ヒヨコRPG【体験版】
ねこじゃ・じぇねこ
ヒヨコRPG【体験版】
■
時は199×年。世紀末の予感に人々の心がざわつく混沌の時代、幻想的な流星群が降り注いだ夜に、小さな牧場にて一つの卵が孵った。
誕生したのは小さなヒヨコ。オスのヒヨコという宿命を背負いし彼は、卵の殻を打ち破った瞬間より、ある使命感に燃えていた。
強くならねば。そして、彼は広大な世界へと足を踏み出した。
《名前を決めてください》
□
「とまあ、こんな感じで物語は始まるんだけどね」
そう言って、わたしをちらりと振り返るのは、全く見覚えのない美少女であった。目をキラキラさせながら返答を待っている。そんな彼女に対し、いささか心苦しさを覚えながらも、わたしは恥を忍んで正直に言った。
「ごめん、まだ何にも把握できていないんだけど」
そんなわたしを前に、少女はきょとんと首を傾げた。
事の始まりは、今より数分前の事。
いつものように気怠さに抗いながら目を覚ましてみて、そのままわたしは宇宙にでも放り出されたかのような気持ちに陥った。
ここはどこだ。
真っ先に浮かんだシンプルかつ深刻な疑問。そう、目覚めたわたしは全く知らない場所にいた。眠る前の事はあまり思い出せない。ただ分かるのは、周囲の状況だけだった。
場所は出入り口の見当たらない狭苦しい部屋。存在するのは、プリント用紙の置かれた大きめのこたつと、懐かしのブラウン管テレビと、これまた懐かしのロムカセット式の据え置きゲーム機だ。そして、そのゲームのコントローラーを握りしめ、今よりもだいぶ粗いゲーム画面の前で悪戦苦闘する少女がいた。
その背中を呆然と見つめ、時というものを忘れていると、悲しげな音楽と共に少女の落胆の声が狭い部屋に響いた。
「ああ、もう、またクリアできなかった。ほんっと、どうして勝てないんだろう」
ぐすんと泣きながらコントローラーを床に置き、こたつの上に置かれていたプリント用紙を手に取ろうとしたのか彼女は振り返った。そして、わたしと目が合ったのだった。
「あれ、お姉ちゃん、起きていたんだね? おはよう!」
「おはよ……じゃなくて、ここはどこ? あなたは誰?」
ちなみに、わたしはわたし。匿名希望ということでよろしくお願いします。
「ここは、えっと、なんて言えばいいかなぁ」
と、急に少女は言葉を選び始める。
「そんなに深刻に捉えずに聞いて貰いたいんだけど、うーん、そうだなぁ、ざっくりと言えば、この世とあの世の境的な──」
「え、それってつまり、わたし死んだの?」
気が遠くなってきた。今なら永遠に眠れそうだ。
「待って、待って。まずは落ち着いて。ゆっくり深呼吸して。お姉さんは、決して死んだわけではなくて、そうだなあ。その一歩手前的な」
「え、死にかけって事?」
「まあ、そんな感じかな……えへへ」
えへへじゃなくて。
つまりは臨死体験をしているってことなのだろうか。直前に何があったのか思い出せないこともあり、全くピンと来ない。ピンと来ないけれども。
「え、どうしたらいい。わたし、どうしたらいいの?」
じわじわと言われた意味が心身に浸透していく。
何か知らないけれど、とんでもないことになっている。ここから入れる保険的なものはありますか。そんな状態で混乱し始めるわたしに対し、少女もまた慌て気味に言った。
「どうか落ち着いて。あのね、ここは確かにあの世一歩手前なんだけど、まだ死なない人が来るところなの。で、アタシが元の世界に戻してあげる役目を担っていて。つまり、お姉さんはまだ生き返ることが出来るってわけ」
「なんだそうなの。じゃあ、さっそく元に戻してくれる?」
何か知らないけれど、ホッとした。目が覚めたら、変わった夢だったと日記にでも書き記しておこう。そう暢気に考えていたのだが。
「それがねぇ……」
と言いながら、少女がパチッとスイッチを入れたのは、ロムカセット式のゲーム機。そして、ブラウン管テレビに映し出されたのが、タイトル画面と冒頭のナレーションだった。
「『ヒヨコRPG【体験版】』?」
テレビに先ほど映されたタイトル画面、ロムカセットのラベル、そして、こたつの上に置かれた説明書らしきプリント用紙に記された名前。どうやらこれが、このゲームのタイトルであるらしい。
「ここ、アタシの持ち場なんだけどさ、あまりに何もなくて退屈すぎるーって愚痴っていたら、上の人が用意してくれたの。体験版なんだけど、クリアできたら製品版もくれるって約束で、頑張ってやっているんだけど、これが難しくて」
