報道のジレンマ 13

 それから一週間ほどが過ぎた、ある夜。

 俺と紫子さんはいつものごとく、著名人の張り込みのために、俺の愛車の中にいた。

「はい、これ。明日発売の週刊誌の見本誌。編集部から持ってきた」

 表紙と巻頭カラーで、梶山靖子の特写が掲載されている。更にモノクロページにも、五ページものインタビュー記事が掲載されていた。週刊誌としては、かなり大きな扱いと言える。

「いい記事になりましたよね。俺、紫子さんがインタビューしているのを聞きながら、何度も泣きました」

 この記事の撮影を担当したのは、もちろん俺だ。

「そうね。いい写真よね」

 紫子さんは、巻頭カラーのページを開いた。

 俺は額を押さえる。


 ――そう、その写真を除いては。


 そこには、俺が崖から身を乗り出して、梶山靖子の母親を抱きとめている瞬間が写されていた。

「ピューリッツァー賞は無理でも、日本の報道の賞はいけるんじゃないかな。ほら、新聞社主催の。私、カメラマンでもやっていけるかもしれないわ」

 紫子さんはご満悦の様子だ。

「俺がピントとか、予め設定をしておいたからですよ」

「あら、ジェラシー?」

「違いますよっ」

 なんでカメラマンの俺が、被写体として全国紙に載らなきゃいけないんだ。しかも、結構な大きさで。

 あの雨の日、編集者の快諾も得て、とんとん拍子にインタビューの日取りが決まった。

 取材は三時間ものロングインタビューとなり、壮絶な介護の日々、母への思いが心に響く記事になっている。反響は大きなものになるはずだ。いや、既に反響はある。発売日の前日から中刷り広告が張られるし、マスコミ各社もそれを得るからだ。

「だいたいあの日、梶山さんが無理心中をしようとしていることを、紫子さんがもっと早く教えてくれていれば、こんなに危険なことをする必要はなかったんですよ!」

「そうね。そして、この写真はこの世になかった」

(……もしかして)

 俺は首ごと曲げて、紫子さんを真っ直ぐに見た。

「あのタイミング、わざとですか?」

「早く伝えたら、もっと手前で助けちゃって、面白い絵にならなかったでしょ。伝えなければ無理心中の写真が撮れるけど、私だって後味が悪いもの。いい絵も撮れて、命も助かる。ほら、これぞボヤオの言う、ウィンウィン、でしょ」

「いや、だってあれ、本当にギリギリだったんですよ!」

「だから、余裕があったら、こんなにいい写真になってないじゃない」

 俺は顔から血の気が引いた。

 恐ろしい人だ、紫子さんは。

「公園に向かいながら、そんなことを考えていたんですか」

「正確には、前日からね」

「……前日?」

 意味がわからないと思いながらまじまじと紫子さんを見ていると、グイッと手の平で頬を押された。

「目はマンションの出入り口」

「はい、すみません」

 そう言いながらも、気になって仕方がない。

「それで、どういう意味ですか?」

 俺はバックミラー越しに、チラチラと紫子さんを見る。

「あの美容院で、梶山が無理心中をするつもりだって、わかったってこと」

「ええっ?」

「逆に聞くけど、ボヤオは少しも気づかなかったの?」

(いやいや、わからないだろ)

 俺は美容院でのできごとを思い出してみた。

「ひっかかる言葉はありましたね。散髪に来るのは年末なのに、九月に来るのはおかしい、とか。でも、お母さんの誕生日の前日だから、そんなこともあるだろうと」

「ちゃんと聞いていて自殺と関連つけないなんて、まだまだね。イレギュラーな行動をするときは、怪しいと思わなきゃ」

 紫子さんが半眼にした瞳で俺をチラリと見たのが、バックミラーに映った。

「母の誕生日の前日に散髪をして、いつも張りつめていた表情が吹っ切ったように穏やかになっていた。あの日に来た老舗日本料理店の仕出しだって、最後の晩餐だって考えれば納得がいくでしょ。いくら芸能人だからって、介護をしながら毎日高級料理を食べるなんて考えづらいわ。誕生日の当日に呼ぶなら、まだわかるけど」

 たしかに。

「だから、母の誕生日に合わせて、死ぬ気なんだと思ったの。それが最大のプレゼントだと思ったのかもしれないわね」

 それで紫子さんは昨夜、浮かない顔をしていたんだ。

「母の誕生日に自殺する。それは二パターンあると思った。ひとつは、ボヤオが阻止したように、朝の公園。もうひとつは、深夜〇時になった瞬間、自宅で無理心中をする方法」

「そっちの可能性もあったんですか?」

「ないとは言い切れなかった。でも梶山は、東京の豪邸を売りに出して、この実家に住み始めた。それは、この町が好きだった母親のためだと思われる。それならきっと、天童市が一望できるあの高台を、最期の場所に選ぶ可能性が高いだろうと考えたのよ」

 紫子さんがそんなことまで考えていたとは。

 そういうつもりで記憶を辿れば、早朝、梶山靖子が出てきたときに「出てきてよかった」と、安堵したように紫子さんが呟いた理由がわかる。

 あれは、「生きていてよかった」、だったのだ。

「そういうことは俺にも言ってくださいよ。俺たち、コンビじゃないですか」

 二人分の命だ。さすがに紫子さんの中にだって「報道と人命」の葛藤があったに違いない。だからこそ、夕食時は浮かない顔でぼんやりとしていたのだろう。隣りに俺がいたのに、相談相手にすらなれなかったなんて。

「ボヤオはまだまだだからなあ」

 ぐっ。

「早く頼りがいのあるパートナーになって」

「が、頑張ります」

 俺は情けない思いで、手にした週刊誌に視線を落とした。

 俺が写っている写真は、梶山靖子の不注意で崖から車椅子が落ちそうになったところを救ったことになっている。

 さすがに無理心中の現場だったとは書けない。

 いや、書くべきではない。

 これからも母と向き合って闘う決意をした梶山靖子に、水を差してはならないのだ。


 報道と事実。

 報道と人命。

 報道と道徳。


 報道のジレンマは、数多く存在する。

 本来ジャーナリズムとは、愚直に事実を追い続けるメディアなのかもしれない。

 しかし、ジャーナリストは数多くいる。一人ひとり、違う基準、違う尺度があってもいいじゃないか。

 少なくても俺は今回の経験で、迷いがなくなった。

 情報を得たら、忖度なく、それを公表するのが報道の仕事だろう。

 だけど報道人の前に、俺はやっぱり、佐藤澄生なのだ。

 得たネタを公表するのもしないのも、俺の自由だ。

 綺麗ごとと言われても、甘いと言われてもいい。人を傷つけずに世間に訴えることは、絶対にできるはずだ。

 今回の梶山靖子のように。


 俺は『花ちゃん』の女将を思い浮かべた。

 ――『二階堂武史の数十年続く一途な恋 闘病を支える女性とは』

「いいタイトルじゃん」

 俺が報道カメラマンだったことを女将に告白して、謝って、インタビューさせてもらえないか頼んでみよう。

 女将には「そっといておいて欲しい」と言われそうだ。だけど、もしかしたら話してくれるかもしれない。

 二階堂武史と女将の対談が実現したら、切なくも純真な恋物語が聞けるだろう。

 今度『花ちゃん』に寄ったとき、女将になんと切り出そうかと、俺は作戦を練り始めた。


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