネット広告やウェブ用のバナーを作成したりすることもあればサラリーマンのプレゼンテーション資料を代理でまとめることもある。小さな飲食店のメニュー表。整骨院や怪しげな美容外科クリニックや普通のNPO法人のリーフレットやパンフレットの作成。簡単な店舗紹介動画。とにかく簡単で日銭になればなんでもやっていた。


 幼稚な性格のせいで会社で働くことに嫌気がさしたのは随分前の話ではあるし、こうして月のノルマである手取り十四万を手にしたら毎度違うチェーン店の飲食店に足を運ぶのが趣味だった。孤独であり変わった人間でもある三宮に最寄りの行きつけなどはなかった。毎回違う店でくつろぐことは三宮にとっては至極の時間だった。


「労働からの解放、色々な意味でチートデイ、三日は暇だぜ」


 フリーのデザイナーのノルマが尽きることはない。暇だぜと口にした三宮は自分を偽っていた。飲み食いした後はアパホテルの狭い机でテレビをつけながら朝方まで仕事をする。今だけはそのことを忘れることができた。

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