キンツェム女帝・ヴァルダナール2

 三日三晩の披露宴が始まった。

 大皿に盛られた猪や鹿の肉の炙り、蒸して取り分ける直前に熱した油をかけた鰐竜や鯉の清蒸魚、色鮮やかな果実、麦に似た穀物を甘い乳で煮て甘蕉の葉で包んだ甘味。とろっとした食感の金色の果物が添えられている。どれもキンツェムでは縁起の良い料理だと紹介された。

 炙り肉の不思議な甘みが食欲をそそる。魚肉は油をかけたのにさっぱりとした味わい。乗せられた白い野菜の歯触りがいい。穀物の甘煮。これ麦でも作れないかな?雪の時期の兵站にあると士気があがるかも。


 クォーターミアキス豹族の娘たちの舞踊が始まった。

 同じミアキス要素の発現率を基準に選び抜かれた容姿の彼女たちは全員、サピエンスの体つきだが身体全体が被毛で覆われていて、長い尾を持っている。顔立ちはサピエンスに近い者もいればミアキスそのままの者もいる。サピエンスの髪を結い上げた中庸な顔立ちもいる。

 掌をあわせて旋回し、腕を脚を伸ばし踊る彼女たちが身に付けた黄金の装身具が灯に揺れて、しゃらしゃらと微かに鳴る。彼女たちが纏う、薄く透明で張りのあるけれど形をなさない布がひらひらと揺れる。麻や綿の紗ならグラディアテュールにもあるけどこんな生地は初めて見る。まるで水を纏っているみたいだ。

 虎大公が酒を注ぎに来たので酒杯を差し出す。器用に尾で酒壺の首をくるりと巻いて、酒杯に淡い金色の酒をなみなみと注いでくれた。一口含んで極上の逸品だとわかった。雑味がなく後味が軽い。

「これはよい蜜酒だ」

「口に合ったようでなにより」

「あの踊り子たち」

 そこまで口にしたら大公が耳を寝かせて俺を睨んだ。伴侶が傍に控えている公の宴席の場で何他所の娘に色目を使ってるんだこのガキは。と勘違いされたようなので、手首から波を打つジェスチャーを添えて続ける。

「召している生地は初めて見るがあれは」

「なんだ、絹に興味があるのか」

 なんだそうかと耳を立て、座り直す大公。

 聞けばキンツェム城下町近郊でしか採れない絹織物という物らしい。製造工程は機密なのでこれ以上は明かせないと言いつつも「シェリアル姫が求めるなら少しは融通してやらんこともない」と暗に王室から市井に流通させない条件で流してもよいと言ってきた。

 本当に姫に甘いな。この大公。そんな門外不出の産物の流通、こんなところで気軽に交わしていい約定じゃない。「俺に決定権はありませんよ」と交わしたら「お前は王弟になる男だろうが」と返してきた。

「わしゃシェリアル姫に言うとるんじゃ。アシルでは幼少からキンツェムで採れた絹の服を着せておったんじゃからの」

 いや、甘いんじゃないな、これは。心配でしょうがないのか。馴れぬ土地で暮らす姫の身を案じての申し出か。

「ならば、後日正式な手続きを」

 グラディアテュールに帰城後、そのように兄と話を進める、と大まかに話をまとめると、「姫のこと、頼むぞ」そう念押しして離れていった。

 大公も記憶が戻った状態での来訪を期待していたんだろう。がっかりさせてしまった事を心の内で詫びた。


 シェリアル姫に目をやると、小さくため息をついて肩を下ろしていた。大公との歓談中、口を挟んでこなかった。無理もない。いまだシェリアル姫にはアシル神殿で目覚め、この三十日ほど、ずっと婚礼の行幸で集落を巡ってきた記憶しかない。今しがたのやり取りだって、下手したら日中輿の中で替え玉を務めている侍女の方が詳しく知っている可能性すらある。

 記憶が戻っていたら、大公もシェリアル姫と幼少のキンツェム逗留時の昔話に花を咲かせていたんだろうに。想像して唇をかんだ。


 舞踊が終わると、まつげが長い、キュートな顔立ちのクーガー種の娘がカインに意味深なウインクを送ってきた。カインが鼻の下を伸ばしてリョウが顔をしかめている。その様子にシェリアル姫が口許に指をあて、くすりと笑った。つられて俺も笑み崩れる。