なるほど、昔のゲームによくある難易度調整に失敗している感じのゲームなのだろうか。
って、そんなのはどうでもいい。
「それがどうかしたの?」
やや冷たくあしらってしまったわたしに、少女はもじもじとしながら答えた。
「うーん、あまりにも先が気になっちゃってさ、お役目に集中できないかもなぁって」
「集中できないとどうなるの?」
「お姉ちゃんを知らない世界に転送しちゃうかもしんない」
何か知らないけれど、それはまずい。
「わたしに出来る事ってある?」
「うーん、そうだ。お姉ちゃんさ、テレビゲームは得意?」
「そうだねえ。得意ってほどじゃないかもだけど、結構好きだよ」
「どんなジャンルが好きなの? RPGは好き?」
「そうだなぁ、RPGは好きだよ。あとは、アクションとか格闘ゲームとか……」
「アクション! 格闘!」
少女はキャッキャッとはしゃぎながら、流れるようにわたしにコントローラーを握らせてきた。
「良かったー。完璧じゃん。ねえ、お願い。アタシのためにも、この【体験版】を終わらせるの手伝ってぇ」
上目遣いで言われると、断り切る事なんて出来なかった。
「なるほど。これがクリア出来たら、晴れてわたしは元の世界に?」
「うん、クリア出来たら、集中できると思うから、戻してあげる」
と思うという部分が非常に気になるものの、そうとなったらやるしかない。わたしはコントローラーを握りしめ、名前の入力画面を見つめた。
「で……名前はどうするの?」
わたしの問いに、少女はため息交じりに答える。
「ハヤロクとかどうかな」
待て、待て。
それは、今はもう見かける事も稀となったメルヘンチックな色彩のヒヨコたちの俗称では。確かその意味は、長く生きられないという意味。
「もっと愛のある名前にしようよ」
「たとえば?」
「たとえば、えーっと……」
なんだろう。オスのヒヨコ。ヒヨコ。愛のあるヒヨコの名前。
「ほらー、パッと思いつかないでしょー?」
悩むわたしからコントローラーを奪い、少女は恐ろしく早い指さばきで入力してしまった。
「
「ちょ!」
しかも、数字なんだ。より、愛がない。なんて可哀想なんだ。
とはいえ、決まってしまったのは仕方がない。現世への蘇りをかけて、8869とわたしの冒険が今始まる。
■
8869。その名こそ、歴史に刻まれる運命の名。
彼は生まれながらに知っていた。このまま強くなり、立派なニワトリに成長したところで、いつかは人間たちに食べられて終わるのだという事を。
そのように鳥生を終えるのは、彼のプライドが許さなかった。
渡り鳥たちの噂によれば、ここより遠い場所に高名な魔女がおり、何でも願いを叶えてくれるのだという。
ただし、道は過酷であり、生半可な気持ちでは辿り着かないだろう。
それに誰でも相手をしてくれるわけではない。
魔女の飼うドラゴンに勝てた者だけが、その資格を手に入れることが出来るのだ。
──面白れーじゃねーか。
8869は心と愛らしい羽毛を震わせた。
道は広大だが、端から諦める気は毛頭ない。
彼のつぶらな瞳には、すでにゴールが見えていた。
必ず魔女に会い、願いを叶えて貰うのだと。
そして美しい不死鳥となり、鳥界の頂点に君臨してやるのだと。
《ステージ1・「牧場」》
□
「あ、ちなみに、このステージ1の「牧場」をクリアしたら、体験版もクリアなんだって」
「そうなの? 思っていたよりも早いんだね」
しかし、待てよ。この美少女は、それすら出来ないと言って諦めていたわけだ。相当なゲーム音痴なわけでなければ、最初のステージからとんでもない難易度ということではないだろうか。
まあ、いい、とにかく動かしてみよう。
説明書は背中あたりのこたつの上にあるのだが、基本操作くらいは見なくても分かるはず。3Dスティックを動かしてみると、8869が歩き出す。数歩動いたあたりで、心がときめいてしまった。操作性が抜群。それだけじゃない。8869が可愛すぎる。ヒヨコはもともと可愛いものだが、今より粗めのグラフィックではあるのだが、粗くとも動きがいちいち愛らしいのだ。
ちなみに攻撃は緑ボタン。ジャンプは青ボタン。黄色の方向ボタンは反応しないが、もしかしたらアクションが増えるのかもしれない。
「ところでこれ、RPGだからね。先に進む前にレベルアップした方がいいよ」
「あ、そうだったね。アクションRPGなのかな」
「そうそう。ってことで、ほら、あれ見て」
少女が指差した先。8869の行く手に、地面からぴょこぴょこ顔を出す者たちがいた。小さな人間の親指のような形をしていて、きらきらとした目玉がついている。
