背中を押す、妻とフォロワー(Side:謙一)

 午前6時に鳴ったアラームを、目が覚めかけていた謙一けんいちはすぐに止める。大学生の頃はギリギリまで寝ていたかったが、アラサーの今の方がよほどスムーズに目が覚める。

 社会人の自覚ができた、夜更かしが辛くなった――よりもきっと。

光梨ひかり、おはよう」

「おはよう謙くん」

 早起きして朝食を準備している光梨に、余計な手間をかけさせたくないのだ。夫を急かすような声は、おっとりした彼女にはあまり似合わないだろうし。


「残業続きだけど、ちゃんと疲れ取れてる?」

 妻の心配への率直な返答は「ぶっちゃけキツい」だけれど。

「まあ平気さ、職場の空気はむしろ良いくらいだし……夕飯が遅くなるのは悪いけど」

「私と沙枝は全然! だから後輩の面倒しっかり見てあげてね、係長さん」

 コーヒーを渡してくれた光梨の微笑みに、今日も思う。


 この子の生活を支える役目だけは、誰にも譲らない、絶対に投げ出さない。


 朝食と身支度を済ませ、「じゃあ行ってくる」と光梨に声をかける。

「うん、いってらっしゃい。気をつけてね」

 玄関まで見送りにきた光梨に。きっと謙一は、キスをしたって許されるのだろう。寝起きのすっぴんである今だって、可愛くてたまらない妻である。


 しかし謙一は光梨に手を伸ばすことなく、ここに暮らすもう一人に触れる。

沙枝さえのお世話、よろしくな」

「うん、お任せを」

 謙一が家を出ると、すぐに中から鍵がかかる。オートロックのマンションとはいえ用心に越したことはない、出入りのとき以外は常に施錠するのが見隅家のルールである。

 ただこの瞬間、光梨の住む家にとって自分はソト側になったのだ――という奇妙な疎外感が背筋を走る。


「よし……頑張れ、お兄ちゃん」

 自分の母に何度も言われてきたフレーズを唱えて、マンションを出ていく。


 30分ほど歩いて最寄り駅に着き、電車を待つ間にSNSをチェックする。毎日確認しているイラストレーターのアカウント、最新の更新は5時間ほど前の深夜だった。

〈作業&彼女の寝言配信、ありがとうございました!〉

「寝言って何してんの……」

 呆れつつ、昨日来ていたコメントに反応していく。オタク的な接点をきっかけにSNS上で知り合った、いわゆるフォロワーたちである。顔も声も知らないが、お互いの日々を知らせ合っては励まし合う、大事な友人たちだ。

 大学生だという彼からは〈理系出身の先輩だから参考になります〉と。

 二児のパパだという彼からは〈同じ大黒柱として励みになるぜ〉と。

 一人っ子だったという彼女からは〈そんなお兄ちゃんがいて羨ましい〉と。


 毎回、自分には勿体ないと返すけれど。誰かに言ってもらいたかった言葉なのだ、確かに。それらを反芻しながら、息苦しい通勤電車に乗り込む。

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