「?」

 妙な視線を感じた。顔をあげずに目だけで宴会場を見渡す。視線の主はヴァルダナール女帝だった。謁見の間で挨拶を交わした時もそうだったが、今のは吟味に近い、鋭い眼差し。戦場ならさしづめ手ぐすね引いてこちらの失態を引き出そうと待ち構えている査問審議の主といったところだ。

 確かに「姫には記憶を無くしていることを隠して宴に臨んでいただく」という無茶ぶりを強いている。後ろめたいと言えば後ろめたい。

 が、そろそろ初日の宴もしまいの刻だ。なんとかなったと思っていたら女帝がにこやかに宣った。

「こちらの催事も出し終わった事ですし。ここで主賓にはなにかをやってもらうというのは如何でしょう」

 先刻の剣呑な視線はどこへやら、軽くいいことを思いついた、と言ったいい笑顔だ。

 場が「それはいい提案」と沸き立つ中、こちらの事情を知る虎大公が寝耳に水を垂らされたような勢いで身構え体の毛を逆立てた。

「姉上」

 しかし白虎女帝は馬耳東風といった様子で玉座から身じろぎもしない。格の違いをまざまざと見せつけてきた。

「華燭の宴ですもの、祝われる主賓にもなにか趣向を凝らした余興があっても悪くはないでしょう」

 と悠然と笑う。

 女帝の横に侍る大公の奥方も女帝の言動は藪から棒だったようで鳩が豆鉄砲を喰らったような表情で突っ立っているだけだ。

 しかしまた何故、このタイミングで?ヴァルダナール女帝はこんな性悪な人だったろうか?

 まだ子供の頃、アシルに姫が産まれた知らせを受けて俺とシェダル兄とどちらに嫁がせるか決める会議がアシル神殿であった。そのときに一度だけ逢った時のヴァルダナール女帝は、あまりグラディアテュールによい感情を持っていないキンツェム・エルバダーナ王族の中にあってシェダル兄と俺にも優しく接してくれた慈愛に満ちた聖母のごとき方だったと記憶している。まだ若かった大公が「まだキンツエムにも可能性が残って」とごねるのを「我が方は直系の血が絶えて久しい。本家直系の王女殿下を末流傍系に嫁がせるがキンツェムの礼儀かや」と静かに窘めたのを覚えている。

「殿下」

 シェリアル姫が心配げに俺を見つめる。

「大丈夫ですよ、姫」

 姫のために最善を尽くしてことに臨むと決めたのだ。

「では、祝いの席にグラディアテュールの剣舞をご覧にいれましょう」

 正装のラタキア将軍と共に玉座に一礼し、基本の殺陣の構えをとる。殺陣には全部で二十四の型があって、中でも基本中の基本を披露する。

 一太刀合わせては摺り足で間合いを取って次の型を構え、再び打ち合う。

 場は気圧されすっかり吞まれたように静まり返って、静謐な空気に包まれているような錯覚を感じた。


 席に戻ると、シェリアル姫が興奮した面持ちで「ひらりとかわしたところなど、まるで蝶のようでした」と、嬉しそうに感じたままを伝えてきた。なにかこう、初めて見る表情だ。剣に興味があるのかしらん。

「よかったら、稽古をつけましょうか」

「はい」



 宴が終わって貴賓室に戻ると「驚きましたな」サプライズというにはいささか意地の悪い、そうジウスドラが評し、ラタキア将軍、側近のカインも頷く。リョウは特に興味もないようで袖の下から宴席で出された穀物の甘煮を何個か取り出して貪り始めた。こいつは普段からカインさえ無事ならそれでいいんですと公言している。

 そんななか、侍女が「剣舞の後、殿下と姫の様子をヴァルダナール女帝が目尻を下げて嬉しそうに見つめていた」と言う。

「なんでだ?」

「悪ふざけをする御方ではないですが、分かりかねます。想像ならいくらでも出来ますが、それはただの仮説にすぎませんので」

 侍女の返答も困惑しきりだ。

 一体女帝は何をしたかったんだ?何が嬉しかったんだ?