「何あれ、モグラの妖怪?」
「ちがう! ミミズだよ、ミミズ」
「ミミズ?」
「そ、あれを倒して経験値を稼ぐの」
「なるほど、雑魚敵ってわけね」
経験値稼ぎはRPGの基本。地道な作業も苦ではないので、まずは手始めに、と、8869をミミズに近づける。そして、軽い気持ちで緑ボタンを押してみる。
すると──。
キュピン!という鋭くもどこか可愛い効果音の後で、8869の両目がきらりと光った。そして、先ほどまでの素振りの時にはなかった特殊モーションが入り。
《秘技! 踊り食い!》
バシっと竹刀を叩きつけるような効果音と共に恐ろしく達筆なメッセージが画面上に表示され、8869が怖がるミミズを飲み込んでしまった。
「来た! 来た! ミミズ踊り食い! 一発で決めるなんてすごい!」
興奮する少女の横で、わたしは呆然とゲーム画面を見つめていた。
え、こういう感じのゲームなの?
なんかこうエグい感じのゲームなの?
想像していたのと少し違い戸惑うわたしの横で、少女はニッコニコしながら言った。
「これなかなか出来ないんだよ。タイミング難しくてさ。でも、成功すると経験値が弐倍になるの」
「二倍?」
そう言えば、哀れなミミズ君が飲み込まれる瞬間、8869の頭上に2という数字が表示された気がした。
「なるほどね、二倍の2か」
「ううん、それは違うよ」
「違う?」
「とりま、スタートボタン押してみて」
言われるままにスタートボタンを押すと、8869のステータスが表示された。
《名前:8869
レベル:1
たいりょく:10
こうげき:1
ぼうぎょ:1
すばやさ:1
つぎのレベルまであと 997》
「ん……あれ?」
「どうしたの、お姉ちゃん」
「これ、バグかな」
「どれどれ?」
「次の経験値までのところ。数字がおかしくない?」
「別におかしくないよ」
おかしくないのか。そうか。……そうか。
ちょっと情報を整理しようか。8869は今しがた、踊り食いとかいう特殊行動で経験値が2倍になった。その時、8869の頭上に表示されたのは2の数字。決して、2倍の2ではないと少女は述べた。
信じたくない真実が脳裏をよぎる。だが、現実を受け入れることが出来ないわたしは、メニューを閉じて、無言のまま別のミミズを攻撃した。タイミングが悪かったのか、今回は踊り食いが発生せず、ミミズを飲み込んだ8869の頭上に1の数字が表示された。
直後、わたしは無言のままにスタートボタンを押す。表示されたステータスを流し見し、最後の項目を確認した。
《つぎのレベルまであと 996》
「ぶひぃっ!」
思わず口から豚が出た。いや、豚だって出るよ。仕方ないよ。そんなのってないよ。こんなのあんまりだよ。
「どうしたの、お姉ちゃん」
「どうしたのじゃないよ! え、何? ミミズって経験値1しかないの?」
「1しかないよ。だって、ミミズだもん」
「だってじゃないよ。もっとこう貰ってもいいでしょう。ミミズだって生きてんだぞ。土を豊かにするんだ」
「お姉ちゃん、それは現実のミミズでしょ? これはゲーム。ゲームと現実を混同させちゃダメでしょ」
なんか叱られた。理不尽すぎる。
「だ、だとしてもさ、つぎのレベルまで遠くない? あ、分かったこれ、無理にレベル上げしなくてもいいんだ。なにしろアクションRPGだし、テクニック次第でどうにか出来るってやつだ!」
「うーん、確かに、まずは進んでみてもいいかもね」
少女のお許しも出たところで、わたしは8869を動かし、地面からぴょこぴょこ頭を出し続ける残るミミズさんたちを全てスルーした。命拾いしたなぁ、お前ら。
さて、心の中で無駄にイキったところで、先へと進むわけだが、8869を走らせて十分ほど、なかなかゲームが進行しない。
マップはころころ変わるのだが、イベントが発生する地点になかなか辿り着かないのだ。
「えっと、これってどうやったら先に進むの?」
「そうだなあ、ちょっとマップを開いてみて」
「マップ?」
ボタンをいくつか押してみるが、反応はしない。
「マップはRボタン……って、あ、もしかして貰い忘れてる?」
「え、そうなの? どこで貰うんだったの?」
「スタート地点の付近に牧羊犬がいてね、話しかけると貰えるはずだったんだぁ。すっかり忘れてた」
「なるほど、スタート地点ね!」
よかった。マップがあれば安心だね。ホッとしながら8869を振り返らせる。そして、ふと気づいた。
スタート地点って、どこ?
