報道のジレンマ 7
その夜。現場が早く終わったので、俺はまた『花ちゃん』に来ていた。
恵比寿と代官山の中間あたりにある住宅地で、周辺は人通りが少ない。店も小さいから見逃してしまいそうになるけど、三十年以上続いているというのだから、いかに地元の常連に愛されているかがわかる。
「ヒデーこと書くよなあ」
五分刈りで白髪の男性は、週刊誌をカウンターのテーブルに放り投げた。少ない関係者の話を盛って書いてあり、あることないこと無理矢理詰め込んだ内容だった。
八つのカウンター席のうち、三つが埋まっている。メンツは前回来た時と同じ、五分刈りの男性と、ニット帽をかぶった女性、カウンターの中に女将。みんな六十代だ。
二階堂さんの情報を俺が流したと誤解されたのではと、ビクビクしながら様子を見に来たのだが、杞憂だった。常連客達は二階堂さん本人から、情報元を聞いていた。
「タケちゃん一人身だから、身の回りのことはマネージャーがやっていたんだけど、そのマネージャーが事務所からつけられたみたいね」
「しかも、声をかけられた時にがんだってボロを出しちまうんだから、情けないマネージャーだ」
掲載されたのは毎週のようにスクープを飛ばしている週刊誌なので、記者が手練れだったのかもしれない。
「二階堂さんの容体は?」
「週刊誌に載ったものだから、心配になって電話したんだけど、声は元気そうだった。また見舞いに行っていいって言うから、明日顏を見てくるよ」
女将さんは、なんだか嬉しそうだ。やっぱり、二階堂さんと女将さんは、今でも両思いなのかもしれない。
それなのに、何年も、もしかしたら何十年も会っていなかったんだろう。こんなことにならなければ、まだ二人が会うことはなかったに違いない。
「病気は嫌だね。オレたちもいつお迎えが来るかわからねえからな」
「ピンピンコロリで逝きたいよ」
「ホントだな。娘がさ、ボケるくらいなら死んでくれって言うんだから、ヒデエだろ」
「憎まれ口を叩けるのは仲のいい証拠よ」
「自慢の娘のくせにねえ」
この店の話題ナンバーワンは、健康問題だ。俺は口を挟める話じゃないけど、聞いている分には楽しかった。懐かしい感覚なのだ。祖父母と一緒にいる時間が長かったからだろう。
「ボケっていえばさ、ヤスコさん、どうしてるかねえ」
「ヤスコさん?」
この店では、初めて耳にする名前だ。
「いるじゃない、梶山靖子って女優」
「ああ」
俺はうなずいた。
事務所に入ってから勉強して知ったわけではなく、元々記憶にある名前だった。テレビ嫌いとかで、映画や舞台を中心に活動している女優だ。でもかなりの人気で、多数のCMに出演していたから、ポスターやネット動画の合間のCMでよく見かけた。
「まだ五十代ですよね。認知症になるには早いんじゃ」
「靖子さんのお母さんが認知症なのよ。介護に専念するために、もう五年くらい仕事してないんじゃないかしら」
女将さんが言う。
(あれ、それって、公表されていないんじゃ……)
俺はスマートフォンで検索してみた。
(やっぱり)
特に休業宣言もしていないし、介護をしていることも書かれていない。CMの契約が続いているんだろう、メディアには出ているから、露出が減っている気がしなかったんだ。
大物女優、認知症の母のため、介護で休業。
うん、ネタとしてアリだ。
「梶山靖子さんって、この辺りに住んでるんですか?」
「三年くらい前まで住んでたんだけどさ。実家に戻って、静かなところで介護するって言ってたな。本当はこっちで母親と暮らそうと、実家から母親を呼び寄せて、十年くらい前に大きな家を建てたんだけど。呼び寄せて数年しないうちに、認知症になったようでさ。その家は売りに出してるよ。まだ買い手がつかないけど」
そういう男性に、売りに出しているという家の場所を聞いた。メモを取るわけにはいかないので、頭に刻む。これもネタになりそうだ。
「実家はどこなんでしょう?」
「山形県って言ってたっけ?」
「天童市だよ」
「山形県天童市……」
俺は口の中で繰り返した。
二階堂武史だけじゃなく、梶山靖子のネタまであるとは。
中目黒や六本木のキラキラしたレストランに多くのネタが眠っているんだろうけど、地元のおじいちゃんおばちゃんが集まる渋い店の情報網も、捨てたもんじゃないね。
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