 三日三晩の祝宴も終わり、グラディアテュールに向かうため再度アシルに出立する朝。謁見の間で女帝に挨拶をした。

 銀毛雪白の髪を結い上げ、虹色に輝く宝石を身に纏い、優雅に座する白銀の貴婦人、白虎ヴァルダナール。

 謁見の間に幾人もの侍女が恭しく控えていて、ピンと張り詰めた緊張感すら覚える。

「出立の時間にはにはまだ早いようですね、名残惜しむ時間くらいはあるでしょう」つまり、「少し話がしたい」と申し出てきた。

 着いて参られよ、とヴァルダナールが自ら客人を先導する。

「陛下、共は」

 側仕えが寄ろうとすると、女帝は要らぬ。と介助を断った。

「今朝はすこぶる体調がいいの」

 昨日まで、歩くのもやっとだったとは思えないくらいしっかりした足取りだ。

 長い回廊を幾つも巡って着いたのは、内宮殿の石造りの奥の院を飲み込み聳える巨大なガジュマルの気根を緑廊に見立てた小さな庭園だった。池には白蓮が咲き、他にもジャスミンや名前は判らないが白い花が咲き乱れている。

「白花苑です、先代が造らせましたの」

 先代というのは女帝の連れ合い、つまり先のキンツェム帝だ。女帝が嫁いですぐに亡くなってしまい、エルバダーナの直系が途絶えた。

 大儀そうに岩窟に座す白銀の女帝。

 やっぱり無理をしているんじゃないのか。話がなんなのか分からんけれど、宮殿で人払いをすれば済む話じゃ。そこまで内密にしなきゃいけない話ってなんだ?

「女帝陛下、話とは」

「知ってましたよ、シェリアルが記憶をなくした事」

 え。

 大公も奥方も口を滑らせた様子じゃないのにどうして。どこからその話を聞いたんだこの女帝は。まさか件の記憶を消したサピエンスと女帝が通じていた??そこまで想像してしまい、無意識に歯を剥き出し唸り声をあげていた。

「殿下、落ち着いてください」シェリアル姫がしがみついてきて、初めて女帝に剣を抜き飛び掛かろうとしていたことに気付いた。将軍も側近も止めに入らなかったのは、多分同じ想像をしたからだろう。この場にシェリアル姫がいなかったらどうなっていたことか。

「姫」

「言いたいことは分かります、でも違う、そんな気がするのです」

 頭を振って俺をまっすぐ見据えるその瞳は、嘘でも、丸腰の老女だからとむやみやたらに女帝を庇っているわけでもない。この場は話を聞くべきだ。そう訴えている。

「落ち着きなさい、ダキア」

 女帝の品のある柔らかな声。これは姑息な嫌がらせや意地の悪い思い付きを好んでする者の声じゃない。

「失礼しました」

 改めて非礼を詫び、居住まいを糺した。

「いいえ、私の態度も良くなかったわね。あなた方が打ち明けて相談してくれるものだと考えていたから」

 エルバダーナの女帝ヴァルダナールが語るには、輿が出立してすぐにアシルのルイス王夫妻が密書を寄越したのだという。

「行幸の列が城を出た後のタイミングでしたから、何かあったのだろうとは思いましたが、記憶を無くすというのは」

 シェリアルが公の場、こと国家間の約定で悪ふざけをするような娘ではないと承知したうえで、と前置きして白銀の虎は続ける。

「シェリアルにその気が無くてシャオチェと狂言を打ったか、それともダキアの方が婚儀の破棄を訴えたか、そこまで考えましたよ」

 そこで大公にも黙って一芝居打ったのか。

「弟には悪いことをしたわ」

 宴席での俺たちの様子を見て推測は外れたと確信したらしい。

 女帝がシェリアル姫を見やる。そのまなざしはかつての記憶にある慈しみの聖母そのままだ。

「キンツェムを治めるエルバダーナの女王ヴァルダナール個人としてお願いです、ラディスファイの王子ダキア、ルイス王息女シェリアルを、どうぞ、よろしくお願いします」

 そう言って頭を一つ下げた。



 そろそろ出立の時間が近い。

「陛下はお戻りになられますか」

 俺とラタキア、カインで介添えを申し出ると、女帝はやんわり首を横に振った。

「有り難う、ダキア。でももう少しだけ、この庭を眺めていたいの」

 心に沁みる、優しい声音。

「では、そのように伝えましょう」



 一行の姿を見送ると、ヴァルダナールは満足げに前足に顎を乗せ、瞼を閉じた。

 白虎女帝の身体の端端からマナがゆっくりと滲み、空に溶けていく。


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