わたしたちの絶望は始まったばかりだ。
■
あらあらまあまあ、あなた、こないだ孵ったばかりのヒヨコちゃんね。
お家が分からなくなったの?
え、違う?
そう、オンドリ総長さんのところに行きたいの。
それなら、オバちゃん、地図をあげちゃう。
この牧場で迷ったら、Rボタンを押して地図を見るといいわよ。
《マップが解放されました》
□
リセットボタン。それは、素晴らしい機能である。架空の世界でしか通用しないこのボタンの存在を、現実でも欲しいと願ったことはどれだけあっただろう。残念ながら、このボタンは現実の出来事をなかった事には出来ない。だが、ゲームの中においては、取り返しのつかない状況を一瞬で解決してくれる。
迷いに迷って三十分。わたしはついにこの禁断のボタンを押した。セーブが何処でどうやって出来るのかも分からないまま押したため、内容は完全にリセットされ、初めからになる。オートセーブなんてものもないようだ。
ともあれ、手早く8869と入力して新しく始めたところ、少女の言う牧羊犬らしきボーダーコリーはすぐそばにいた。まさに灯台下暗し。さっき始めた時には背景のようにしかとらえていなくて話しかけなかったモブキャラが救いの女神であったとは。
「全く、手間をかけさせやがって」
「さ、Rボタンを押してみて」
少女に言われるままに、わたしはボタンを押す。いでよ、蘇りまでの道筋よ。そして、画面いっぱいに表示されたマップを前に、わたしは放心した。
突然だが皆さん、ピカソの絵は好きだろうか。わたしは美術にはあまり明るくないのだが、有名な絵はだいたい知っている。ピカソの作品も色々あるが、その中でも『ゲルニカ』は有名だろう。個人的にその『ゲルニカ』と同じくらい印象深かったのが『泣く女』なのだが、似ている。めちゃくちゃ似ている。今見ているゲーム画面とその『泣く女』がめちゃくちゃ似ているのである。
これはマップ。これはマップだ。良く目を凝らすと確かにマップだった。なるほど、一つ一つのマップが細かすぎてモザイクアートになっているのだ。スゴイ。なんて芸術的なんだ。
「待って、え、これどうなっているのこれ。いま8869何処にいるの?」
「多分ココかな」
そう言いながら少女が指差したのは、『泣く女』で例えると袖の辺りだった。
「で、何処に向かえばいいの?」
「多分ココだったと思う」
帽子のてっぺん辺り。恐らく北を目指せばいいのかな。
「そうだ。お姉ちゃんに忠告なんだけどね、このマップ、上が北ってわけじゃないみたいなの」
「はあい?」
「今いるところ、ちょっと拡大してみて。十字キーの上でズームだったはず」
「ホントだ! ズームできた!」
当然のように説明されていない機能に喜びつつ、わたしは8869のいるマップを凝視した。8869のいる場所は、ヒヨコアイコンがついている。よかった。そういう親切心もあるみたいだ。そして、目の前にはボーダーコリーのアイコン。なのだが、ふたりのいる位置と見比べてみて、少女の言っていたことを理解した。
「わあい、ホントだぁ。上が北じゃない! え、じゃあこれ、どっちが北なんだ?」
「わっかんないよねぇ、コレ。アタシも遊んでいてもう何だかわかんなくなっちゃって、面倒くさくなっちゃったから本能で進みました」
なるほど、本能か。なるほどなぁ。
「って、そんな役立た図のために戻らせたわけぇ?」
思わず悪態をつくわたしを、少女はどうどうと宥めはじめる。
「大丈夫。マップもあとでちゃんと役に立つから」
「どう役に立つの?」
「マップを拡大すれば、キャラアイコンとかも表示されるから、見つけづらいキャラを探すのに役立つよ!」
「うっわぁ、そういうのいるんだぁ」
「そう。しかもね、そいつを見つけないとクリアできないんだよね」
もう音を上げたくて仕方ないのだけど、でも、諦めるということはつまり死。生き返ることが出来なくなるわけだ。
「分かった。頑張ってみよう。まずはそのクリア必須キャラに会いに行くぞ」
「お姉ちゃん、さすが! じゃ、まずはここを目指してみて!」
少女はそう言って、『泣く女』で言うところの鼻あたりの部分を指示した。
「了解。では、さっそく」
と、マップを閉じた瞬間、再びわたしは呆然としてしまった。
「えっと、どっちに行けばいいんだっけ」
どうやら、このゲームにおける伊能忠敬にならねばならぬ時が来たらしい。
■
おや? Youはこないだ生まれたばかりのヒヨコCHANだね?
このあたりはヘビとか出るから、あまりうろちょろしちゃダメだZE!
それともYouは、宿命を背負いしヒヨコCHANだったりするのかな?
→はい
いいえ
HAHAHA、そいつは失敬!
じゃあ、この恋の桃色ヒツジお兄SANが、特別な技を教えちゃうYO!
まずは移動しながらジャンプして、直後に緑と△を同時押しだ!
そのあたりの敵で試してごらん☆
《新しいアクション「蹴り」を覚えました》
□
「このヒツジがわたし達をクリアに導く運命のヒツジなわけね?」
「お姉ちゃん、お姉ちゃん、モブキャラはいくら攻撃しても無意味だよ?」
少女に諭されながらも、わたしはしばらく恋の桃色ヒツジお兄SANとやらを、新しい技で攻撃し続けていた。
もうね、わたしゃくたびれたよ。このゲーム、SAN値がゴリゴリ削られるんだ。おまけにこれだけ苦労して進んで、目の前に現れたミミズは全て駆逐してきたはずなのに、レベルの一つも上がらないってどういう事なの。
「ともかく、お姉ちゃん。これで準備は整いました。いつでもボスに挑めるよ!」
「そうだね」
少女に言われ、わたしはようやくヒツジへの意味のない攻撃をやめた。これで、ようやく終わる。このゲームさえクリアすれば、わたしは無事に生き返ることが出来るのだ。
「そうだ。ボスに挑む前にセーブしたいんだけど」
「あ……それなんだけど」
少女は目を逸らしつつ言った。
「実はこの【体験版】さ、セーブ、ないみたいなんだよね」
え。
「いま、なんて?」
「セーブできないみたいなの」
「じゃ、じゃあ、ボスに負けたら?」
「初めからやり直し」
はじめからやりなおし。
その言葉を何度も反芻し、その意味を理解した瞬間、わたしは目の前が真っ白になった。
■
8869の前に初めて立ちはだかる強敵。
それは、牧場のボスでもあるオンドリであった。
かつては同じヒヨコの姿をしていた彼も、大人になり、立派なトサカと共に凶悪ともいえる攻撃性を手に入れた。
近づくものを全てなぎ倒すその鋭い蹴り。
彼を倒せぬようであれば、ドラゴンなど夢のまた夢。
8869はその事を理解し、彼に挑む決心を固めたのであった。
《牧場ボス・オンドリ総長!》
□
バシッという竹刀で叩くような効果音と共に、わたしの蘇生を阻むボスは現れた。表示される名前も相変わらず達筆だった。それはいい、それはいいのだが。どうやら、戦闘が始まるらしい。
「お姉ちゃん、しっかり!」
少女に励まされながら、わたしはボスのオンドリ総長の周囲をトテトテと走り続けていた。まずはれれれ冷静に、冷静に、冷静に。なにせ、セーブはない。負けたら初めから。初めからここまで来なくちゃいけない。どんだけ苦労したと思っているんだ。いやだ。初めからなんて嫌だ。負けたくない。
「うあああ、いやだよぉ。なんで争わなくちゃいけないんだぁ」
「お姉ちゃん、落ち着いて。ゲームだからだよ!」
少女に宥められながら、わたしは8869を方向転換させる。
そうだ。戦わねば。戦わねば終わらない。そう思ったのも束の間、いつの間にか背後をぴったりとマークしてきていたオンドリ総長の攻撃が、8869の身体を掠っていった。羽毛が散り、愛らしくも可哀想な悲鳴があがる。そして、8869の頭上で「たいりょく-4」というメッセージが表示された。
「ま、ま、マイナス4!」
慌ててステータスを開く。
《たいりょく 6》
やばい。10しかない体力が一気に減っている。
「キツすぎる」
涙目になるわたしの横で、少女は苦笑いしていた。
「攻撃力高いよねぇ。まともにくらったら6は持っていかれるよ」
ウソでしょ。と言いたいところだが、ここまでくれば、4も6もそう変わらない。1もくらわない覚悟でいかねば一生クリアできないだろう。
まずはオンドリ総長を観察し、行動パターンを頭に入れるのだ。今の攻撃は8869を一定時間追いかけ、突進を食らわせるものだったらしい。他には接近した際に繰り出す蹴り、それ以外に頻繁に繰り出す突きとジャンプ突き。このくらいだろうか。一撃一撃が重いからこそ強敵だが、よくよく見ればスキが生じるタイミングが何度かある。
絶対に、やり直したくない。
強い拒絶感がわたしに力を与えてくれた。
そして、今、その瞬間はやってくる。
「ここだぁっ!」
直感頼りにタイミングを掴み、繰り出したのは新しい技。オンドリ総長の攻撃を走りジャンプで避け、そのままの勢いで繰り出した「蹴り」だった。
《秘技!
特殊演出が入り、効果音から確かな手応えが伝わってくる。オンドリ総長は地面に倒れ、画面上部には相変わらず達筆のメッセージが叩きつけられた。
《撃破! 牧場ボス! オンドリ総長を倒した!》
「やった……やったよ、お姉ちゃんすごい!」
はしゃぐ少女の横で、わたしは呆然としていた。
やった。やったのか。ほのかな達成感が時間をかけて心身に滲み始めるなか、ゲーム画面が暗転した。
■
オンドリ総長を倒した8869。
この牧場にはもう、彼を超える者はいない。
これで一歩、ドラゴンへと近づいた。
確かな手応えを感じた8869は、オンドリ総長の屍を背に牧場を旅立つ決心を固めたのだった。
彼に目にはもう生まれ故郷は映らない。
見えるのはただ前だけ。
次なるステージ・「林」だけであった。
TO BE CONTINUED...
《続きは製品版で!》
□
「や、やったぁ!」
「やったね、ありがとう、お姉ちゃん!」
二人で喜びをこれでもかというくらい分かち合う。それはそうだ。これを読んでいる人からしたら、数分のことだろうけれど、もうかれこれ六時間はやっていたのだもの。体験版なのに、だ。
ともあれ、これで今度こそ終わり。これで晴れて。
「じゃあ、約束通り、元の世界に戻してあげるね」
そう、彼女とはお別れだ。
「ありがとう、お姉ちゃん。迷い込んできたのがお姉ちゃんみたいに優しい人でよかった。製品版で遊ぶ時も、お姉ちゃんの事は忘れないからね」
「……うん」
なんだろう。短い付き合いだったけれど、すごく寂しい。
でも、これでいいんだ。夢の中の出来事だったと思うしかない。
「こっちこそ、なんか楽しかったよ。ありがとう。元気でね」
そう言って笑いかけると、少女は笑顔で手を振った。その姿を見ていると、段々と視界が歪んでいき、そして──。
そして、わたしは再び目を覚ました。視界に映るのは、見覚えのない天井。だが、周囲を見渡して、そこが何処なのかすぐに分かった。病室だ。どうやらわたしは入院していたらしい。身を起こし、ぼやけた頭と視界で周囲を見つめ、状況を整理する。その最中、ふとわたしは夢の中にいた少女の事を思い出していた。
『ヒヨコRPG【体験版】』
あのゲームが本当にあったのかどうか、今となっては確かめようがない。だが、もしも本当にあったのなら、今頃その製品版を名前も知らないあの少女が楽しめているといいなと心から思う。
ヒヨコRPG【体験版】 ねこじゃ・じぇねこ @zenyatta031
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